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アフロとその後

 歳を経る毎に時間は速く過ぎ去っていく。もう自分がどれだけ長く生きてきたか数えることを止めてしまったジスタにとって、あれから何年、何十年の歳月を重ねてきたかなど、気にしたこともなかった。


 よく晴れた、清々しい朝の時間。久々のリタズマの地を、初めて自らの足で踏みしめたジスタは今、普段の枯れた姿からは想像もつかない瑞々しい若者へと変貌を遂げている。

 彼が普段身につけている服は時代遅れも甚だしく、周囲から浮いてしまう。なので原色遣いの薄い生地で出来た涼しいシャツに、風を通す素材のゆったりしたズボンという、この地に合った服装をしている。南国の出で立ちに包まれた偉丈夫な彼は、面立ちにも大変な自信を持っていた。

 涼しげな目元は流しただけで道行く女の視線を釘付けにし、彼が微笑めば既婚、未婚問わず妙齢の娘だけで構成された人だかりが瞬時にでき上がる。天海の彩ということが発覚しては厄介なので、髪の色だけは周囲から黒に近い濃茶に見えるようにしていた。彼の心の大事な箇所に佇んでいる女性の、若い時分の髪色を意識したものだ。


 リタズマはしばらく見ない内に、さらなる発展を遂げているようだった。彼が覚えている頃よりも町全体が小綺麗になったと感じた。しかし賑わいはそのままに、軒を連ねる店の数も増し、屋根は数階分高くなっている。道路はさらに広くなり、その分町の規模も大きく、人も増えているようだった。

 ジスタが歩を進める度に道行く娘が振り返り、頬を染める。それはやはり予想されていたことで、顔が良すぎるのも困ったものだと伊達男を気取る彼は罪作りな自分の容姿に浸りながら、心中で前髪を払った。

 せっかく元の姿に戻ったのである。一人ではどうにも味気ない。彼に秋波を送ってくるお嬢さんの中から、可愛い道連れでも選びだそうか。いや、何も一人に絞ることはない。華やぎは少しでも多い方がいいに決まっている。しかし自分を巡って喧嘩を始められては困る、と大層おのれに都合のいい身勝手な懸念を抱きながら歩いていくと、いつの間にか中央広場に出ていた。

 ここも思い出深い場所だ。かつての彼は別の人物の身体に入り、この場所を歩いて回った。当時を思い返し、ジスタは微笑を浮かべる。周囲を見渡し、屋台や噴水、植えられた大小の花々に目を移していき、次に視線が捕らえた物に対してジスタはほう、と声を上げた。興味深く近寄っていく。

 広場の東端、花壇に囲まれた場所に、つやつやと輝く石で設えられた像が立っていた。

 全身を彼の目と同じ色、花をすり潰して作られたような薄紫に塗られた老人の像は、柔和な笑みを浮かべ、広場を見守るように中央へと視線を投げかけている。白亜の台座には『紫の賢者』とやはり薄紫色で彫り込まれており、両脇には上を向いた魔道具の照明が配置されていた。恐らくは、夜になると明るく照らし出されるのだろう。

 ジスタがこの町で過ごしていた頃には、無かったものだ。町の者の心遣いを嬉しく感じながらも、やはり私の滲み出す色気は表し切れていない、顔ももう少し彫りが深い、と自分の、老人姿でもなお優れ過ぎた容貌を再認識した。

 そして広場を出て立ち並ぶ店を冷やかしていた彼は、ある装身具店で信じられない物体を発見し、誘い込まれたようにそれを手に取った。



「おやジスタ、懐かしいお姿ですね」


 高い位置で一つに纏めた紺碧の髪、同色の目。厚手のシャツに袖無しの胴着、丈夫なズボンという出で立ちで庭の薬草を摘んでいた青年は、突如現れた旧友に目を細めた。ジスタの若い姿を認めるのは、肉体を失くすという不遇から彼が解放された時以来のことだ。しかし今日の服装はいささかやかましい。


「南の地方、エルネットへ行っていたのですか?」


 スターは摘んだ薬草を籐製の籠に入れ、立ち上がってパンパンと手を払った。

「あんたの方こそまた男になっているのか」とブツブツ文句を零した後、整然と植えられた草の群れを見渡しながら、ジスタがそっけなく答える。


「リタズマへ行ってきた」

「ああ、なるほど。さぞかし変わっていたのではないですか?」


 見掛けだけでなく口調までもが変わっている仲間に尋ねながら、スターも彼の視線を追い、さらにその先を見る。数十年前から今に至るまでを思い起こした。

 中天を過ぎた太陽が投げかける日射しの下、一帯に葡萄畑が広がっている。農家が点在しているこの村は、バルトロメ中部、葡萄酒の名産地として知られている。今現在、スターとピジョンが居を構えている緑豊かな地だ。

