微睡みの抱擁
※しつこいですがまたまた題名と内容が全く合っていませんので以下同文。
さてさて、今日私は、スター、ピジョン、おじいちゃん、イヴと一緒にエルネット南西部にある海へ遊びにきている。割と太平洋に近い場所で育ってきた私なんだけれど、アージュアではまだお目にかかったことがなかった。そこでスターにねだって連れてきてもらったのだ。
「うわー!」
私は心のままに歓声を上げた。
「凄い綺麗。テレビ見てるみたい!」
それも360度フルスクリーンの。
テレビと聞いてイヴがはてな? という顔をしたけれど、いいからいいからと誤魔化しておいた。
まず近所の海では望むべくもない、粉のようにサラサラした白い砂。チャプチャプと波の穏やかな水面は遠浅で、奥へ広がるに連れて徐々に濃度を増していく水色が放心したくなるほど鮮やか。もちろん透明度は言うことなし。潮の匂いを胸一杯に吸い込み、気持ちよさそうに飛び回る梔子を追って空を仰げば、暑さを振りまき照りつける太陽。そして海面と鏡映しのような色合いが広がっていて、天海の彩の語源がナルホドと納得できた。
「水着欲しいなあ。持ってれば泳げたのに」
「しまった! その手があったか!」
「うん、おじいちゃんのその声で泳ぐ気なくなったから、もう残念がらなくていいよ」
こちらの水着は向こうのよりも断然露出が少ない。それでも薄い一枚着の布で覆われるだけだから、当然肌の線は浮き出やすく、まあはしたないといえる。おじいちゃんのように期待する人が傍にいると、普段は特に気にならない格好も絶対に披露したくなくなるのが人情というものだ。
「余計なこと言うな、ジスタ……。せっかく桜がその気になってたのに……」
「イヴも泳ぎたかった? じゃあ、今度行こうよ。スターも一緒に」
「ぜひ儂も混ぜてくれ!」
「ああ、もうその辺にしとけスケベジジイ。見ているだけで痛々しい」
「ではまた折を見て参りましょうか。女性だけで」
ガックリと砂浜に膝を着いて項垂れるおじいちゃんを余所に、女同士で盛り上がっていた。今日は珍しく男性姿でいるピジョンは、横で呆れ返っている。
そうこうしていたら、不意に砂の上に影が射した。
なんで急に?
不思議に思って空へ目をやると、分厚い暗雲が立ち籠めている。しかも私たちの頭上にだけ。他は一点の曇りもない碧空で晴れ渡っているのに。まるで真上の暗さに呼応するように、自然と私も顔を顰めてしまった。
「何、あの雲?」
「これは……来ますね」
「ちょっと危険かもな。桜、こっち来い」
「帰る……。桜、今度海、絶対行こうね……」
「えっ、イヴ?」
戻ってきた梔子を肩に乗せて突然姿を消してしまったイヴに驚きながらも、素直にピジョンの元に行くと、何故か抱え上げられて更に面食らってしまった。
「いきなりで悪いな。少しの間我慢しろよ」
「その若造では不安だというなら、儂の所に来るがよいぞ」
とりあえず、おじいちゃんに抱えられるのは空恐ろしい感じがするので、首を振って断っておく。それと同時に、ピジョンに疑問をぶつけた。
「なんなの一体。あの雲と関係あるの? それに来るって何?」
「すぐ分かる。しっかり掴まってろ」
そう返すピジョンは、逃れようのない天災にげんなりしているような感じで、スターとおじいちゃんもどことなく諦めムードを漂わせている。スタコラ去っていったイヴも気になるし。
私だけわけが分からず、眉間に皺を集めていると。
「来ます」
スターが身構えるように呟いたのと、ピジョンの腕に力がこもったと感じたのと同時だった。
空から――多分あの黒雲から、まるで大地を裏側まで貫くような、とんでもない勢いで太い光の柱が落ちてきた。放電時特有の輝く糸で繋がったような小さい玉が、無数に弾けては消えていく。純粋な力そのもの。強大無比な威容。
痛烈なその輝線に、目の前の世界が左右真っ二つに分断される。咄嗟にピジョンにしがみついて目を瞑ったものの、網膜には凄まじくも眩しい閃光が焼きついてしまった。次いで、鼓膜が破けてしまうんじゃないかと思うような爆発音が轟き渡る。慌てて耳を塞いでも、音波が私の耳を突き抜け、切り裂いていった。
その音と光を怖いと感じる余裕もなく。
つうっ、まぶたの裏はチカチカするし、頭がワンワンする。なんでいきなりこんな。
ピジョンに縋りつき、その肩に顔を押しつけて苦痛に耐える。すると背中に回ってきた手が宥めるようにさすってくれた。それから別の手に頭を柔らかく押さえられる。あ、気持ちいい。
そう思った次の瞬間。
「あれ、治った?」
私は状況が把握できず、パチクリ瞬いた。
ケロリ、と表現したくなるほどに。さっきまで身を苛んでいた感覚が嘘みたいになくなった。
耳は少し前までと同じく静かな波の音を拾い、開いた目は正常な光を取り戻している。顔を上げて前に焦点を当てると、間近には心配そうに覗き込んでくるスターの顔があった。
「大丈夫ですか?」
あ、そうか。スターが治してくれたんだ。
「うん、ありがとう」
やっぱりピジョンと違って治療が早いんだなと思いながらお礼を言っておく。
そうすると、ピジョンから勘繰るような目を向けられてしまった。
「なんか含みがありそうだな」
う、鋭い。
ピジョンには、そんなことないよと焦って弁解しておいた。
「ところで、さっきのは――」
「私だ!!」
――何? と続けたかった私の後を引き継ぐように、一点のやましい所も後ろ暗い所もない、故事成語にある『天網恢々疎にして漏らさず』なんてのとは生まれてこの方一切縁がなかったもんね、と突きつけられるような。
ほれぼれとするほど威風堂々とした、明朗快活な声が耳朶を打った。
なんなんだ?
