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待つ時間

※PG12ぐらい? やっぱりいちゃこらしてます。

 最近アステルは忙しいらしく、帰りが遅い。それも半端な遅さじゃなくて、午前二時とか三時とか。

 さらには、出て行く時間が早い。これまた生半可な早さじゃなくて、午前四時とか五時とか。

 健全な肉体に健やかな精神は宿る、というのを信条にしている私は、寝る時間が早い。というよりは、あんまり遅くまで起きていられない。その分朝は早いつもりなんだけれど、さすがに四時起きなんて修行僧みたいな生活はできない。頑張って五時前に起きたこともあるけれど、その時はすでにアステルは出仕した後だった。

 じゃあどうして生活の痕跡は窺えるのに姿が見えないという、透明人間のようなアステルの動向が分かるのかといえば、エレーヌとソフィアに訊いたからだ。

 一体、いつ眠っているんだろうかって思う。いっそのこと、王城で泊まってくればいいのにとも思う。そうすれば、もうちょっと睡眠時間も確保できる。まあそれはそれで寂しいんだけれど。

 ここ一週間そんな調子で、同じ屋根の下に住んでいるというのに全然会えてない。顔すら見てない。

 もちろん、体調だって気になる。

 そういうわけで、張り込みをすることにした。気分はドラマの刑事役。

 今夜はアステルの部屋で過ごすから、とエレーヌに告げると、綺麗に縁取られた目を極限まで大きく見開かれてしまった。何か、勘違いされてしまったみたいだ。

 寝る時間になり、魔道具を使えない私専用のランプを持って、アステルの部屋へ向かった。誰もいないことは分かっているから、ノックもせずに勝手に入る。

 明るい廊下から暗闇の室内へ。エレーヌが部屋の照明を点けてくれると申し出てくれていたけれど、それは断った。

 ソファの、広い肘掛けの上にランプを置いた。さらには暇潰し用の本も隣に並べる。

 闇の世界に君臨する太陽のように明るいランプに背を向けて、暫し目を瞑る。そして開いた。

 新月で明かりが灯っていない部屋は、けれど目が慣れると真っ暗じゃない。星の光が結構明るいというのは、この世界に来て初めて知った。

 水底に沈んだような暗さと静けさの中、私は泳ぐように寝室へと向かった。こちらの部屋は隅にある常夜灯がぼんやり明るい。主がいない隙にこっそり侵入するなんて、ちょっと背徳的な気分だ。

 目的の枕と毛布を両腕に抱え、ソファに戻った。まだ暖炉はいらないけれど、肌寒い。

 端っこに座ってぐるぐると毛布にくるまり、大きな枕を抱いた。顔を埋めると、太陽の下でよく干された匂いとアステルの香りがする。私、怪しいな。そう思いつつ、にんまりと笑ってから膝の上に枕を設置して、そこで本を読み始めた。

 こうすれば、万が一眠くなっても大丈夫。

 準備万端。

 目指すは初徹夜!

 ――の意気込みで文字を追っていたのだけれど、このいかにも眠るのに最適ですよ、な光源がランプだけという絶妙の薄暗さは、どうにもいただけない。火の揺らめきって安心してしまう。毛布のおかげで身体はぬくもっているし、フカフカの枕は頭を沈めなさいよと誘ってくる。

 駄目かも……。身体がズルズル傾いていく。

 二ページも読み進めない内に、私は撃沈してしまった。



 雲に乗ってプカプカと空を漂う夢を見た。

 うん? 本当に揺れている。

 ぼんやり目を覚ますと、視線の先、極近くにアステルの顔があった。顎部分から見上げている。綺麗な顔の人間は、どんな角度から眺めてもやっぱり美々しいもんだ、とどうでもいいことを考えた。抵抗できなかった眠りの世界に落ちていた私は、どうやらアステルに運ばれている最中らしい。ふと、石けんのいい匂いがした。お風呂に入ったのかな?

 私の視線に気付いたのか、前を見ていたアステルがこちらを向いた。暗い中で瞳の色が判然としない、お久し振りな眼差しと目が合った。闇の中で濃さを増した、包み込むような優しい目。

 それで堪えきれなくなってしまった。


「お帰り」


 小さい声で呟いて、首筋に抱きついた。意表を突かれたのか、アステルが足を止める。私は腕に力を込めた。離すもんかという強さで。それからもう一度、さっきと同じ調子でお帰りと繰り返した。


「ただいま帰りました」


 微笑した表情を想像できるような声が、安心感と一緒に耳に落ちる。アステルはまたゆっくり歩き出した。


「遅かったね。今何時?」と私はしがみついたまま話しかけた。

「もう、あと一時間もすれば明け方です。桜は何故俺の部屋に?」


 問い掛けに、一瞬沈黙させられる。

 それを言わせるのか。アステルってこんなに鈍かったんだろうか? そんなの決まってるじゃないか。

 口に出しにくいのに。

 一度大きく深呼吸する。くっそう、と内心で毒突きながらも、私は正直に胸中を吐露した。


「……アステルは毎日ここへ帰ってるのに、もうずっと会ってなかった。顔も見てなかった。声も聞いてなかった」


 そっちは私に会えなくて平気だったのか、と責めるように思いながら一息に言い放った。私の方は目覚めた途端、どれだけこうして触れ合いたかったか、思い知らされたというのに。気持ちがそのまま出てしまったのか、少し拗ねるような口調になってしまった自分が悔しい。

