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いつもの一日

※最初に決めていた題は『食い意地』でした。


 今日も暑い。

 梅雨も去り、セミも『オレたちの熱い叫びを聴け!』とばかりに喚き散らす、本格的な夏は始まったばかり。

 私は学校帰り、家に一番近いわけではないけれどいつもの駅に降り、ちょっと涼もうと進路上にあるスーパーに立ち寄った。なんせ目的地まで後十分も、この灼熱地獄の中を歩かなきゃならない。

 自動扉の内に入ると、うだる外とは段違いの冷気にホッとする。汗がスウッと引っ込んでいくのを感じながら、陳列されている野菜や魚なんかを品定めする買い物客たちを掻き分け、お目当ての場所へ進んでいった。ここの食品コーナーには紙コップとウォータークーラーが設置されていて、いつでもタダで麦茶を飲むことができる。マメに水分補給をしておかないと、滝のような汗でか弱い花の女子高生はすぐに干涸らびてしまう。


「あ、そういえば」


 なみなみに注いだ麦茶を一息に飲んだ後、私は小さく呟いた。今日は木曜日だ。

 確か――


「やっぱり!」


 思った通りだ。店内に入っているチェーン展開のケーキ屋さん。木曜日は、いつもは300円のチーズケーキが200円という特価で提供される。一口にチーズケーキといっても種類は色々あるけれど、私が好きなのは断然スフレタイプだ。表面にアプリコットジャムが塗ってあってツヤツヤしているやつ。ふわふわで、しゅわしゅわ。

 うわぁ、美味しそうだなあ。ショーケースに並んで籠絡しようとしてくる他のチョコケーキやらモンブランやらにも目を奪われつつ、なんとか誘惑を退けた私は無事にチーズケーキを買い求めた。

 ――二つ。



「いつ見ても、外観がオンボロなんだよね」


 目の前には二階建てのアパートが建っている。茶色いトタンで出来たような四面の壁の内、一面には蔦が這っているし、これまた茶色い木製の玄関ドアは軽くて薄っぺらい。しかも所々が剥げている。幽霊の一つや二つ、出てきてもおかしくない。初めて来た時は、凄い所に決めたもんだと思ったものだけれど。

 一階の左端の部屋に行き、一応チャイムを鳴らした。壁もドアも薄いから、中からピンポーンと音が聞こえてくる。でも反応ナシ。ま、いないってことは分かってたんだけどね。

 ジャジャーン、と鞄の中から取り出しましたるは、必殺アイテムの合い鍵だ。お気に入りなスヌーピーのキーホルダーに付けてある。

 いつものように解錠し、ドアを開けたところで、私はうっと仰け反ってしまった。


「あっつぅ……」


 熱気に籠もった空気がムワッと来襲してきたのだ。急いで上がり込み、勝手知ったるとばかりにエアコンをつける。お湯でも沸かせそうな気温に根比べを挑む気はないのだ、と暫し心地良い冷風の前で佇んだ。


「さて、と」


 大分涼しくなってきたところで、部屋を見渡す。

 このアパート、外観は恐ろしくボロいけれど中は意外とそうでもなく小綺麗だ。入ってすぐにある狭いキッチンにはちゃんと二口のコンロが備えつけられ、ガラスの引き戸(古い!)で独立できるようになっている。大抵開けっ放しにしているけれど。

 そして一人暮らしには贅沢なことに、六畳二間の部屋が続いている。どちらも和室で、一方の部屋にはフローリングカーペットが敷いてある。トイレとお風呂だってちゃんと別々になっている。そんなに都会じゃないことも相まって年数は経っているけれどその分安い、中々の掘り出し物件なのだ。

 私は小さな食器棚からいそいそとコップを取り出し、冷蔵庫を開けた。ちゃんと私用に、ペットボトルの紅茶を買い置きしてある。ちなみに部屋の主はコーヒーの方が好きだ。

 中身を注ぎ、フローリング部屋のコタツ机に買ってきたケーキとコップを置いた。部屋は結構綺麗に片付けられている。床に物を置かないのがコツだ、とか偉そうなことを言っていた。

