憤怒王ヘルマン 〜涙々の物語〜
一九二〇年、英国王位に就いたのは賢人と渾名される憤怒公ヘルマンであった。
二十世紀に入ってからのことである。大いなる疫病がイングランドの大地を蹂躙し、王室の人間は孫、曾孫の代まで一人残らず一掃されてしまった。そして、この死の病のために空席となった英国王の玉座には、王家とは遠縁であるザクサ=ドラクセン=ヴァクテルシュタイン家のヘルマン十四世が座ることとなった。イングランド王位継承権にして第三十位でしかなかったこの男は、一夜にして海内と大海の果てを統べる大英帝国の支配者となったのである。
徹頭徹尾に徹底した態度。それが、人々の目に映ったこの王の印象であった。
君主という重々しい地位にあるにも関わらず、ヘルマン王は途轍もなく進歩的な考えの持ち主で、『いつの間にやら、気づかぬうちに何処かに行っている』という類の腰の軽い人間であった。英国では昔から決まって、進歩主義者ばかりが大臣になっていたのだが、そんな大臣たちもこの王のすることなすことには舌を巻くばかりで、王の起草した『あの法案』を目の当たりにした時は皆ども息を詰まらせ、呼吸を整えることさえ難しいという有様であった。
憤怒公ヘルマン……それは、政治史における予想外な出来事の一つである。
ある日、総理大臣が王の御前で次のように嘆息を漏らした。
「王様、正直に申し上げますと……昨今、婦人参政権などと声高らかに唱える連中のせいで、私どもはもう身動きも取れぬ状態なのでございます。全国各地で我々の会合は邪魔され、官公庁街はもはやデモ隊のピクニック広場に変えられようとしているのでございます」
「ほう、それはなんとかせねばなるまいな」
「エエ、そうですその通り、なんとかせねばなりません。ですがどうすれば?」
「ならば、吾輩が新法案を起草してやろう」
王はそう言いながら、タイプライターの前に腰を掛けた。
「次のように制定する。爾後、ありとあらゆる選挙において女子は投票を不可避のこととする。宜しいかね、『不可避』というのは簡単に言えば『絶対にしなければならぬ』ということだ」
「以前と同じく、男子有権者には投票権の行使と放棄とを選択できる。一方、21歳から70歳までの全ての女子は投票に行くことを絶対の義務とする。選挙とは国会や州議会、郡議会や教区会、市町村の選挙にとどまらぬ。検死官、学校監査の役人、教会の世話役、美術館の学芸員、保健所、警察および法廷の通訳官、温水プールの指導官、業務請負人、聖歌隊の指揮者、市場の監督官、美術大学の教員、大聖堂の守衛などなど……その他思いつく限りの全ての地方役人の選出は全て投票式選挙で以て行うこととし、国民は彼ら役人の選定に逐一赴いて票を投じなければならぬ。居住区域で行われた選挙であるにも関わらず、その投票義務を怠った場合は十ポンドの罰金を課すこととする。医師の正式な診断書がある場合を除き、如何なる理由であろうとも選挙放棄は認められぬ。総理よ、この法案を両院で可決させよ。そうすれば明後日には吾輩が承認の署名を書こうではないか」
この新しい法案が可決してすぐの頃、『婦人参政権義務化団体』では仲間内であっても喜びの声など全く上げなかった。かつては選挙権を求めてずっと大きな声を上げていたのに、今や意気消沈という有様である。
この国の大部分の女性はそもそも女性参政権云々の話に無関心であったし、多少の関心があったとしてもそういった扇動演説には多くの女性が反感を抱いていた。しかしながら、酷く狂信的な婦人参政権論者ですらも『箱の中に投票用紙を入れるだけなのに、それのどこに魅力を感じていたのかしら? 何に期待を寄せていたのかしら?』といった疑念を抱き始めるほどであった。
一方、新法案に書かれた義務とやらに従うのは酷く面倒なことであった。地方各地の人々にとってこれは夜も眠れぬ悩みの種であり、まるで終わりの無い大きな選挙に思えた。洗濯女や裁縫女は自分の持ち場を離れ、急いで投票所に向かわなければならなかったし、聞いたこともない候補者の名前を出鱈目に選ぶということもよくあった。女性事務員やウェイトレスはいつもより余計に早く目を覚まし、仕事が始まる前に投票を済ませるのである。