「でも迷惑だった? 早く寝たい?」と付け足した。ここら辺はちょっと気弱な感じになりながら。私ってばやっぱり慎ましい性格をしている。

 話している間にアステルは扉を通過して、「誰が迷惑だなんて思うんです?」とやけに真面目な口調で返し、私を丁寧に降ろした。腰が着地した場所が、ソフトに沈む。

 アステルの首に回していた腕を解き、辺りを見回した。隅にある常夜灯、華美な装飾の少ない落ち着いた内装。

 ここって。


「アステルの、寝室……?」


 の、広い広いベッドの上。

 てっきり、自分の部屋へ送ってもらっているんだとばかり思っていたんだけれど。

 現状を認識して、血がザーッと下がっていくような気がした。首を戻し、慌ててアステルの方を見ると、意外なほど近くに顔があった。声を出す間もなく、すぐに柔らかく唇を塞がれる。同時に頭の後ろを手で覆われ、体重を押し付けられる。軽い衝撃の後、背中がベッドに受け止められていた。

 こ、これはもしかして、押し倒されているという状況なのでは?

 動転しながらも、頭の中に貞操の危機! という文字が立体的に浮かんできた。

 知らずに力が入った指がシーツを掴む。う、と声を漏らすと唇だけがそっと離れた。

 私は必死の思いで肺の中に溜まっていた動揺の熱と一緒に、ふぅっと空気を吐き出した。

 それでも相変わらず上にはアステルがのしかかっている。片方の手は私を抱き締めるような形で後頭部とベッドの間に挟み込まれ、もう一方の手は頬を親指で撫でている。その感触が、どうにもくすぐったい。と思いながらも、とんでもないことに気付いてしまった。

 アステルの、か、片足、あ、ああ足が、わ、私の足の間に……

 キケン、キケン! 目を回して倒れそうだ! や、もう倒れてるのか。

 支離滅裂になりつつも恐る恐る視線を合わせる。闇を受けて濃度を増している割に翳りのない目が、いつものように優しく笑んでいた。余裕すら感じられる。

 こっちは心臓がフル稼働しているとは対照的に、緊張で手足が硬直して動かないってのに! 顔だって引き攣ったまま、強張って動かない。

 以前にもこういう状況になったことはあった。けれど夢だとおもっていたあの時とは全然違う。


「なんか――」


 なんとか自分を鼓舞しようと、八つ当たり気味に言ってみた。


「こういうの慣れてるみたい?」

「そうでもありません。かなり落ち着かない気分です」


 アステルは甚だしくリラックスした声でそう答えた。

 深めた笑みに、誤魔化しの色が覗いていると感じるのは穿ちすぎか? と見極めの視線をじっと送ってやる。

 受けとめたアステルがふっと表情から力を抜いたかと思うと、私の頬を触っていた手を動かした。シーツを握り締めたまま凝り固まっていた私の指を軽い力で解き、自分の指を絡め、顔のすぐ横まで持っていってベッドに押しつける。

 私はひえぇっ、と心で絶叫を上げた。

 胸中の反応が面持ちに表れていたのか、アステルがおかしがるように目を細める。そして言った。


「俺もずっと会いたかったんです。顔だけでも見たいと思い、どれだけ遅くなっても屋敷へは帰るようにしていました」

「も、もしかして、寝顔とか……」


 会いたかったという言葉に星まで舞い上がりそうな気分にさせられながらも、否定してほしい! と切実に願いながら怖々訊いた。誰が寝痕のついた顔なんて晒したいと思うか。よだれとか、白目むいていたりとか、歯軋りとか! 屋根から飛び降りたくなる。

 私の健気な心理を知ってか知らずか、アステルは平静に頷いて「いつもよく眠ってましたね」と答えた。

 絶望的だ。乙女の寝顔を見るなんて!

 恨みがましくアステルを見上げる。すると「どうしてそんな顔をするんです? かわいかったのに」と角度を変えた顔が近付いてきて、またキスされた。


「こうして口付けても、全然起きてくれない」


 唇を離しながら、反応がなくてつまらなかったと述べるアステルの言葉に、私はここが暗くて良かったと夜の闇に感謝した。燃えるような顔は、多分真っ赤になっている。

 後頭部を包んでいた手が外され、頬から顎の線を辿る。首筋を過ぎて肩を抱いたところで、視線を合わせてきたアステルが言葉を落とした。


「忙しさも一段落つきました。明日……ではなく今日ですが、休みを頂戴しています。せっかく桜が自分から来てくれたんですから」


 だから我慢しなくていいでしょう? という掠れた囁きの後に訪れた展開は、私にとって何が何だか無我夢中な未知のもので。

 これからもずっとこうしてアステルの傍で生きていくのだと考えて、ただただ、幸福感の中にいた。


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