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秋の楽しみ方 問題

 茶系で統一されたヘンリー父さんの寝室。バルコニーに続く窓からはふんだんに光が射し込み、太陽も頂点目指して昇っている途中なのに。

 広いベッドの上には今、ヘンリー父さん、アステル、リディという、グレアム家の親子三人が並んで眠っている。

 もうさらに二人は余分に寝られそうなほど広大なベッドを一枚でカバーできる、羽毛の掛け布団の下に揃って仲良く収まっているという姿は、こういう時でもなければ決して見られない、微笑ましさすら感じられる光景なんだろうけれど。


「いや、普通の時でもあり得ないって。充分異様だと思うよ」


 年頃の娘の考えを読まないでよ! 私はデリカシーのないグアルさんを軽く睨んだ。

 エレーヌとソフィアの切羽詰まった声を聞いた後、私たちは急いで様子を見にいった。ヘンリー父さんとアステルは、ヘンリー父さんの部屋で倒れていた。領地の租税について、何か計算をしていたんだろうか。ヘンリー父さんは机に座り、ごちゃごちゃと数字の書かれた書類の上に突っ伏していた。そしてリディみたいに絨毯の上に倒れていたアステルの傍には、資料の冊子がページを開けたまま放り出されていた。

 一体どういう事態が起こったのかさっぱり分からないものの、倒れた人たちをそのままにしておくわけにはいかない。男性の使用人さんとグアルさんに三人を運び込んでもらった。一箇所に居た方がいいだろうと、ヘンリー父さんの寝室を使わせてもらうことにしたのだった。

 さすがにこういう場合だったので、リディを運ぶ時もグアルさんは心配そうな表情を崩そうとはしなかった。役得だ、なんて頬を緩めていたら、必殺のチョップをお見舞いするところだったのだ。


「リディだけじゃなくて、アステルとお父様まで眠ってしまうなんて……」


 穏やかな顔で寝息を立てる三人を前に、私、グアルさん、エレーヌ、ソフィア、マーガレットさんは途方に暮れていた。


「これってどう考えてもあのペトラのせいだよね? でも、どうして三人一遍に? なんで近くにいた私たちは平気なのかな?」


 私たちは胸が潰れそうな思いをしているのに、と憂いの全く無さそうな寝顔に、恨めしささえ湧き上がってくる。


「何かの魔術――なのかもしれないね。グレアムの血筋に作用するような仕掛けが、あのペトラに施されてたんじゃないかな? だったら、医師を呼んでも役に立つかどうか」

「あ、そうだ、お医者さん!」


 グアルさんの言葉で初めて気付いた。こういう場合、まずはお医者さんじゃないか。こんな当たり前のことにも思い当たれないなんて、どれだけ動転しているんだろう私は。

「エレーヌ」とそれを伝えるために首を動かそうとすると、いやだから待って、とグアルさんの冷静な声に止められた。


「ヘンリー様たちの眠りは、状況から考えても病気や毒物などのせいとは考えにくい。一人が元凶に触れて、余所にいた二人も同時に倒れるなんて、魔術でもないと出来ない芸当だろう。必要なのは医者じゃなくて、魔術師だ」

「魔術師?」


 だったら、私には強力な知り合いがいる。しかも複数。一般には不干渉を貫いているなんて常々言っているけれど、今回は干渉してもらわないと困る。なんたって、アステルという恩人のピンチなんだから。

 こちらから呼んだことはないんだけれど。私がすぐさまペンダントを胸から引っ張り出そうと、鎖に手をかけた時だった。


「なんかあったかの?」


 背後から、この場に不似合いなのんびりした声が聞こえてきた。ぎょっと飛び上がる。まだ呼んでないのに!

 慌てて振り向いている途中にも、周りから「ユヴェーレン!」と驚きの声が上がる。目の端には、グアルさんたちが落ちるようにして跪く様子が引っ掛かっていた。

 視線のすぐ先には最高位の魔術師がいる。ユヴェーレン・アメジストの座である証、薄紫の目と髪を持った、天海の彩が佇んでいた。片手にアメジストの嵌った木の杖を構え、もう一方の手で髭をいじくっている、相も変わらぬ飄々とした態度に、叫ぶような声が出た。


