水色の災難 前
※この話は一つ前の『命はぐくむ水の玉』と関連があります。そちらを先に読んでいただけますと、より楽しんでいただけるかと思われます。ちなみに読まなくても差し支えはありません。本編との兼ね合いが色々ややこしいので、パラレル的なものと考えてください。
今日、私はヘンリー父さんにくっついて王城に来ている。
王様に用事があるというヘンリー父さんとは一旦別れ、後ほどアステルの部屋で落ち合うことにして、せっかくだからとお城の中を歩き回ってみることにした。
今日は城内に入るということでワンピースなんかを着せられてしまった。けれど身体を締めつけないデザインだし、履いている靴もヒールが太くて低いローファーで、動きを妨げられることもない。
ちなみにもちろんカツラは標準装備だ。
まずは一階から攻めてみよう! 私は意気揚々と歩き出した。
そしてお約束のように現在地が分からなくなった私は今、ある物置部屋のような所へ迷い込んでいる。
いかにも古そうな額縁や、年月が経ちすぎて、何が入っているのか怖くて想像したくない物入れ。風格のあるどっしりとした椅子に、骨董品の雰囲気を醸し出している陶器類。そういった歴史を感じさせる物品が、元は真っ白だったと思われる黄ばんだ布を被せられて、ごちゃごちゃと適当に放り込まれているのだ。そしてかなり埃っぽい。
こういう物は明るい所で鑑賞する分にはいいけれど、薄暗い中で、しかも独りぼっちでというのは少々おっかない。
早々に出ようと扉に向かいかけたところで、数ある棚の一つに収まっている、小箱に目が引きつけられた。
近づいてよく見てみる。手の平サイズのピカピカ光る金色をした四角い小箱は、黒い革で出来た下敷きの上にちょこんと鎮座していた。
古い物ばかりが置いてあるこの場には不相応に新しい。蓋に三角形で薄い水色の透明の石がはめこまれていて、妙な吸引力で以てこれを手にとって開けるのだと誘惑してきた。
悪魔の囁き的な悪い予感はしたけれど、手が勝手に動いて小箱を掴み上げる。
透明の石はアクアマリン……なのかな? 真ん中部分が少しだけ盛り上がっていて、三角錐のような形になっていた。それを見つめていると、さっさと開けて中身を確かめなきゃ、という焦燥感が芽生えてくる。
――早く。早く。
心の中では止めときなよという声が大きく主張していたけれど、手はあっさりと蓋を持ち上げてしまった。
その瞬間――
「桜……、駄目……!」
声と共に、いきなり人影が現れた。
萌黄色の髪と目、肩に梔子色の鳥を乗せた、おさげの女の子。イヴだ!
どうしてイヴがここに現れるんだろう?
疑問に思いながらも、何かおかしいことに気付いた。子供姿のイヴは私より背が低いはずなのに、逆に私の方が見下ろされているのだ。仰ぎ見る格好になっている私の頭からは、やけにサイズが大きくなってブカブカしている、頭に被っていたカツラがズリ落ちそうになっている。
咄嗟に抑えようと上げた両手が目に入った途端、私は仰天した。
そのままカツラは床に落ちてしまったけれど、そんな些細なことを気にしている場合じゃない。
だって、私の手!
思わずまじまじと凝視した小さくてぷっくぷくの甲には、ヘラで押したみたいなえくぼがポツポツとついている。手の平は労働知らずで、重い物なんか全く持ったことがないんだろうなってくらいすべすべでやわやわ。手首は赤ちゃん人形を彷彿とさせる、輪ゴムをはめて埋まっているかのような肉付き具合。
視線を下に持っていって自分の身体を見下ろしてみると、いかにも幼児体型です。それとも実は妊婦さん? と問いかけたくなるほどに丸いお腹。足元はその突き出た胴回りでいい感じに遮られて、足先しか見えない。
そしてとんでもなく床が近い。っていうか、目線がいつもよりダントツに低過ぎる。
何これ! なんだこれ!!
「いーぶぅ……?」
私としては、「イヴ……? いつもと色々違うところがありすぎて、どこの部分から訊いたらいいのか分からないんだけど……。なんかおかしいよね?」
と言いたいのだ。でも、舌が回らない!!
もどかしいことに、思うように言葉になってくれないのだ。
イヴがこちらへ近付いてきたので、さらにグイッと仰け反りそうになるほど顎を高く上げて見る。すると本当に仰け反って、ペタンと尻餅をついてしまった。やけに重心が安定しなくてバランスを取りづらい。
「桜……!」
イヴの慌てた声と梔子の羽音が聞こえたと思ったら、急いで抱き上げられた。しかも軽々と。
子供姿のイヴに、こんなにも簡単に抱えられるなんて。私はさっきまでより高くなった視界に茫然とした。
信じたくない。理解したくないけれど、自分で見た範囲で認識する限り。
さらにこの状況を鑑みて総合的に判断すると。
「桜……、可愛い……」
その声を受けてイヴに目線を移すと、ニコニコと頬を緩ませて私を見ている。
この慈愛に満ちた眼差し。この目はあれだ。小さい、幼い生き物を見た時に自然と溢れてしまう輝き……。
「いぅー!!」
私はイヴと言いたいんだ!!