 あ、そうそう、と忘れていたお皿とフォークも取ってきて、今度こそ準備オーケー。


「いないんだから仕方ないんだし――私が二つとも食べちゃっていいよね」


 家主がいないことは分かりきっていた。元々自分一人で味わうつもりではあったんだけれど、言い訳のように呟いてみた。ああ、顔がにやける。

 ではフォークを持って。


「いただきまーす!」


 いざ、ツヤツヤの表面に嬉々としてフォークを突き刺そうとした瞬間だった。


「ただいまー」

「ウソ!?」


 思わず素っ頓狂に叫ぶ。


「早いって!」

「お前な、ちゃんと鍵閉めろって。ここ一階だぞ、不用心だろが――おっ、用意がいいな」


 感心感心、としたり顔で褒めてくる蒼兄ちゃんを見て、私は『夢のケーキ独り占め作戦』を断腸の思いで諦めた。

 蒼兄ちゃんは、大学に入ると同時に一人暮らしを始めた。家からは、電車も使って三十分の距離。でも大学までの距離はあんまり変わらないんだから、家から通えばいいのに。そう言うと、「色々あるんだよ」の一言で軽く躱されてしまった。まあ、こっちの方が彼女とも自由に会えるだろうしね。

 家賃はバイトをして自分で払うのを条件に、一人暮らしすることを許してもらったのだそうだ。光熱費や生活費なんかも、高校時代から貯めたお金と併せて賄っているみたいだ。ちなみに家具とか家電製品なんかは、お父さんとお母さんの援助があったんだって。

 蒼兄ちゃんが家を出ていくなんて間際まで全然聞かされていなくて、最初は取り残されたような感じで戸惑った。けれどいつでも遊びにきていいからと合い鍵も頂戴し、結構入り浸っている。勉強を教えてもらったり、お母さんから頼まれた晩ご飯のおかずを持ってきたり。もちろん、来ちゃダメだと言われた日は余計なことは聞かず、控えている。我ながら、察しのいい妹だ。

 で、今日も課題を見てもらうためにやって来て、予定では蒼兄ちゃんが帰って来るのに後一時間はかかるはずだったんだけど……


「お邪魔します」


 がっかりしながらもなんでだろうと首を傾げていると、蒼兄ちゃんの後ろから女の人が入ってきた。


「あ、もしかして妹さん?」


 服も本人も、ふわっとした感じの人だった。綺麗にお化粧もしていて、色付きリップだけでほぼスッピンの私とは対照的な、オトナのお姉さんに見えた。コロンをつけているのか、甘い香りがほのかに漂ってくる。香水系をやたらめったら振りかけて、ぷんぷん匂いを撒き散らす人には近寄りたくない(酔っちゃう)けれど、このお姉さんくらいだったらむしろいい匂いに感じる。

 もしかして、蒼兄ちゃんの彼女かな? 中々美人な人だし、センスいいじゃない。

 蒼兄ちゃんにやるねえ、という風に意味ありげな視線を送ってあげると、口の形だけで「バーカ」と返されてしまった。照れちゃって。


「初めまして」


 説明を始めようとした蒼兄ちゃんを遮り、立ち上がって勝手に自己紹介を始める。


「蒼兄ちゃんの妹で、桜って言います。高1です」


 トドメに、兄がいつもお世話になっていますと如才なくお辞儀する。お姉さんがしっかりしてるー、と相好を崩した。


「ご丁寧にどうも。こちらこそ初めまして。お兄さんとは高校の時から一緒の、増川です。私の方もお兄さんにはお世話になってます」


 増川さんは私に挨拶してくれてから、蒼兄ちゃんの方を向く。


「ソウ君に可愛い妹さんがいるとは聞いてたけど、確かにこの妹さんだったら大事にしたくもなるかもねぇ」

「生意気だけどな」


 しっかり私を貶めながらも、大事にしていると揶揄された点は白々しくも否定しない。こ、この外面大王め!

 他人のいない所ではアホだのガキだの泣き虫だの食い気娘だの、散々に言いたい放題。理不尽に人使いだって荒いくせに、何故か外では妹想いのいいお兄さんという、事実無根の好評判を獲得している。

 増川さんなんかは、「またまたー、憎まれ口叩いちゃってー」と蒼兄ちゃんの腕を軽く叩いている。あれは蒼兄ちゃんの紛う方なき本音ですって!

 騙されてますって、増川さん!

