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花嫁の父

 ガストはベルディア出身ではない。

 根明で大らか(不真面目ともいう)、大抵の出来事はすんなり受け止め、女性には何を置いても多大なる感心を向けるというどこぞのユヴェーレンと同じような性質を持つ彼は、典型的なエルネット男といえる。独り身という身軽さと、いちいち長い距離を移動する必要もないということで、常に職の対象である王太子殿下の身近、王城の自室で寝泊まりしていた。これについてガストは、自分を護衛の鑑のようだと評している。

 そして夜。

「今夜は寝かせないぞ!」というどう考えても遣う相手を間違っているだろう気色悪い台詞と共に自室へアステルを引っ張り込み、ついでに「私も混ぜろ」とついてきたレジーを交え、男三人の侘びしい飲み会と相成っている。残念ながらもう一人の護衛、ベルナールは酒を嗜まないので不在である。

 背の低い卓を挟んで長椅子に座り、まず向かいのレジーの杯を満たし、次に強い火酒を隣のガストの杯になみなみ注ぎながら、アステルが億劫そうに問いかける。


「あなたの麗しいお相手はどうしたんです」

「たまには男同士で呑みたくなってな」


 どこか遠い追憶に思いを馳せるように憂いを帯びながらガストは答え、半分ほど呷ってからふーっと息を吐いた。


「というかお前」


 ガストがアステルを睨めつける。


「なんだその嫌々来ましたって態度は! 桜殿が王都へ来てから、付き合い悪くないか」


 くだを巻くガストを「なんだ、別れたのか」とからかい、レジーも杯を持ち上げる。通常であれば身分の一番高い王太子である彼が口をつけてからでないと始まらないはずだが、個人的な酒肴の席でレジーは誰が真っ先に飲み始めようが気にしない。そしてその事実に慣れきっているこの場の人間は、誰も序列に頓着しない。


「先の休日、友人の婚儀に出席していたんですがね」


 レジーの指摘に鋭い切っ先で胸を貫かれたというようにぐっと詰まったガストだが、気を取り直した様子でつらつらと話し始めた。


「その花嫁が実に性格が良さそうで、さらに中々の美人でですね、やったなこいつ、とか花婿を小突きながら祝福してたんですよ。あくまで親愛の行為でほんの軽くなんですがね。まあ、どこで見つけてきたんだとか、今まで隠してやがってとか、目出度さの中にも複雑な気持ちが僅かながら混じっていたかもしれず、その結果で友人が短い時間蹲っていたのかもしれませんが、そんなことよりもですね――ところでバド、ちゃんと飲んでるか?」

「はい飲んでいます」


 突然途中で水を向けられたアステルは眩しい笑顔で愛想よく返事し、あまり酒の匂いをさせて帰りたくないんですけどねと小声で呟いた後、まあ飲んでくださいとまたガストの杯に火酒を注いだ。


「帰さないって言っただろうが、ちょっと桜殿が待っていると思って」


 ガストは既に出来上がった酔漢のようにぶつぶつ零しつつ、くぅっと杯を呷り、レジーの方を向いてまた話し始める。


「花嫁の父が、号泣してるんですよね。いや確かに、あれだけ可愛い娘がどこぞの馬の骨に取られるんですからその気持ちも想像はできるんですがね。常々、泣くようなことなのかと。ああいう場面に遭遇すると思ってしまうんですが――どうですかレジー様、分かりますか?」

「私に判るわけがないだろうが。相手も子供もいないのに」

「相手候補なら腐るほどいるでしょうが」

「私よりも、婚儀が決まっている奴がそこにいるだろう」


 レジーが酒杯でアステルを示す。


「花婿の立場から訊いてみたらどうだ?」


 空になった杯にドポドポ注がれながら、酒に染まった目付きでガストがアステルを睨めつける。


「どうなんだ、盗る方の気持ちとしては」

「盗人のように言わないでください。そうですね……」


 アステルが酒瓶を置きながら、考え込むように言った。


「話は変わりますがガスト、以前、知人のお嬢さんをガストが保護してくれた時のことを覚えていますか?」

「あの嬢ちゃんか!」


 ガストが破顔する。


「いやぁ、可愛かったよなぁ。一瞬、本気で父親になろうかと思ったもんなぁ」

「それから、ご自分が子供になった時のことも覚えていますか?」

「ああ、あの時は惜しかっ……いや、なんでもない」


 二人のやり取りを見ながら、あの時はお前の婚約者のせいで私も迷惑を被った、とアステルに対して恨み言を紡ぎたかったレジーだが、そもそもの原因は自分にあった旨を思い出し、またそれを蒸し返して怒りを再燃させ、今度は腹を殴らせろと指を鳴らされてはたまったものではないため、沈黙を推し進めていた。

