第2章 喫茶店の客
2話です。会話を少し増やしました。
「ハァイ、キティ」
メアリのことをそう呼ぶ友人は世界に一人しかいなかった。
「おはよう、リリィ」
呼ばれたメアリは発声主の向かい側のイスに腰掛ける。メアリー・スチュアートを「キティ」という愛称で呼ぶ人物―それはメアリの最大の友人であり最高の理解者であるリリアンヌ・エリザベスだった。
髪の色はメアリと同じ金髪であり、顔の両側に大きなロールのようにくるくると巻かれて肩の辺りまで垂れ下がっている。顔の両頬にそばかすが残るが、大きな碧色の瞳はくりくりっとして全体的に顔立ちはお人形さんのようだ。服は若草色の簡易なドレスを着込んでおり、彼女の顔と相まって可愛らしさを醸し出している。
「今日もまた随分と不機嫌な顔ね」
リリアンヌこと愛称リリィはテーブルに両手で頬を包み込むように杖をついてメアリに尋ねる。テーブルの上にはまだ湯気が立っている紅茶2つと、食べかけのショートケーキとまだ手の付けられてないそれが1つずつ並べられていた。
「そう見えるかしら?」
「ええ、見えるわ。街中を歩いていたら、紳士たちがちょっと気になってちらっと見ていく程度にはね」
「そう・・・そうかもしれないわね」
「・・・また、あの夢なの?」
リリィとは分け隔てなく接することができる友人として、メアリは信頼を置いている。だから、最近よく見るようになったあの『夢』のことも相談していたのだ。その信頼できる友人は顔色を伺い瞬時に察したのか、心配そうに尋ねてくる。
「ええ・・・。ここの所、見る頻度が増してきたような気がするわ」
「苦労してるのね・・」
リリィにはどうすることもできないのが分かっている。だが、彼女自身も自分のことのようにメアリを心配してるのだ。お互いを愛称で呼び合う親睦の深さが表れていると言えるだろう。
「でも大丈夫!たとえ正夢だとしても、私がキティを守るわ!」
「口の周りにクリーム付けたまま言われても、あまり心強く思えないわ」
「あ・・・」
慌てて口の周りのクリームを手でごしごしと拭うリリィ。それを見てふふっとメアリが微笑む。時々抜けている可愛らしさも、リリィの魅力の一つなのだ。
「ああ、もうダメじゃないリリィ。手じゃなくてちゃんとハンカチで拭いなさいよ。お嬢様らしくないわよ」
「と、とりあえずメアリもケーキ食べてってば」
これ以上注意されるのが恥ずかしくなったのか、リリィは慌てて話題を変えてメアリの目の前に置いてあるショートケーキを指さす。それもそうね、とメアリは皿に乗っていた銀色のフォークを使ってケーキを食べ始めた。
エメラルの提供するケーキは特別おいしいというわけでは無いが、メアリ達の通う大学から比較的近い位置にあり他の学生たちもよく使っていた。もっぱら平日に女学生たちが使うことが多い反面、休日はあまり客が多くなく今も絶好のティータイムというのに、客はメアリとリリィを除いて誰一人としていなかった。他に人がいるとすれば、カウンターの中でコーヒーを調合している女店主フローラぐらいだろう。
「そういえば、今日はブリッディ図書館の新刊更新日だったわね」
紅茶の入ったティーカップを片手に、ふとリリィがそんなことを言った。
「それが今日の目的じゃない。今さら何言ってるのよ」
フォークの先にさくっと刺した苺を口に運びながら、さも当然のようにメアリが言う。今日の目的はエメラルでお茶をするわけではなく、近所のブリッディ図書館にリリィと一緒に本を借りに行く予定だったのだ。誘ったのはメアリで、行きつけのエメラルで待ち合わせたのだ。
「別に忘れてたわけじゃないわよ。ただ、私の読んでるシリーズで何か新刊出てたかなあと思って。キティは何を借りるの?」
「私はその・・・新刊よ」
「いや、それは当たり前だけど・・・」
何を言っているんだという顔をしたリリィははっと何かに気づいた顔になり、突然にやけた顔になった。
「もしかして・・・Mr.ロバートの新刊?」
「う・・・」
途端にメアリはぎくっと身を固まらせる。苺を口の中で咀嚼していた為、頬が奇妙な形のまま止まっている。
「サロメ?」
「っつ・・・」
「ヨナカーン?」
「・・・・・」
何も答えず、メアリは苺の咀嚼を再開する。しかし、彼女の泳いでいる視線は、リリィに質問に対する回答を抱かせるのに充分だった。リリィは紅茶を口に一度付けてから、にやにやした顔のままメアリを質問攻めする。
「キテイってなかなかおませさんよねー♪それとも、そういうことに興味津々とか?」
「わ、私はちゃんとした淑女の・・・つもりよ」
メアリが今日借りに行く予定の新刊―それは、世間一般に言われる「官能小説」と呼ばれる分類に近いものだった。特にメアリの尊敬する小説家、ロバート・ロッテンマイヤー伯爵の書く物語は、ストレートに性的な表現は無いもののそれを思わせるような描写が魅力的で、彼女もその虜となっていた。
「でも興味無いわけじゃないんでしょ?」
「人並みよっ、人並み。それこそ、リリィはどうなのよ?経済学部の・・・Mr.ヘンシェルだっけ?あの方とはどうなのよ。」
「な、何でそこであいつの名前が出てくるのよっ、ごほっ」
メアリの意外なカウンターに、今度はリリィがたじたじする番だった。飲んでいた紅茶を喉につまらせたのか、少しむせてしまっている。
「だって、昔から仲良しじゃない。大学入った頃からしか見てないけど。幼馴染なんでしょ?後、殿方のことをあいつ呼ばわりしちゃダメよ」
「あ、あいつはあいつで良いのよ。昔から変わってないんだから。別に気にしてなんかないわよ」
「ホントに?」
「ホントよ」
「ホントのホントに?」
「そう言ってるじゃない」
「ホントのホントのホントに?