 私は咄嗟にもの申そうとしたけれど、それよりも蒼兄ちゃんの方が早かった。


「ゴメン、座布団ないけど座ってて。妹がケーキ買ってきたみたいだから食ってって。お茶淹れてくるから」


 わ、私だけのケーキ!

 ……でも、仕方ないよねぇ。ここで主張したって、どんだけ食い意地張ってんだって見下げ果てられるだけだろうし。それに、さすがに私もそこまで空気の読めないコドモじゃない。顔では愛想笑いを浮かべつつも胸中で項垂れていると、「桜も手伝って」とキッチンへ向かう蒼兄ちゃんに手招きされ、色々諦めながらついていった。


「あっ、私、資料借りにきただけだし、すぐ帰るから」


 慌てた様子で立ち上がろうとする増川さんを、「まあせっかくだから座っててよ」と開いたガラス戸越しに蒼兄ちゃんが引きとめる。私もそうですよと言い添え、ちゃんとお皿に載った状態で改めて出すために、ケーキと箱を持ってキッチンに入った。

 お皿を出していると、コップにそれぞれコーヒーと紅茶を注いでいた蒼兄ちゃんがケーキを指差す。


「それ、一個を俺とお前で半分こな」


 ヒソヒソ声で言われたとんでもない内容に、私は目を見開いた。

 食べるの、蒼兄ちゃん!?


「蒼兄ちゃんはコーヒーだけでいいじゃない!」


 私も同じく抑えた声で強く言った。


「二人の邪魔はしないように、私も速攻で食べてさっさと出ていくからさ!」


 我ながら、二つとも譲って素早くフェードアウトするという選択をできないところが情けない。

 だって、私のチーズケーキ!

 必死の訴えを目に乗せる私を、呆れたような表情の蒼兄ちゃんが見下ろす。


「何余計な気ぃ回してんだ。増川とはそんな関係じゃないって。大事なトモダチ。アイツにレポートの資料渡す約束してて、大学に持って行くのを忘れたから取りに戻ったんだよ。また取って返すのも悪いからって増川がきてくれただけだって。妹想いのお兄様に宿題見てもらいたいんだろ?」


 妹想いって自分で言うな!

 でもそれについては焦点を当てず、もっと重要なことについて反駁する。


「だってさ、最初は二個丸々食べるつもりで、それから一個になったと思ったら実は半分って!」


 直前でご褒美を取り上げられた犬のイメージで、無念の面持ちを浮かべてじっと高い位置にある顔を見つめた。すると何故か蒼兄ちゃんはどうだと言わんばかりの、得意げな顔を作った。


「増川が帰った後で、ハーゲンダッツ奢ってやる」


 私は、天からあめ玉が降ってきたんではないかというような思いで、えっ? と蒼兄ちゃんの方へ身を乗り出した。

 麗しのお兄様はVサインを作って言い添える。


「しかも二つ」


 さらにはチョコレートまで加わったという気分で持っていたお皿をシンクへ置き、蒼兄ちゃんが着ているTシャツの裾を握り締め、興奮のままに震えた。


「ホントのホントに!?」

「ホントのホント。俺が今までウソ吐いたことあるか?」


 いや、それは数え切れないほど騙されてきたんだから、そこまで言われると却って不安になってくるんだけれど。甘いから食べてみろと言われて渋柿を渡されたり、貨幣価値が分からない年齢の時に、貰ったお年玉の千円札をこっちの方が立派だぞ、とか言って100円玉と交換させられたり。

 いやいやいや、過去のあれこれはともかく、言質は取ったのだ。念のため、もう一度確認するように眉の間を狭くして見上げ、絶対に? とジェスチャーする。すると、蒼兄ちゃんは任せなさいとばかりに重々しく頷いた。

 頭の中が、勝手に算盤を弾く。特価で買ったチーズケーキが一つ200円。中々セールをしてくれないハーゲンダッツは、さっきのスーパーで280円。

 わらしべ長者的にランクアップしたお得感に、弾むような嬉しさが込み上げてくる。


「すぐに切るね!」


 若干口調を強め、私は急いで引き出しから包丁を取り出した。チーズケーキをほんの僅かだけ自分の分が大きくなるように切り分け、もう一枚取り出してきたお皿に鎮座させる。苦笑気味にボソリと呟かれた「現金なヤツ」という声は聞こえないフリで対処だ。

