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水色の災難 後

 私を肩に乗せた護衛さんが廊下をしばらく歩いていくと、壁画が施されている少し開けた場所に出た。

 壁画は騎士団の行進をモチーフにしているみたいだ。鎧を纏って槍や剣を手に手に携えた勇壮な男の人たちが、厳めしく顔を引き締め、整然と列を成している。その躍動感溢れる様子が、多彩なタイルを用いて描かれていた。

 そしてその前には猛々しい壁画には似つかわしくない、花のごとき可憐な風情の二人組が立っている。

 リディとティナさんだ。

 この二人、並んで立っていると本当に眼福だ。写真を撮ったら結構な値段で売れるかもしれない。――っと、そんなお小遣い稼ぎめいた不純なことを考えている場合じゃなくて。

 リディなら気付いてくれるかもしれない!


「リーリ! リーリ!」


 私はリディの所へ行きたくて、降ろしてもらえるように手足を振り回し、じたばた暴れた。


「おい、じっとしてなきゃ危ないぞ。降りたいのか?」


 そう言うと護衛さんは、私を丁寧に降ろしてくれる。私はリディたちの方に向かって勢いよく足を踏み出した。

 ……つもりだった。

 自分の身体がお子ちゃまだということをすっかり失念していたのだ。

 いつもの調子で走ろうとすると、短いくせしてこの足は器用にもつれてしまい、結果、私は前向きにコロンと転げてしまった。

 そう、ベチャリとではなくコロンとなのだ。

 この突き出たお腹が原因なのか、それとも全体的に丸っこいフォルムが災いしているのか。まだまだ未発達なお子ちゃまの身体は、脳のお達しが身体の各部へ届くまでにかなりの時間を必要とするらしく、腕を突くことができないままお腹から頭にかけて、身体の正面に沿って半回転してしまった。

 そしてその勢いは、突っぷした状態の顔面でピークを迎える。

 例えていうならば、かまぼこ型をした半円の積木が、もうあと少しで回りきるかきらないかという溜めに溜めた

瞬間――

 やけに静まりかえった空気の中、額を支点に反り返っていた私の胴体と足が着地する音だけが、異様なほど周囲に響いた。

 俯せ状態で地に伏せていた私は手を突いて、高級感溢れるすべすべした石の床と仲良くしていた顔をムクリと上げる。するとポタッと赤い雫が落ちてきた。

 鼻血だ……。

 なんとなく、小さい子の鼻が低い理由が分かった。高かったら多分、大人へと成長するまでに折れ曲がっている。


「だ、大丈夫か、嬢ちゃん!」


 狼狽えた声が聞こえ、脇の下に手を差し込まれたかと思うと、そのまま抱き上げられた。

 護衛さんは私の顔を覗き込むと、まずは「うわっ、鼻血だ!」と驚く。それから、見ているこちらが宥めたくなるくらいに慌てふためいた様子で、ハンカチを取り出した。次にそれを、口に咥えてから片方の手で引っ張って裂いてしまうと、器用に丸めて私の片鼻に突っ込んだ。どうやら血が出ているのは片方だけらしい。

 手当をしてくれた護衛さんにはもの凄く感謝の念が湧いてくるけれど……。

 けれどだ! 花も恥じらう年頃の娘が、鼻に布を詰めている図というのは如何なるものか?

 いくら今の見かけがお子ちゃまだといっても、妙に悲しいものがある。

 うううっ、深く考えても仕方ないか……。精神衛生のためにもあんまり気にしないようにしよう。


「えらいぞ嬢ちゃん、よく泣かなかったな」


 などと保父さんが子供を褒めるように笑いかけてくる護衛さんに、頭をワシワシ撫でられてしまった。

 でも体型のおかげなのかそんなに痛くなかったし、少し鼻はジンジンするものの、血が出てビックリしているくらいなのだ。

 大丈夫だよという意味を込めて、あーとか言いながら肩をポンポンと叩いてやる。


「嬢ちゃん!」


 ――ぐえええええ!!