 身体の時を止めているスターたちは外見の年齢を変えることはできるが、生き物には決まった寿命が存在する。通常よりも遥かに長い間生きるスターたちが人の中で暮らす以上、同じ場所に留まることができる年数は限られている。ここはエルネットに住んでいた頃から、もう二回目の引っ越し先だった。


「さほどのことはなかったさ」


 そう答えた後、それよりもとジスタがスターとの距離を一歩詰める。


「ピジョンがいないなら、男の姿なんてさっさと止めて、私と――」


 と肩を抱くように両腕を上げたところで、ジスタが突然仰け反った。次いで、女の低い声が響き渡る。


「残念ながら俺はここにいる」


 どうやらジスタは後ろから襟首を掴まれ、ぐいぐいと引っぱられているらしい。スターの目の前で、咳き込みながら襲撃者の手を振り解いたジスタが、苦しそうに背後を振り返った。スターはジスタからそちらへと目線を移す。

 そこには、スターと同じ顔をした彩色の違う双子の姉弟。出で立ちの違いもズボンをスカートに変えただけ、というピジョンが秀麗な紅玉の目元を険しく吊り上げ、挑むように腰に手を当てて立っていた。


「殺す気か!?」と薄紫の男が紅玉の女に食ってかかる。

「テメエはいっぺんこの世からオサラバした方がいいんだよ、色惚けジジイ!」


 目と同色の髪を揺らしながら、ピジョンが受けて立つ。


「今はジジイではない! 美青年と褒め称えないか!」

「誰が言うか、やなこった!」とピジョンが吐き捨てた。


 騒がしく激しい意見の応酬をする二人を見るのはスターも嫌いではない。が、スターはまあまあ、と暴れ馬二頭を宥めるような気持ちで割って入った。


「ジスタ、何か用があったのではないですか?」


「ああ、そうだった」と返事し、彼がズボンの胴回り部分に挟み持っていたらしき物体を取り出す。

 面白い物を見つけてな、と目の前に差し出された黒い物体から、スターとピジョンは目を離せなくなった。


「もしかして……」


 呆然と呟いたスターの後を「これは……」とピジョンが受け継ぐ。

 フワフワで、モコモコのカツラ。


「色も様々な種類があった。説明書まで添えられていてな」


 縮れた人工髪が森のように密集する物体をピジョンに押し付け、ジスタが四つ折りにされた説明書らしき一枚紙を広げる。ピジョンが一度渡された黒い塊を嫌そうに見てから、紙に顔を近付けた。

 件の説明書にはまず、上部に使用例と称する絵が印刷されていた。何年か前に開発された、魔道具で写されたものだろう。手描きでは及ばない、まるでその場を切り取って貼りつけたかのように鮮明な絵である。しかしそこに載っていたのは、実に奇っ怪な人物だった。

 一人の男が朱色のフワフワモコモコのカツラを被っている。これだけでも相当異様なのだが、まあそこまではいい。色は違えどスターたちには懐かしくも見慣れた装着物だ。しかしこの男、さらには星形の黒い色付き眼鏡をかけていた。かなり奇妙な装備品である。

 そして彼は、袖と裾が広がった派手な装飾の付いた細身の上下を身につけ、顔と腰の横に配置した両手の人差し指をピンと突き出し、腰をくねらせるというなんとも奇天烈極まりない体勢で自らをキメていた。

 大抵の事柄は面白がるスターだが、目前で主張してくる対象物の突拍子のなさに、言葉もなく絵を見つめた。誰も唸り声さえ上げない。どうやら他の二人もスターと同じ気持ちのようだった。

 いち早く立ち直った様子のジスタが、先を進める。

「下に何か文章が書かれてあるようだ。この髪型を広めた功績者が昔記した自伝から、抜粋したらしいな。えー、なになに?」

 それは、以下のような内容だった。


『アルソーに生涯を捧げた男 サンズ著「アルソーに心寄せて 出会いの項」より

 何がその少女の熱い魂を呼び覚ましてしまったのか。

 オレは彼女の心の叫びをそのまま表現したような髪型を見て、頭を石でかち割られたような衝撃を受けた。今までの自分がいかに甘っちょろい人生を歩んできたか、思い知らされちまったんだ。

 そうとも、オレは腐った果実だった。中略。

 彼女は自分に共感してくれる同志を探していた。その時オレは気付いたね。この出会いは、出口の見えない世界で彷徨う、傷付いた孤独な心二つが紡いだ運命だったのだと。残念ながら少女には、この素晴らしい髪型をいつも広めては回れない事情があるようだった。仕方ないさ。誰にだって、他人に言えない事情の一つや二つはある。

 そうだろ?