「しーつーこーいー。」
「付き合いたいとか思わない?」
「な・・・!」
自分がその幼馴染と交際している姿を想像したのだろうか、メアリの質問を聞いて絶句したリリィの顔が、みるみる紅く染まっていく。頭から今にも湯気が立ちそうだ。
「つ、付き合うとか、あ、あり得ないしっ」
「リリィ、言葉言葉」
思わず粗暴な言葉遣いになってしまい、咳払いをしたリリィは椅子に座り直し居住まいを正す。さっきまでメアリが攻められていたのとは逆の光景が広がっていた。いや、この場合リリィの方が動揺が激しいので、2倍返しといったところか。
メアリは片手でテーブルに頬杖を突き、穏やかな視線でリリィを見つめる。
「リリィも素直じゃないわね。素直に気持ちを伝えれば良いのに」
「私はいつだって素直ですわ」
「変にお嬢様口調になってもダメ。さっきのあなたを見ていると、今の言葉は全く正反対に聞こえるわ」
そう指摘されたリリィはまだ若干顔を紅くしたまま、スカートを両手できゅっと握ってもじもじしている。
ああ、どうして恋する女の子はこんなに可愛いのだろう。それも、普段自分をからかってばかりの友人が、今目の前で完全に乙女になっている。これを可愛いと言わずして何と言うのだろう、とメアリは思わざるを得なかった。
「アルフは最近、その・・・周りの女の子にちやほやされてて、近づけないのよ」
「ふ~ん、だったら尚更気持ちを伝えないとね。他の女の子に取られない内に」
「取られるのだけは絶対に嫌!!」
リリィは顔を上げ、意志の強い視線をキティに向ける。そう、この顔だ。リリィは意志を強く示している時が一番輝いている。その顔には「強い女性」をイメージするにも事欠かない表情があった。
メアリは優しく言う。
「大丈夫、あなた顔は可愛いし殿方からとても好かれる印象を持ってるわ。絶対、上手くいくわよ。私が保障する」
「そう、かな・・・?えへへ」
リリィははにかんで、もじもじとしたままだった。うむ、やはり可愛い。
「よし決めた!1週間以内に、あいつに気持ちを伝えるわ!心臓麻痺するくらい、驚かせてやるんだから!」
「心臓麻痺したら、そこで終わりじゃない・・・」
突然立ち上がったリリィを諌めるかのように、メアリも立ち上がる。リリィが立ち上がった衝撃で、テーブルの上に乗っていた食器が鳴ってしまった。
「そうと決まれば図書館に行って、早速恋愛成就の本を探すわよ!行こう、キティ!」
「え、ちょ・・・」
言うが早いか、リリィは床に置いていた白色のハンドバッグを持つと瞬く間に店を飛び出していってしまった。その速さたるや、疾風のごとし。後に残されたメアリはリリィのあまりの速さに呆然とするだけだ。
「淑女たるもの、もう少しもの静かに行動しなさいよ・・・」
メアリも苦笑しながら、食器をある程度整え店を出ようとするが―
「ちょっとメアリ!」
カウンターの中にいたフローラに声をかけられた。
「はい、何か?」
「リリィに言っておいて。『恋愛のハゥトゥ本はあまり役にたたないわよ』って。先輩からのアドバイスよ」
「ミス・フローラって恋愛経験あるんですか?」
「あら失礼しちゃう。これでも、若いころはぶいぶい言わせてたんだから♪それと―」
と言って、フローラは一枚の縦に細長い手乗りサイズの紙を差し出す。そこにはショートケーキ2つと紅茶2杯分の金額が書かれていた。
「さすがに無銭飲食は無視できないわね」
「せめて払ってから出てきなさいよ、リリィ!!」
3話に続く