「おじいちゃん!」


 私は締め上げる勢いで、おじいちゃんに突進していった。


「アステルが! リディが! お父様がっ!」


 突破口を見つけて気が緩んでしまったのか。

 訴える声が、嗚咽混じりになってしまった。



「こりゃまた厄介な術をかけられたもんじゃのう」


 説明を聞き終えたおじいちゃんが、溜息を吐きながら呟く。

 頭の中がまだこんがらがっている上に、しょっちゅうヒックヒックと喉を震わしている私の代わりに、比較的落ち着いているグアルさんが経緯を語ってくれた。床に膝を着いていたグアルさんたちも、今は立ち上がっている。


「厄介って?」


 エレーヌに花の香りがするハンカチを貸してもらい、励ますような優しい言葉をかけてもらって、どうにか私の気も静まってきた。


「呪いのごとき魔術じゃ」


 私の質問に、おじいちゃんが一つ頷く。


「これは複数人に掛けることを前提とした魔術でな。まず、タネとなる術を施した媒介を、人数分血筋に連なる者の部屋へ仕掛けておく。これは、その媒介に血筋を覚えさせるためじゃ」

「媒介って、もしかしてペトラのこと?」

「そうじゃな。基本的に無機物ならなんでもいいが、それぞれの媒介は目的を同じくするため、連携しておる。じゃから同じ『物』でないといかん」


 そうか、だったらペトラってその媒介とやらに向いているのかも。小さいし、数も揃えられる。

 グアルさんが説明している途中で、おじいちゃんはソフィアとマーガレットさんに他の部屋にも怪しい物がないか、探しに行かせていた。具体的には、この寝室と続きになっている隣のヘンリー父さんの部屋、それからアステルの部屋。あと、一階下にある、私とリディの部屋以外の一室。ちなみにその部屋には、グアルさんが泊まっている。

 結果はといえば、全ての部屋の各位置にペトラが仕掛けられていた。これらの部屋は、お客さん用ではなく家人のために設えられたスペースだ。家族ではないけれど、グアルさんはそれも同然の信頼を受けているので、家人用の空いた一室に泊まっている。


「じゃあ、昔誰かがグレアムの人間全員に、魔術をかけようとしていたってことなの?」


 口に出した後で、全身がゾワリと総毛立つ。根絶やし、という不気味な言葉が頭に浮かんだ。


「そういうことじゃな。この魔術はジワジワと時間をかけて行われるものじゃ。とはいえ仕掛ける時にそう手間はかからん。配置しておくだけでいいんじゃからの。ただし、五年間は気付かれんように置いておかねばならんのじゃ。じゃから場所には気を使わねばならんな。五年間は見つかってはならんし、それを過ぎれば目的の血統に触れてもらう必要がある。時間がかかる分、効果はてきめんじゃがな」

「罠……みたい」

「言うなればそうじゃ。補助的な意味合いが強い。直接的な手段の他に、保険として置いておいたんじゃろう。まあこの家が今も栄えておるところを見ると、その直接的手段も失敗に終わったようじゃが。今は忘れられた、古い魔術じゃ。少なくとも百年は経っておる。今まで誰にも見つからず、発動されなかったんじゃな」

「でも、その五年間でお城を出ていく人だって当然いるでしょ? そういう場合は失敗しないの?」

「仕掛けた時点で住んでおれば、媒介がその人物を覚える。後は一人でもよいから、いずれかの部屋に同じ血統の誰かが住み続けていれば成功じゃ。なんせ、血は繋がっておるんじゃからな。現に、一人が触れただけで全員が眠ってしまったじゃろうが。距離も関係ない」


 おじいちゃんは一度息を吐き、物思いに沈むように顎の髭を撫で始めた。


「消極的で、運に頼るところが大きい魔術じゃ。かつては執念深い者が好んで使う方法じゃった」

「このままだと、三人ともどうなっちゃうの?」

「ただ眠り続ける。食事も摂らず、動きもせん。そのまま衰弱して死を迎えるじゃろうな」

「そんな!」


 私を含め、周りの皆が息を呑んだ。理不尽さに腹が立ってくる。そんなのって酷すぎる。百年も前の魔術にとばっちりを食うなんて。

 私の家族なのに!

