第1章:灰の街
初投稿です。未熟な部分もありますが、楽しんでいただけたら幸いです、会話が少ないですが、これから増やしていく予定です。
《あれ》が来る。《あれ》に捕まってはならない。そう思い、彼女は走る。暗闇の中を、ただひたすらに走り続ける。どこまで走れば良いのか、それすらも分からない。《あれ》に捕まったが最後、彼女は――
しかし必死に回転していた足はもつれ、バランスを崩し倒れてしまう。彼女は焦り、後ろを見る。《あれ》はすぐそこに迫っていた。そして、《あれ》は彼女に覆いかぶさり――
「いやあああああああああああああああ!!」
絶叫を上げ、跳ね起きる。視界に入ってくるのは見慣れたクローゼットとタンス、そして鼻を付く少し埃くさい匂い。
「はぁ・・・はぁ・・・。またこの夢・・・。」
乱れた息を整えながら、彼女―メアリー・スチュアートは呟く。ここ最近、同じような夢ばかり見る。暗闇の中を《あれ》に追いかけらる夢。捕まったらいけないと本能が叫び、ただひたすらに逃げるが捕まりそうな所で目が覚める。
「私が何したって言うのよ・・・。」
何か良くない事の前兆だろうか―。一瞬、そう思いかけたがかぶりを振る。
「馬鹿馬鹿しい・・・。着替えよ。」
メアリはベットから降り、着替え始める。さらっとした腰まで伸びる金髪が、窓から差し込む朝日に照らされ動くたびに輝いている。彼女の自慢の髪であり、彼女自身を印象づける部分でもある。
今日は外出をするから、おめかしして服も綺麗なのを選ばなければならない。メアリはいつも、外に出るときは明るい青色の一体型のドレスを着て出かける。今日もそれにするつもりだった。
「外見だけ整えてもね・・・。」
はぁ、っと深いため息を付いて鏡台に座ったメアリは自分の部屋を見渡す。木張りの床で歩く度にギシギシ鳴ってしまう、古い部屋だった。家の最上に位置するため、天井はA字型になっており天窓から差し込む朝日が埃の積もっている床を照らしている。部屋の中にはベット、タンス、クローゼット、鏡台、それと学習机くらいしか置いてない女の子らしくない質素な様相だった。
鏡の方を向くと、夢のせいで少しやつれたような自分の顔が映る。友人からは綺麗な顔立ちだ、と言われているが自分でそう思えないのは自惚れたくないからだろうと言い聞かせてみる。その瞳は正面から見て右が青色、左が金色―いわゆるヘテロミクアと呼ばれる状態だった。
このような状態になったのは1か月ほど前。元は青色だった左目は突然金色になり、瞳孔も猫のように縦に細長くなってしまった。視覚的には問題ないが、人と話す時は割と目立つ部分である。医者に見せても原因不明、メアリ自身も思い当たる節が無い-そんな現状である。
髪と身だしなみを整え、メアリは1階に下りる。誰もいないリビングを抜け玄関に向かい、黒色の傘を持ちドアノブに手をかける。
「行ってきます。」
誰かがいるわけでは無いが、出かける時はこう言わないと気が済まない。開け放たれたドアが静かに閉まり、ドアに吊るされた鈴がからんからんと無人の家に響いた。
「今日も良い天気ね。」
外に出たメアリは空を仰ぎ見る。そこには雲一つない青空-では無く灰色の煙に覆われた空があった。
最早雲の状態になっているどよんとした煙が空を覆い、太陽の光を遮っているのだ。それでも全てを遮断することはできないのか、時々白みがかかっている部分がちらほらと見える。
「これでも良い方だと思わなければ、やっていけないわ。」
メアリは言い聞かせるようにして、傘を挿して石畳の上を歩き始める。ガス灯が薄暗い街中を照らし出し、車道には馬車が闊歩している。メアリの歩き出した歩道には老若男女様々な人々が行き来しており、メアリと同じくらいの女学生や貴婦人は、メアリと同じように傘を挿している。空から降ってくる微小の灰がかからないようにするためだ。殿方は気にならないだろうが、女性としては少しの汚れも付くのが嫌なのだ。