 というわけで、三人で和やかにお茶の時間を過ごした。増川さんは私と蒼兄ちゃんのケーキの大きさを気にして恐縮していたけれど、私が幸せ感溢れる笑顔で、お客様なんだから気にしないでくださいと言うと、「ありがとう」と清々しくお礼を述べ、美味しそうに平らげてくれた。そして蒼兄ちゃんから資料を受け取り、スーパーまで一緒に行って別れた。

 増川さんは駅へ。私たちは愛しの高級アイス、ハーゲンダッツの元へ。



 アパートへ帰ってきてから私は、


「じゃ、アイスは課題が終わってからな」


 と言う無慈悲なスパルタ蒼兄ちゃんに厳しくしごかれた。ちなみに英訳五本立てのプリントだ。蒼兄ちゃんはどんな問題でも解き方の指針は説明してくれるけれど、絶対に答えは教えてくれない。その方が後々自分のためになるとは分かっちゃいる。でも教えてくれたっていいじゃない、と不満にも思う。

 プリントに向き合っている素振りで、上目遣いにコッソリ文句に満ちた視線を送ると、新聞に目を落としたまま「食う時間なくなるぞ」と脅された。

 この千里眼め!

 その後、どうにかこうにか課題をやっつけた。


 そしてやっとのことで今、私は至福味のアイスを堪能している。

 私が食べているのはストロベリー。蒼兄ちゃんのはグリーンティー。もう一つのミルククラシックは後日食べる予定で、冷凍庫で出番待ちをしている。さすがに一遍にというのは、年頃の娘としてはカロリーが気になる。まあ、ケーキを二つ食べようとしていたのは勢いってやつで……


「そういえばさ、増川さんってどういう付き合いなの?」


 蒼兄ちゃんが半分程食べたところで、私の三分の二食べたストロベリーと交換する。こういう時は、割と素直に応じてくれるんだよね。


「どういうって?」

「高校からの友達なんだよね? 彼女じゃないって言ってたけど、ここまで連れてくるなんてよっぽど仲良いんだね」


 あー、と蒼兄ちゃんが思い出を振り返るように上を向く。


「増川は生徒会で会長だったんだよ。俺と違って面倒見もいいし、外見に反してサバサバした信頼できるやつだよ」


 ふーん、とグリーンティーアイスを掬い、口に放り込みながら考えた。

 蒼兄ちゃんは副会長だった。外面がいいとはいえそれなりにプライドの高いこの意地悪大王が、本音から認めている発言をしているのだから、よっぽどデキる人なのかもしれない。この様子だと、不満もなく進んで補佐してたんだろうな。

 でも仲の良さの割に増川さん、やけに遠慮が見え隠れしてたよなあ。初対面の私がいたせいってのもあるだろうし、ただ単に気ぃ使いなだけって可能性もあるけれど――とアイスをもう一口食べる。溶けていく、この濃厚さがなんとも。

 服装にも隙がなかったし、蒼兄ちゃんになるべく良く見られたいという、可愛らしさみたいなものが伝わってきていたような――気の回しすぎかな? 綺麗だし優しくて明るかったし、あんな人がお姉さんになってくれるんだったら応援するんだけれど。

 スプーンを口に運びながらチラッと蒼兄ちゃんを見ると、嫌な感じにニヤッと笑われた。反射的に心構えする。これはロクでもないことを言い出す前兆だ。


「なんだ? 大好きなお兄様の女友達を見て不安になったか? 私のお兄ちゃんを取らないで、とか?」

「バッカじゃない!? そんなわけないでしょ!」


 図々しい冗談に激しく噛みついてやると、余裕綽々に鼻先で笑われた。

 この、雲を突きそうな自尊心の高さはなんなんだ? 私は腹立たしい気持ちで最後の一口を食べ終えた。残っていたら取ってやれと思ったけれど、既に蒼兄ちゃんも全部片付けた後だった。残念。

 そういえば、蒼兄ちゃんの彼女ってお目にかかったことがない。それらしき存在の気配は端々から感じ取れたんだけど。休みの日は結構出かけていたし、電話もよく掛かってきていたし。

 私も高校生になったんだから、早いところ彼氏を作らなければ!