 視界が歪む。感情が高ぶりすぎて、また涙が滲んできた。それが鬱陶しくて、私は袖でグイッと拭い去った。必死感を乗せておじいちゃんに目を向ける。


「解除の方法とかあるんでしょ?」

「お前さんが接吻でもしてやったらどうじゃ?」

「拳骨お見舞いしていい!?」


 真面目にからかうようなおじいちゃんへの返事として、声に底深い怒りを混ぜた。実際に、拳をグッと握り締め、プルプルと小刻みな震えを加えて見せつける。クソジ――なんて、ピジョンが乗り移ったようなとても上品とは言えない言葉が出そうになり、自制心をフル動員して抑え込んだ。どんな場合だろうと、エレーヌとソフィアにまなじり厳しく聞き咎められて、後で酷い目に遭う。大体おじいちゃん、その方法にこだわりすぎだ。

 おじいちゃんが「冗談が通じんな」と目をしばたたかせる。

 時と場合を考えてよ!


「まあ正直、その解除方法というのが初めに言った通り厄介でな。術を終わらせたい場合、誰でも構わんから術者が決めた順に媒介を触っていく必要があるんじゃ。しかし間違える度に、術を掛けられた者が一人ずつどこかへ飛ばされてしまう。眠ったままじゃからな。湖や海ならそのまま溺れるじゃろうし、猛獣の巣、断崖や極寒の屋外という可能性もある。しかも一時間以内に成功させんと、二度と目覚めさせられん」

「一時間って――今何時?」


 首をあちこちへ向け、誰にとなく問いかける。懐中時計を取り出して「もう、あれから二十分は経っている」と青ざめながら教えてくれるグアルさんの言葉に、私は焦りを抱いた。

 時間が無い。


「あー、それですまんのじゃが」


 言いだしにくそうに、おじいちゃんが声を出す。


「どうも儂の担当区域に魔物が出たようなんじゃ。網に引っ掛かってしもうた。出来るだけ速く片付けるようにはするが、時間内に戻れるかどうかは分からん。申し訳ないんじゃが、儂は協力できそうになくてな」

「ウソ!」


 こんな時に! タイミングが悪すぎるその魔物を、私の方こそ成敗したくなった。

 見捨てないで、と縋るように可愛らしく見上げるものの、やっぱりおじいちゃんは平定者なわけで。


「すまんのう。健闘を祈る」


 私たちに向かって片手を上げると、あっさり消えてしまった。

 うう……、見掛けによらず仕事熱心なおじいちゃんめ。



 現れた時と同じく瞬時に消えてしまったおじいちゃんが今までいた場所を、私を除くその場の全員が呆然と見つめていた。


「き、消えた……」


 狐につままれたような顔で、グアルさんが呟く。


「悠長に驚いてる場合じゃないって!」


 私は焦れながら、パンッと部屋中に響く強さで手を打った。


「早く解除しないと」

「あ、ああ、そうだね」


 音に頬を張られたかのように、グアルさんが居住まいを正す。エレーヌ、ソフィア、マーガレットさんも背筋を伸ばし、心得たように顎を引いた。


「しかし――」


 早速、難しい顔でソフィアが口火を切る。切り替えが早い。ソフィアは普段はおとなしそうに見えるけれど、結構肝が据わっているのだ。


「どういった順番で触れるかを、まず考えなければなりません」


 それなんだよなぁ。いくらもどかしく思っていようと、逸る心の赴くままに行動するわけにはいかない。

 私はヒントを探すように首を巡らし、ベッドへ視線を投げた。三人の状態はさっきから全然変わっておらず、静かに眠ったままだ。もし間違えた順番でペトラに触ってしまうと、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。


「解除の順番は、術を仕掛けた人物が決める、か」


 グアルさんが考え込むように手を口に当てて言った。


「ということは、その人物の思考を探らなきゃね。まず分かっているのは、グレアム家に相当な恨みを抱いているということ。ティア・アメジストは、これは直接的な手段と併せて使う魔術だと仰っていたね。だとしたら、何かの事件として記録が残っている可能性もあるんじゃないのかな?」

「でも、今からそんなの調べてる時間なんてないよ」

「桜様の仰る通りですわ」


 みぞおちの辺りで、気を引き締めるように指を組んだエレーヌが冷静に提案する。


「それよりも、私たちで可能な限りの考えを出し合うほうがよろしいと存じます。百年前の人間、ということですが、その頃は現在よりも階級差に厳しい時代でございました。当時の人間であれば、無意識にその観念が染みついているのではありませんでしょうか?」

「と言うと、どういうことだい?」

「エレーヌは、こう申したいのですわ。ヘンリー様のお部屋は、代々のご当主が使用なさるお部屋です。グレアム家のご当主は、ローズランドのご領主。ご領主とは、領民にとっては身近である分王よりも逆らえない、偉大と感じられるお方にございます。術を仕掛けた者が領民かどうかは分かりかねますが、何を置いても第一に位置づけたいのではないか、と」