通りの両側には煉瓦でできた2階建ての建物が立ち並び、喫茶店や本屋、靴屋、雑貨店などがある。その全てが2階建てで統一されているのが、メアリの住んでいる通りの特徴と言ってよいだろう。通りの遥か向こう側には、街の中心部にそびえ立つ巨大な赤色の時計塔-ビック・シグナルが見える。だが、その時計盤の部分は灰雲で覆われて見えない。メアリはビック・シグナルが見れない代わりに、ドレスの右ポケットから真鍮製の懐中時計を取り出した。開くと、時刻は午後2時にさしかかろうという所で、ティータイムには丁度良い時間帯である。
しかし、メアリが起きたのはまだ30分前。つまり、彼女は午後過ぎまで寝ていたことになる。
「この不規則な生活もどうにかしないとねー・・・。でも、論文はまだまだたくさんあるし・・・いっそのこと、何枚か破り捨てちゃおうかしら。」
お嬢様らしかぬ台詞を呟きながら、メアリはある一軒の喫茶店の前にやってきた。イスとテーブルが外に何個か置かれており、ガラス張りの店の中には数人の客が見える。その全てが女性だ。皆、思い思いにカップに口付けたり本を読んだりしている。
「もう、いるかしら?」
メアリがドアのガラス越しに覗き込もうとすると、そのドアが開いて危うく顔にぶつかりそうになる。中から出てきたのは、茶色のエプロン服を着たメアリより一回り背の高い貴婦人である。
「あら、メアリ。今日はどうしたの?」
「ミス・フローラ。今日は友人とここで会う約束をしてますの。」
フローラと呼ばれた顔立ちの整った貴婦人は、かけていた丸眼鏡をくいっと上げてメアリに質問する。
「友人・・・あらあ、もしかして殿方?」
「友人と言いましたよ、ミス・フローラ。女友達です。」
「あなたも中々隅に置けないわねえ♪いつから、殿方と密会をするようになったのお?それと、私のことは『フローラさん』で良いわよ、うふふ。」
「・・・人の話聞いてます?変な部分はちゃんと聞いてるくせに。」
フローラは快活に笑い、逆にメアリはぶすっとして頬を膨らませる。エプロン姿の女性-フローラ・アシュリーはこの喫茶店「エメラル」の店主である。女手一つで経営してきた凄腕であり、結婚こそしてないものの「できる女性」と言って差支えない人物である。
「だって、私のメアリが人と会うだなんて・・・気になっちゃうじゃない♪」
「私はフローラさんの物ではありません。それに、私が滅多に人と会わないみたいな言い方はしないで下さい。ちゃんと私の交友関係は普通です。」
「あらそう、でもたまには殿方とも話しなさいよ。」
「よく話しかけられますよ・・・。主に、眼の話を始点にして。」
そう、一見美人なメアリはよく男子生徒から話しかけられる。ただ、その文句はいつも似たようなものばかり。
-ねえ、その眼どうしたの?
-見にくい事とかないの?
-医者には見せたかい?
いつも、自分の右眼のことを気にかけられる。そうでもしないと、話を作れないのがメアリの周りの男子生徒なのだ。この猫のような右眼は、目立つことこの上ないのである。
「あなたの右眼、私は素敵だと思うわ。私もそんな眼が欲しかったなあ。」
そう言うフローラの目は碧色である。彼女から見ればメアリの瞳は宝石のように映るのだろうか。
「良いものでもないですよ?単に目立つだけですし。それより、来てます?」
「殿方?」
「・・・・飲み逃げしていいですか?」
「ああ、うそうそ!ごめんってば。うん、もう来てるわよ。中に入りなさい。」
そう言って、フローラはメアリを店内に案内する。入って左に木製のカウンターがあり、コーヒー豆の砕粉機が置かれている。右にはテーブル1つとイス2つのセットが等間隔で置かれており、木張りの床の広さはメアリの部屋の2倍といったところだろうか。
そのテーブルとイスのセットの一つに、メアリの目的の人物は座っていた-。
2話に続く