 妙な対抗心が芽生えてしまった。


「じゃ、そろそろ行くか」


 役目を終え、ゴミと化した容器二つと使い捨てスプーンを取って、蒼兄ちゃんが立ち上がる。そのままゴミ箱まで持っていった。私も「うん」と返事して鞄を取った。

 蒼兄ちゃんのバイトは七時からだ。どこかの企業で雑用をしているらしい。詳しい内容は知らない。



「別に毎回送ってくれなくてもいいよ?」


 アスファルトが蓄えた熱を放出する、駅から家までの道を歩く。賑やかな通りからちょっと外れた住宅街、沈もうとする夕陽が作る二つの影は長いけれど今の季節、まだまだ外は充分明るい。ギラギラ太陽が傾いている分日中よりはマシなものの、汗はじっとり湧き出してくる。喧しいセミも絶好調に元気だ。

 ベトつく首筋を撫でながら、隣を歩く蒼兄ちゃんを見上げる。


「また駅へ引き返さなきゃいけないでしょ? 時間、もったいないんじゃない?」

「往復十分もかからないしな。明るくてもこの時期は変なのが湧いて出るんだよ」


 桜みたいなのでもいいって物好きもいるかもしれないしな、という業腹な言い足しには、取っておきのクロスチョップで対応した。一、二歩タタラを踏んだものの、全く平気そうな蒼兄ちゃんは尚も無用な戯れ言を続ける。


「慈悲深いお兄様としては、しっかり義務を果たさなきゃと思うわけだ。それからお前、友達同士で遊びに行った時も、そんな調子で遅くなるなよ?」


 げげ、しっかり釘を刺されてしまった。余計なこと言わなきゃよかった、と私は暮れつつある空を見上げながら後悔した。真上部分は群青色に晴れているけれど、山の上には朱く分厚い雲が覆い被さっている。

 ――くすぐったい。

 なんとなく、服越しに胸のペンダントに触れてみる。

 こうやって蒼兄ちゃんやお父さん、お母さんから心配されているようなことを言われたり、してもらったりすると、どういうわけだかこのペンダントに意識が向いてしまう。出自不明な怪しいアクセサリは、小学校の卒業式の時から、私以外の誰にも見られることなく胸を飾っている。小さくて煌びやかな、私だけの秘密。

 なんなんだろう、この感覚は。胸の中に確固としてある薄く柔らかな部分に小さな光が集まって、それがじんわり温まって気球みたいにふわふわ浮いていくような。

 決して不快ってわけじゃない、不思議な気持ち。

 何はともあれ、例え意地悪大王とはいえ端々にこういうところを見せられると、妹想いと周囲に認識されるのも妥当だという気はしてくる。――ちょびっとだけね。


 一番星の下、お母さんお手製の花壇が出迎えてくれる。家の前に着くと、蒼兄ちゃんが手を上げながらクルッと引き返す。上がっていかないのはいつものことだ。そんな時間もないだろうし。


「じゃあな。ちゃんと夕飯食べろよ――桜が食べないはずないか」


 どういう意味だ! 私だって食欲が落ちる日もあるんだぞ! たまにだけれど……。そう言う蒼兄ちゃんは、途中のコンビニで買って済ませるらしい。

 一瞬、口を尖らせながらも背中に向かって呼びかけた。


「明日も行っていい?」


 蒼兄ちゃんが振り返る。慌てて、残りのハーゲンダッツも食べたいしと付け加えた。

 あれ、なんでこんな言い訳みたいなこと?


「なんだぁ?」


 案の定、意地悪そうな笑みを浮かべられた。おまけにおまけにっ! 顎までクィッとそびやかしている。


「いつも勝手に来るのにな。殊勝だな。明日はバイトもないし、家で食べるよ」


 蒼兄ちゃんはまた向こうを向いてから言った。


「アパートで待ってれば? そしたら一緒に行ってやる」


 偉っそうに、と反感を抱きながらも、私の口端が勝手に持ち上がって元気よく「うん!」と答える。まあ、私ってば素直で純真だからしょうがないか。

 玄関をくぐり、鍵を掛ける。ソースのいい匂いが鼻をくすぐる。ドアの音で気づいたのか、リビングから「おかえりー」と重なった声が聞こえてきた。


「ただいま、お父さん、お母さん!」


 今日の晩ご飯は、多分お好み焼き!


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