 そしてアステルが衝撃の事実をガストに告白する。


「あのお嬢さんが知人の娘だというのは嘘でした、すみません。あれは桜です」

「冗談だろ!?」


 思わず杯を取り落としそうになったガストの驚愕には、レジーが「なんだ、あれだけ可愛がっていたくせに知らなかったのか」と返してやった。

 ガストの脳裏に、『あの嬢ちゃん』との思い出が蘇る。

 出会った時は、薄暗い部屋でたった独り不安そうに震えていた。ガストを見ると、唯一人の救いの主に助けを求めるようにしがみついてきた。転んだ時、泣きそうになった頭を褒めながら優しく撫でてやると、励ましに応えるように滲んだ涙をぐっと堪え、幼い唇を噛みしめて踏ん張っていた。

 何よりも、別れの時だ。アステルの腕から必死に逃れ、両手をせい一杯に伸ばして彼の元へと舞い戻ってきた姿が忘れられない。あの時ガストは心中で自分自身に鞭打ちながら、縋りついて離れようとしない愛しい嬢ちゃんをアステルの腕へと帰したものである。これが嬢ちゃんのためなんだ、と彼女の幸せを願いながら。

 桜が覗き見たら、事実とかけ離れてる! と激しく首を振って否定しそうな美しく昇華された映像の数々をまぶた裏に浮かべ、さらにその姿が現在の年齢まで成長し、懐かしさと込み上げる様々な感情で胸がはちきれんばかりのガストである。


「あれが、桜殿……」

「はい。そして桜は、もうすぐ俺の花嫁になります」


 うわああぁぁぁぁ! とガストは絶叫した。

 どうしようもない悔しさ、やるせない怒り、果てしない喪失感に苛まれ、心がばらばらになりそうだった。


「手塩に掛けて育てた俺の娘が!」

「いや、育てたのはヘンリーだろう」というレジーの冷静な指摘は聞こえない。

「それが『花嫁の父』の気持ちなのでは?」


 アステルが得々と語る。


「さすがはガストですね。子を持たない俺にはまだ味わうことのできない感傷です」

「バド!」


 本気で涙を滲ませガストが立ち上がり、握り拳を作る。


「この泥棒が! 横からかっ攫いやがって」

「桜とは俺の方が付き合いは長いんですが……」


 小さく反論したアステルがまあまあと憤るガストの肩を抑えて長椅子に押し戻し、空になった杯を満たす。


「こういう行き場のない悲しみは飲んで晴らしましょう」

「ううっ、いいか、泣かせるなよ」

「お任せください、ご安心を。さあ、飲んでください」


 アステルが注ぎ、ガストが嗚咽を漏らしながら杯を重ねる。

 その様子は、レジーからはあたかも義父を宥める息子という温かな交流図のように見えたという。

 酒杯が卓とガストを行き来した何度目かで、花嫁の父気分の彼は長椅子の背に寄りかかり、そのままずるずると滑って撃沈した。


「早かったな」


 感心したように感想を漏らすレジーの言葉と同時に、手際よく目的を達成したアステルが腰を上げる。


「では、俺はこれで帰ります。後はよろしくお願いしますね」

「主君に臣下の介抱をさせるつもりか?」

「風邪を引く季節でもありませんし、放っておいてもいいんではないでしょうか? それでは失礼します」


 冷静に言い置いて、アステルはさっさと出ていってしまった。

 レジーは杯に残った火酒を飲み干しながら、大いびきに横たわるガストを眺めていた。きっと、桜の花嫁姿を目にしたこの家臣は男泣きに泣くのだろう。


「乗せられやすいやつだ……」


 呆れを乗せて一言呟く。せめてもの情けと高貴なる者の義務精神を発揮して、潰れたガストに王太子殿下御自らが寝台から剥いだ上かけを掛けてやる。

 そうして部屋を後にしたレジーであった。


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