 感激した護衛さんに抱き潰されてしまうところだった。も、もうちょっと手加減してほしい……。


「ガスト様、その子は大丈夫ですの?」


 危うく全身の骨を折られかけていると、近付いてきたリディが声をかけてきた。幾分控え目な様子なのは、多分、一連の出来事に引き気味なんだと思う。

 護衛さんは突然表情を改め、私を抱えたまま丁寧に腰を折る。


「リデル様、クリスティーナ様。夜空に燦然と輝く星々が、その玲瓏たる煌めきを知らしめる為に使わされた美の化身の如く、常に麗しくていらっしゃるお二方にお会いすることが叶い、この身打ち震えるほどに光栄です。――幸い、大した怪我はなかったみたいですよ」


 さむっ! 氷点下の冷凍庫に放り込まれたみたいに、全身が凍りつきそう!

 よくもまあ、こんな歯の浮きそうな挨拶を澄ました顔して唱えられるもんだ。私は鳥肌を立てた腕をさすりながらも感心してしまった。完璧な笑顔で応えているけれど、リディなんて内心では壮絶に毒吐いているんじゃないの? 

 それはともかく、この護衛さんはガストさんという名前のか。


「それはよろしゅうござました。お嬢ちゃん、あなたの名前はなんと仰るの?」


 ティナさんが優しく名前を尋ねてくれるけれど、残念ながらちゃんと発音できない。「あーうー」なんて言葉になってしまった。ごめんなさい、ティナさん。


「それが、名前も誰の子供かも分からないんですよ。今、親を捜しているところなんです」


 なっ、嬢ちゃん、とガストさんが私に同意を求めてくる。相づちのために唸ろうとしたら、ティナさんがのんびりした調子でグサリとガストさんにダメージを与える発言をした。


「あら、ガスト様の娘さんだとばかり思っておりました」

「私もですわ。髪の色も同じことですし」


 リディまでもが追い打ちをかける。

 確かに、ガストさんは目の色こそピンクだけれど、髪の色は今の私と同じ明るいオレンジ色だ。親子に見えても無理はないのかもしれない。

 ガストさんの方を見ると大層ショックを受けた様子で、顔に笑みを貼りつけながら口元を引き攣らせている。意地でも愛想の良さは崩さないぞという表情だ。中々天晴れな人だな。


「ご冗談を。私はまだ結婚する相手も決まっておりませんよ」

「あら、でも確か以前にお城の庭を、どちらかのご令嬢と散歩していらっしゃいませんでしたか? とてもお綺麗な方でした」

「ええ、仲睦まじいご様子で。ティナと一緒に微笑ましく拝見しておりましたのよ」


 ティナさんとリディにたたみかけられ、ガストさんはビクリと肩を揺らした後、崩れそうな表情をなんとか取り繕った。この二人、意外と容赦無いコンビかも。


「迷ったというご婦人を案内して差し上げただけですよ」


 見かけはなんでもない風を装っているけれど、私を抱えている手からは動揺を表すかのように、小刻みな震えが伝わってくる。なんか、痛い所を突かれたみたいだ。


「あら、でも腕を組んで――」

「それではこの子の親を捜さねばなりませんので、これで失礼いたします」


 ガストさんはティナさんの言葉を途中で遮り、ではと二人に言い置いて、逃げるようにその場を離れた。

 なんだか状況に呑まれてしまって、リディに気付いてもらおうとする努力を忘れてしまった。



 少し早足になって歩いていたガストさんが、「危なかった……」と一息吐いたところに、前から来た二人組が声をかけてきた。ちなみにもう鼻血は止まったので、布は取ってもらっている。


「ガストじゃないか。その子供はどうしたんだ?」


 わっ、王太子殿下! ……と、ヘンリー父さんだ!!


「とーさ! とーさ!」


 一気に嬉しくなり、私はヘンリー父さんの所へ行きたくてじたばた暴れた。


「駄目だぞ嬢ちゃん、さっきこけたばかりだろ? ほーら、高い高い!」


 ――ひええええええ!!!

 私をあやすように軽く揺すったかと思うと、ガストさんは私の脇を持ってプランと掲げ、突然高々と真上に放り投げた。

 そう、放り投げたのだ!

 普通、高い高いっていうのは、せいぜい数十センチ、手から離れる程度に放るもんじゃないのか? この人が今している行為で、私は多分一メートルは飛んでいる。

 この嫌な浮遊感。落ちていく時の胃が持ち上がる、気の遠くなるような感覚。

 その幼児虐待とも取れる行いを、三回も繰り返されてしまった私はフラフラになってしまい、グッタリとガストさんに寄りかかった。


「なんだ、嬢ちゃん? はしゃぎ疲れたのか?」

「私には肝を潰しての茫然自失状態に見えるが……」


 全く状況の把握ができていないガストさんに、王太子殿下が冷静な所見を述べる。

 苦手な人だけれど、今だけは王太子殿下の意見に拍手を以て感謝したい。分かってくれてありがとう!