貴婦人たちも気づき始めた。連日のように何度も何度も投票所へ出向かねばならぬせいで予定が無茶苦茶になり調子は狂わされる。そうして次第に週末のパーティや夏期休暇は男性だけの贅沢に変わっていくのである。カイロやリヴィエラのような観光地は、もはや証明書付きの正真正銘の病人か多額の罰金を払える大富豪だけのものになってしまった。なぜなら長らく選挙に行かなければ、その間に十ポンドの罰金が幾度も積み重なり人並みの金持ちでさえも抱えきれぬほどの額となるからである。
『女から選挙権を奪え!』という熱っぽい声が力強い社会運動に変わっていったのは、さして驚くことではない。『奪・婦人参政権同盟』は女性の支持を集め百万人の信奉者を得るに至り、シンボルカラーの独逸檸檬と独逸赤面草の旗があちらこちらに翻り、『あたしたちゃ投票なんて大嫌い』という行軍讃歌が人々に広く口ずさまれるようになった。
こうした平和な訴えにも政府は何の関心も示さなかった。そこでさらに過激な方法が流行り始めるのだった。役人の会議は邪魔され、大臣は襲われ、警官は噛まれ、刑務所の食事は常に撥ね付けられた。トラファルガー記念日の前夜には多くの女性がネルソン記念塔の台座から天頂まで所狭しとしがみつき、慣例となっていた祭りの花飾りは取り止める他なかった。
それでもなお、政府は『女性は選挙権を所有すべし』という信念に頑固にしがみついていた。
その頃、機智に富んだ或る女性が窮余の一策を思いついたのである。それは今まで誰も思いついたことのなかった奇妙な方法であり、その名案に従って『号泣連盟』が組織された。
首都ロンドンでは『号泣連盟』の女性千人が人目につくような場所で一斉に泣き始めたのである。何度も交代しながら彼女たちは絶えることなく泣き続けた。鉄道沿いの駅舎で泣いた。地下鉄で泣いた。バスの中でも泣いた。ナショナルギャラリーで、アーミー&ネイビー百貨店で、セント・ジェイムズ公園で、謡曲の演奏会で、プリンシズ・ゲイトで、バーリントン商店街で、泣いた、泣いた、泣いた!
未だ輝かしい興業記録の破られていない滑稽喜劇『ヘンリーの兎』でさえも、最前列や桟敷席から二階席に居並ぶ女性のシクシクという泣き声のせいでその地位を危うくしたし、何年も争いの続く凄烈な離婚裁判すら、酷く涙もろい傍聴席が法廷から鮮烈さを尽く奪いさってしまった。
「これからどういたしましょう?」と王に尋ねる総理であったが、自宅では朝食の度に料理長が泣き崩れ、惨めったらしくヒッソリと嗚咽を漏らす子守り女が子供たちを公園へ散歩に連れていく始末。
「何事にも潮時というものがある」と王は語る。
「今こそ譲歩の時ぞ。『全ての女子から選挙権を剥奪する』という法案を両院で可決させよ。そして明後日、王の名の下に同意書を記そう」
首相が部屋を立ち去ると、王は含み笑いを浮かべて次のように語った。
「何かを成し遂げるには様々な方法がある。諺にあるように、猫を殺すにはクリームで窒息させるだけが能ではないのだ……だが、それが最善の方法で無いとは断言しかねるな」
賢人と渾名される憤怒王ヘルマンは意味深に笑った。
原著:「The Chronicles of Clovis」(1911)所収「Hermann the Irascible, A Story of the Greet Weep」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「The Complete Saki」(1998, Penguin Classics)所収「Hermann the Irascible, A Story of the Greet Weep」
初訳公開:2013年6月30日