イヴの肩をパシパシ叩いて精一杯に目線で訴えかけると、イヴは何かを得心したのか、壁に掛けられている鏡の前に、てくてく移動した。
緑青が浮き出ている蔓草模様の真鍮で縁取られた、頭から胸までが映る楕円形の結構大きな鏡だ。ちょっと曇っているけれど、姿を映すだけなら問題無い程度。
うん、イヴが映っているのは上半身。
でもイヴに抱っこされている、年の頃推定二歳にもなっていないであろうお子ちゃまは、ほぼ全身が映っていた。
鏡を凝視している私を見つめ返しているのは、明るいオレンジ色の細くて柔らかい髪に、パッチリとした薄茶のつぶらな瞳。ぺちょんと低くて小さな鼻、ふっくらとした下ぶくれの頬。全てのパーツがまだまだ赤ちゃんぽさを存分に残していて、美醜はともかく文句なしに愛くるしかった。
見覚えのあるワンピースを着たその子は、私が試しに首を傾げてみると可愛らしく首をちょこんと傾ける。私が足を振ってみると、これまた見覚えのあるローファーを履いたその幼児も、太くて短い足をプラプラさせている。
髪と目の色は違うけれど、この顔はアルバムで見た覚えがあるぞ。
これって紛れもなく!
「う゛ぁー」
私じゃんか!
と言いたかった私の何を勘違いしたのか、イヴは「よしよし……、可愛い……」と頭を撫でてきた。
うがー、まどろっこしい! 私は言葉の大切さを痛感した。
身振り手振りのジェスチャーに加え、雄弁に語っているであろう目ヂカラによって、なんとか苦労しながらもイヴから話を聞き出すことができた。ちなみに梔子はどっしり椅子の背に留まって、毛繕いをしている。
「原因は……、アクアマリンのイタズラ……」
「あーぐー?」
アクアマリンってユヴェーレンの? って尋ねたい。
「そう……。アクアマリンは……、魔道具を作って……、どこかに紛れ込ませて……それを人に試させる……」
「う゛ぁっ! う゛ぁっ!!」
一方的に人体実験しているのか! なんてはた迷惑な人なんだ!!
なんか、ユヴェーレンって実はそういう変な人の集団なんだろうか? 言っちゃ悪いけれど、イヴだってかなり個性的だ。
イヴは、自分が持って帰ると告げて、小箱をローブの袖に仕舞い込んでしまった。
でも魔道具って、私じゃ扱えないと思うんだけど、どうして作動してしまったんだろう?
「うー?」
「ホープのペンダントと同じ……。扱う方に魔力が無くても……効力はある……」
そうだったのか。
ううう、使ってみたい魔道具は一杯あるのに、なんで魔力無しでも発動する魔道具が、よりによってこんなわけの分からない代物なんだろう? 大体、こんな厄介極まりない物に関わってしまう時点で、運から盛大に見放されているような気がする。
私は自分の不運を大いに嘆きたくなった。
イヴの説明によると、この魔道具は箱を開けた人の姿を変えるらしい。ところが恐ろしいことに、どんな姿に変身するかは、例え作った本人でも結果が出てみないと分からないらしいのだ。
動物、魔物、植物、時には無機物。
そして若返ったり年取ったり、性別が変わったり。その場合は身につけている物は伸縮するし、髪や目の色まで変わってしまうというこだわりっぷり。でもカツラは想定外だったのか、変化がなかったな。
私は思わず、この部屋に置いてある年代物の数々を見回してしまった。もしかして、この中にも変身させられてそのまま放置されている物があったりして……。うわわっ、ぞくっときてしまった。
私は背筋がヒヤリとする想像を振り払い、次なる疑問をイヴにぶつけた。
「おーぶー」
「これはただのイタズラ……。害意はない……」
……私が何を言いたかったのか、よく通じるな。
慣れてきたのかな? イヴって凄いかも。
ちなみにペンダントの翻訳機能は、幼児言葉までは通訳してくれないらしかった。
訊きたかったのは、ホープのペンダントがあるのに、どうして魔道具の効力が防がれなかったのかってことだ。ホープは、敵意を持って掛けられる魔術は無効にしてくれると言っていた。だから不思議に思ったのだ。
それに対するイヴの返答だったんだけれど……。
納得イカン!
イタズラっていうのは漢字で『悪戯』と書くんだぞ? 害意はなくても悪意はあるんじゃないのか? 充分実害は受けていると思うんだけれど!