 ガストさん、凄くかわいがってくれようとするのは伝わってくるんだけれど、なんというか、愛情表現が大味だ……。

 そんな光景を見て心和むとでも思ったのか、ヘンリー父さんが的外れなことを尋ねてきた。


「仲がいいな。ガスト君、君のお嬢さんなのかな?」


 ここにいるのはあなたの娘なんですよ、ヘンリー父さん!


「何を仰るんですか、ヘンリー様。私には未だ子供を与えてくれるような女性はおりませんよ」

「そうか? お前ならある日突然赤子を抱いた女に、お前の子供だから責任を取れと詰め寄られても、不思議はなさそうだが」


 王太子殿下がからかうように言うと、ガストさんはギクリと全身を揺らした。なんだかうっすらと汗までかいている。すぐに否定しようとしないところから判断すると、図星を指されたみたいだ。思わず半目になってガストさんを見てしまう。


「止めてくれ嬢ちゃん、なんて目で俺を見るんだ! レジー様、子供の前でそういう誤解を招くようなことは言わんでください!」

「お前こそ何を必死になって凌ごうとしているんだ? その子供にはまだ理解できんだろう」


 王太子殿下が私の顔を覗き込んできたので、思わずガストさんの首にしがみついて顔を隠してしまった。なんとなく、この人には見破られそうな気がする。そうなったらなったでなんか嫌だ。


「レジー様、嫌われてますな」


 私の反応を目にしたガストさんが、仕返しだとばかりに嬉しそうな声で言う。


「お前は好かれているようだな。本当の親子に見えるぞ」


 折角反撃したのに、軽く躱された上に迎え撃たれたガストさんは項垂れているようだ。

 可哀想だったから私は顔を上げて、元気出しなよ、と頭を撫でて慰めてやる。

 そうすると、また「嬢ちゃん!」と声を詰まらせたガストさんに圧死させられそうになってしまった。

 く、苦し……。


「それにしても、その子供が着ている服はどこかで見たような気が……」


 暑苦しい拘束から逃れようともがいていると、呟いたヘンリー父さんが私をじっと見詰めてきた。

 気付いてもらえるかも!


「そろそろ行くぞ、ヘンリー」


 多大に期待したところで、王太子殿下がヘンリー父さんに声をかけ、二人は連れだって行ってしまった。

 むむむ、残念。



 ヘンリー父さんたちと別れた私たちは、またもや存在しない私の親を捜して彷徨っていた。こんな調子で、果たして帰ることができるんだろうか?

 でもまあ、イヴの話では明日の朝には元に戻れるっていうし、いざとなったらそれまではガストさんのお世話になろう。結構、面倒を見てくれそうだ。この雑さ加減に私の身体が保つかどうかは分からないんだけれど……。

 などと勝手なことを考えていると、こんどは更なる二人組にバッタリ行き会った。

 今度の二人は――

 アステルとベルナールさんだ!


「あーう! あーう!」


 私はアステルの所へ行きたくてじたばた暴れ――ようとして思い止まり、ガストさんの首にひしと囓りついた。

 暴れる度に鼻血を出したり、空高く放り投げられたりと、ろくな目に遭わなかったからだ。

 そんな私にガストさんは何を勘違いしたのか、ニンマリと目尻を下げる。


「そうか~、嬢ちゃんはそんなに俺のことが好きなのか~」


 せっかく喜んでくれているのに申し訳ないんだけれど。

 断じて違うぞ!

 純然たる保身のためだ!!


「……お前にそんな、いとけない子供がいたとは知らなかったな。祝いの言葉を贈らせてもらおう、ガスト」


 この人、会う人毎に同じことを言われている。一体、普段に何をしているんだろう?


「お前までそれを言うのか、ベルナール……。もういい……。なんか、本当に自分の娘みたいに思えてきた……」


 うーん、確かにここまでガストさんの子供、子供と言われ続けてくると、私もガストさんが父親に思えてきた。でも父さんは既にいるし……


「嬢ちゃん、俺の娘になるか?」


 背中を撫でてくるガストさんをパパとでも呼んでやろうかと思ったところで、アステルが怪訝な顔をしながら私を凝視していることに気がついた。

 んん? ひょっとしてこれは?