 かくいうオレも昔は色々と~中略。

 このイカす髪型を広める。少女から話を聞いた時、オレの頭に突然閃いた考えが想像できるかい? それは紛れもなく、オレの人生で一、二を争うほどの妙案だった。じいさんのハゲ頭のように光り輝いていたぜ!

 オレはその華麗な思い付きを実行に移すべく、地面に両手両膝を突いて頭を垂れた。

 ぜひその大役を受け継がせてほしいと懇願したわけだ。すると業火のように燃え上がるオレの情熱が通じたのか、少女は感激した様子で言った。

 頼む、と。

 少女は跪くオレに手を差し伸べた。オレたちは固い握手を交わし合い、涙で頬を濡らした。それで充分だった。言葉は要らない。オレたちはこの瞬間、ついに分かり合ったんだ!

 少女によると、この大胆ながらも心の奥底を揺さぶる髪型の名前は、アルソーというらしい。腹にぐっとくる名前だ。そして少女の名前は、サウラ。格調高くすらあると思わないかい?

 このカツラを手にとってくれたお前なら、オレとサウラの滾る気持ちが分かるはずだ。野良犬のように心を尖らしちまった傷心野郎め。

 弾けろ!

 お前はもう、一人ではなくなったんだ。

 何故なら、アルソーを身に付けた瞬間からオレたちは、魂で結ばれた兄弟になるのだから――』


「「「…………」」」


 この、何を主張したいか全く理解できない、しかし熱意だけは押し付けるようにグイグイ伝わってくる暑苦しい添え書きを読み終えたスターは、頭痛を覚え暫し沈黙した。ピジョンとジスタも貝のように押し黙っている。

 やがてのろのろと顔を上げたスターは、こめかみを押さえながら口を開いた。


「そういえば、あのカツラを被って時々リタズマへ通っていたようでしたね。イヴを連れて……」

「名前が違うだろ」


 ピジョンも呆れを全面に押し出した面持ちで、意見を述べる。


「確か、アフロじゃなかったか? あいつの名前も変わってるじゃねえか」

「所謂アフロ推進委員会の、副会長というところだろう」


 衝撃から抜けた様子のジスタが、込み上げる笑いを抑えきれないように声を出す。


「この男は字が書けなかったのかもしれんな。筆耕者が聞き間違えたのではないか?」

「あいつも、色々残していったよな」


 ピジョンが、ジスタにつられたように苦笑しながらしみじみ呟いた。

「テメエもこれを被ってみたらどうだ?」と手にしたカツラを突きだして迫るピジョンに、「断る。私の美意識に反する」と虫を追い払うような仕草をジスタが返している。

 見た目だけは仲が良さげな男女の二人がじゃれ合う様子に、スターも笑みを浮かべながら、奇妙な髪型をした少女と初めて出会った時の、その姿を頭に思い描いていた。


 世の中は少しずつ変わっていく。桜を切っかけにして、今まで誰も思いつかなかったカツラで髪の色を変えられるというちょっとした変身術は、ベルディアの都心を中心として少しずつ各地に浸透していっている。生粋の者は相変わらず少ないであろうが、そう遠くない未来、天海の彩を目にしても誰も驚かなくなるだろう。

 それは多分、姿は見えないが確かに存在する何かへの、畏怖や尊敬の念といったものが薄れてきた証なのではないだろうか。天海の彩とは、スターたち平定者を表すとされてきたのだから。

 ユヴェーレンという存在も歴史に埋もれ、やがては人々から忘れられていくのかもしれない。

 ――しかしまあ、私たちは元々表へ出るべき存在ではないのだし。

 スターは裏口へ足を向けながら、古くからの朋輩に声をかけた。


「ジスタ、せっかくここまでいらしたのですから、地元の葡萄酒を召し上がりませんか? お裾分けいただいた取って置きがあるのですが」

「おまっ、こいつには教えるなって言っただろうが!」

「もちろん呼ばれよう」

「テメエは呑むな!」


 賑やかに言い合う二人を先に中へ入れ、スター自身も敷居を跨ぐ。

 変化があるからこそ、生きる意義がある。そうでなくては面白くない。

 しかし胸の奥を羽でくすぐるような感情を呼び起こす、変わってほしくないものもまた、確かにあるのだ。

 スターは家の中へと遠ざかっていく喧噪を聞きながら、静かに扉を閉じた。


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