溢れるツッコミを込めてイヴを睨みつけると、笑み崩れて喜んでいる。
駄目だ……。この姿で凄んでも全然通じないし、イヴはイヴで、本当にこれはただのイタズラでしかないと思っているみたいだ。
か、感覚が違いすぎる。やっぱりイヴはユヴェーレン。一筋縄じゃいかないらしい。
脱力している私の気配が伝わったのか、イヴは私の背中をあやすようにポンポンと叩いて慰めた。
……精神年齢は十七歳のままなんだけど。イヴ、忘れてやしない?
「大丈夫……。多分明日の朝には戻るから……」
それを聞いてホッと安堵してしまった。このまま人生をやり直さなきゃならないのかと思ってしまったのだ。それはさすがに遠慮したい。……多分っていう部分が少し気になるけれど。
嬉しくなって首にガッシと抱きついたら、感極まったイヴにえらい力で抱きしめ返された。
「ぐぐぅ……」
私の喉の奥から、苦しみを訴える呻き声が漏れる。
潰れる! 潰れるって!!
ごめんと謝って脅威の抱擁から私を解放したイヴは、抱えている私を床に降ろす。
「これから、どうしたい……?」
うーむ。今の私を見て分かってくれるとは思わないけれど、とりあえずは当初の予定通り、アステルの部屋へ行ってみようか。ちなみに今、私は腕を組んで考えているつもりなんだけれど、手が短かすぎて組めてなかったりする。そしてそれを目に入れて、イヴがまた「可愛い……」と悶えていた。
じゃあ、アステルの部屋へ連れてって。そう頼むべく口を開きかけたところで、イヴがハッと何かを感知したみたいな様子で扉の方を向く。
「誰か来る……」
呟くと同時に梔子がイヴの肩に飛んできて、一人と一匹は瞬く間に姿を消してしまった。
――あれ、もしかして置いていかれた?
あっという間の出来事に脳の処理速度が追いつかず、イヴたちが消えた地点をポケッと見詰めながら立ち尽くしていると、扉を開けて誰かが入ってきた。
「確か、この部屋に置いてあると思ったんだがな……。おっ、あったあった」
入ってきた男の人は私が小箱を取った棚に近付くと、いかにも安堵したような様子で何かを手に取った。
あれって、小箱を乗せていた下敷きだ。なんであんな物を探しにきたんだろう?
不思議に思って下敷きをよく見てみると、どうやら厚さの薄い手帳のようだった。男の人が、見るからに助かったという、まるで犯罪者が瀬戸際で重要な証拠を隠滅することに成功した、というような調子で息を吐いている様子からすると、他人に読まれたら不味いことでも書かれてあるのかもしれない。
うーむ、惜しいことをしてしまった。あれが手帳とは気付かなかったのだ。もし読んでいたら、この人の弱みでも握れていたかもしれないのに。
私がどす黒く邪な考えを抱いていると、男の人がうん? とやっと気づいたらしき感じでこちらを向く。
さらにうんん? と、まるで小さな虫なのか床のシミなのか判別つきかねるという風に、眉を顰めながら近付いてくる。ちなみにそういう時、本当に虫だったら私は速攻で誰かを呼びにいく。
男の人が膝を着いて視線を合わせてきた。
「だーん?」
だから気のいい私が存在を明らかにしてあげるべく、何か用? と声をかけてあげると男の人は、
うわっ、びっくりしたあ! と手を後ろの床に着いて仰天していた。大袈裟な人だな。
「人形かと思っていたのに、子供だったのか……」
そんな、人形のように可愛いだなんて照れるじゃないの。私は男の人に好感を持った。
それはともかくこの人、見たことある。確か謁見の時にもいた、王太子殿下の護衛さんだ。着ているのも薄い群青色の護衛服だし。
「嬢ちゃんよ、こんな所で何してるんだ? 迷ったのかい?」
「あーー」
どうせ通じやしないんだから、と私はいい加減に声を出しておいた。
一言では説明できない込み入った事情があるんだよ。
「参ったな、親は探しているんじゃないのか? ――よし、一緒に探すか。二十年後にでも、この親切を思い出してくれよ」
護衛さんは張り切ったように私を高々と抱き上げると、肩にトスッと乗せてくれた。
親切ないい人だ。私はさっき邪な考えを抱いたことに、罪悪感を覚えてしまった。でも後半の余計な一言は聞かなかったことにしよう。
それにしても、いくら私が高い所好きといっても目線に高低差がありすぎて少し怖い。落ちないように支えてくれてはいるけれど、バランスを取るために、護衛さんの頭に短く太い腕を回しておいた。
この人に連れていってもらったら、もしかしたらアステルに会えるかもしれない。
「それじゃ、行くぞ」
「おー!」
声をかけ合って、私たちは部屋の外へ出たのだった。