「ガスト、俺にもその子を抱かせてもらえませんか?」

「ええ? お前子供好きだったっけ? ……いいけど……。嬢ちゃん、嫌じゃないか?」


 何かを期待するように尋ねてきたガストさんに、コクコクと頷きを返して、アステルの方へ両手を伸ばす。その反応に抉られた様子のガストさんは、苦虫を潰したような顔をしながらも、私をアステルに手渡した。


「――もしかして、桜ですか?」


 さすがはアステルだ!

 他の二人には聞こえないよう小声で確かめてきたアステルに、肯定の意味を込めてブンブンと首を上下に振る。すると何故か深々と溜め息を吐かれてしまった。その長い長い溜め息の意味が気になるんだけれど……。


「ガスト、保護してくださってありがとうございます。この子は知り合いのお嬢さんです。俺からご両親の元へ帰しておきますので」


 アステルは私を抱え直し、ガストさんに作り話をした。


「本当か、嬢ちゃん?」

「俺は幼児誘拐の犯人ですか……?」


 ガストさんは疑り深く質問しながらも、私が嫌がる素振りを見せないので、渋々ながら納得したようだった。


「――元気でな……」


 やけに寂しそうな声音で別れを告げながら、頭を撫でてくる姿に哀愁を感じる。

 何とも憐れな様子だったから、私はガストさんの方に手を伸ばした。とても世話を焼いてもらったのだ。このままお別れしてしまうのは可哀想な気がする。

 そしてガストさんが嬉しそうに抱えてくれたので、頬にキスをしてやった。大サービスだ。


「嬢ちゃん!」

「もういいでしょう」


 感無量、といった面持ちで歓喜を噛み締めているガストさんに、またもや抱き込まれそうになる。その寸前、不機嫌そうな声を出したアステルに後ろからひょいと引っこ抜かれてしまった。

 異様な圧迫を感じ、振り向いてアステルの顔を見ると。――ぎゃっ、怖い笑顔だ!


「バド! もうちょっと別れを惜しませてくれてもいいだろう!」

「充分です。ではこれで」


 涙ぐみそうになりながらこちらに手を差し伸べてくるガストさんを捨て置いて、私を抱えたアステルは無情にもさっさと歩き出してしまった。


「後で説教です。今回は長いですよ」


 アステルの容赦無い言葉に背筋が縮み上がる。

 何故!? 今回、私は怒られるようなことはしてないのに! むしろ被害者なのに!

 ガストさんへ名残惜しく手を振っている最中に、そんな恐ろしい予告を宣言されてしまったものだから、私は優しかったパパの元へ本気で帰りたくなってしまった。


 

 翌朝になっても何故か身体は大きくならず、私が元の姿に戻れたのは小さくなってから三日後のことだった。

 それまでの間、「アステルやリディの小さい頃を思い出すな」と懐かしそうに目を細めるヘンリー父さんや、「桜がこんなにかわいかっただなんて知りませんでしたわ」と失礼な憎まれ口をたたくリディ、その他エレーヌやソフィアの使用人さんたちやグアルさんまで加わって、地に足を着ける暇もないほど構われ続けた。そのおかげで私の眉間には、中々取れそうにない皺が深く刻み込まれた。多分、私が本当にこの歳の子供だったら、このうんざりさ加減に癇癪を起こして泣き叫んでいたと思う。

 でも一ついいことが。

 説教をすると脅していたアステルも、無垢なお子ちゃま姿の私にガミガミと小言を垂れるのは気が咎めるらしく、二言三言注意されただけで案外あっさりと打ち切ってもらえた。

 これにはしてやったりと内心で喝采をあげていたけれど、世の中そんなに甘くないようで……

 後日、元の姿に戻った私が王城でガストさんに会った時に、思わず「あ、パパ」とうっかり口走ったところを傍にいたアステルにしっかり聞かれてしまい、部屋に連れていかれて結局は懇々とお叱りの言葉を聞かされ続ける羽目になってしまったのだった。


 ちなみにカツラはイヴが置いてくれていたらしく、寝室のベッドに乗っかっていた。


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