 なるほど。エレーヌとソフィアの見事な連携に感心し、思わずうんうんと相づちまで打ってしまった。考え方として、悪くないように思える。グアルさんもそう感じたのか、納得したように頷いていた。

 だったら。


「その考えでいったら、一番目はお父様の部屋。二番目は、アステルの部屋のペトラってこと? アステルは、跡取りなんだし」

「いや、それはどうだろう。例えば戦でも、先駆けはもちろん危険な役目だけれど、しんがりもかなりの重責を負う。背後を守らなければならないし、敗走時には防壁となって味方を守る必要がある。アステル様の部屋は、逆に一番最後と考えた方がいいんじゃないかい?」

「う、言われてみればそうかも」


 でもその裏をかいて、やっぱり二番手ということも考えられる。うーむ、と唸り声しか出てこない。決めかねる。

 だったら、アステルの部屋は後回しだ。


「でも、他のお部屋の場合もどうでしょう」


 そんな私の方針を先読みしたように、マーガレットさんが意見を述べ始める。

 いつもは親しみやすい綺麗なお姉さんという雰囲気の人だけれど、さすがに今は表情が硬く引き締まっている。


「階下にございますのは、家督から一歩下がったご家族の方々が、お過ごしになるお部屋です。百年前にどういったご兄弟がお住まいになっていたかなど、家系図を調べなければ分かりようがありませんし、判断の基準をどこへお持ちすればよいのでしょう? お部屋に優劣のようなものもございませんし……」


 そうなんだよね、とここでしばし全員が考え込んだ。

 私、リディ、グアルさんが寝泊まりしている部屋。私とリディの部屋は、間取りも広さもほぼ同じだ。グアルさんの部屋も、間取りは多少変わっているものの、全体的な大きさはあまり変わらない。私は腕を組みつつ脳内に三つの部屋を思い浮かべていた。


「性別の違いはいかがでしょうか」


 エレーヌが閃いた、というように一同を見渡す。


「桜様とリデル様のお部屋はよく似通っています。グアル様が滞在なさっているお部屋とは異なり、部屋自体に備えつけられている調度品は、明らかに女性の使用を前提とされたものでございます。例えば、シャンデリアなどの照明器具も他の方々の部屋に比べ、繊細で凝った造りです」

「ああ、確かにここの隣も、僕が貸していただいている部屋も、桜たちの所ほど華やかじゃないな」

「でもさ、長い年月の間に変わってるって可能性はないの?」


 百年も経てば、当然壊れた家具が出てくるものなんじゃないだろうか?


「いいえ。それはお考えにならなくてよろしいかと存じます」


 私の質問には、エレーヌに変わってソフィアが答えてくれる。ううむ、この二人、阿吽の呼吸だ。


「ヘンリー様とアステル様のお部屋ももちろんでございますが、三つのお部屋の家具はいずれも手入れや清掃には非常に気を配られ、時代を経た年代物でございます。長年の間に損壊し、取り替えられた物もいくつかはございますでしょうが、手間暇を費やして部屋の設えを男性用から女性用に、もしくはその反対になさるというのは、考え難いのではないでしょうか」


 それはそうだ。他にも部屋は沢山ある。自分に合った部屋を探す方が手っ取り早い。財力は申し分ないんだから部屋の改造くらいはどうってことなさそうだけれど、グレアムの人たちの気質を考慮に入れても、そんな無駄な労力とお金を使うとは思えない。

 じゃあ、男女の違いで順番を決めるとして、そこからどうやって考えていくか?

 そこでまた私たちは悩んでしまった。男性を先とするか、それとも女性に譲るか。だとすると、私とリディ、どっちの部屋が先なのか。

 そもそも、一つの方向性に沿って考えているけれど、それが合っているかどうかも分からない。でも、いつまでもああだこうだ言っている暇はないのだ。もう、おじいちゃんが去ってから五分が経過している。

 落ち着いて思考を巡らせる必要があるのは分かっている。

 でも。

 ――急がなきゃ!


※主人公は迷ってますが、考え方の方向性は話の通りな感じで単純なもんです。(なんせこの書き手が考える話ですから……)

 この時点で5つの部屋の順番が分かった人はすごいです。

 もちろん桜はお約束のように間違っていきますよー。


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