なんとなく、碌なもんじゃなさそうだと思いながらも声の方へ目を向けた。同時に白浜が何の破壊痕もなく、なだらかに続いている様を確認した。焦げた匂いさえしない。スターが膜を張っていたのかな?
「久し振りだな、諸君! まさかこの私を忘れているなんて、薄情なことは言わないだろうね!」
薄い桃色の短いふわふわした髪と、同色の大きくて力強い目。まずはこれだけを確認して、やっぱりユヴェーレンなのかと達観しながらも納得する。
年齢は私と同じぐらいかな。ちなみに男性だ。
ユヴェーレンの例に漏れず、造りの良い顔立ちが浮かべる満面の笑顔は、溌剌とした無邪気さというのがピッタリくる。背も高いし女の人と見間違うようなことはないけれど、色白の頬は上気してほんのり薔薇色で、髪と目の色彩も相まって可愛いなと思ってしまった。
服装は歴史の教科書で見たことがあるような、古代ローマの人を連想させる。シャツの上に布を巻き付けているというのがホープに近い。でも、ホープの格好はちょっと違っていてインドのイメージだった。っていうか、ユヴェーレンって特色豊かだよね。
胸元に、とても目を惹くブローチが存在を主張している。小粒で虹色の光沢を纏った真珠が一杯集まった、六角形。意外にも乳白色で、髪と目とは同色じゃなかった。それに真珠そのものも六角形ってわけでもないんだな。ま、そりゃそうだよね。
それにしてもこの、言葉の句切りの後に必ず感嘆符が付いていそうな喋り方。初めて会った人にこんな感想を抱くなんて失礼だとは思うんだけれど。この人ってばともかく。
「やかましい!」
ピジョンが私の心中を代弁してくれた。
何しろさっきの台詞の間だけでも、顔の表情は或いは嬉しそうに、或いは不安そうにと。また、身振り手振りを加えた動作はちょっとした運動にもなるんじゃないかと思えるほど大袈裟で、全般的に何もかもが騒々しい。
そう、丁度イヴと正反対。
あ、だから急いでこの場を離れたのか。対極に位置するこの人に飲み込まれてしまいそうだもんなあ。
「誰がテメエみたいに強烈な奴を忘れるか」
私が新たに出現したユヴェーレンについて情報を整理している間にも、やり取りは続いている。
「それからいちいち移動する度に雷降らせるな、危ないだろうが。少しは言動に落ち着きを加えろ」
「そこに見えるのはジスタか! 風の便りに身体を取り戻したと聞いていたが、旧友の無事な姿を見届けられるとは、今日は何と佳き日なのだろう!」
そうか。ピジョンが私を抱えたのは、電流から身を守ってくれるためだったんだ。話の最中で忙しそうだからお礼は言わないけれど、感謝の気持ちは噛みしめておこう。ありがとね、ピジョン。
薄桃色の人はピジョンの苦言なんて右から左へ通り抜けましたとばかりに無視を決め込み、クルリとおじいちゃんの方を向いて手を広げ、全身で喜びを表している。
「お前さんの意気盛んな姿を見られて儂も嬉しいぞ。相変わらず元気過ぎるようじゃが」
「ああっ! しかもこの場には恋しいスターの姿まで! 君とは幾夜の夢で逢瀬を重ねたことか! 依然として美しい……!」
基本的に人の話は聞かない主義みたいだ。
おじいちゃんが答えている途中で素早くスターの傍へ移動し、恭しい動作でその手を取って、喜びに打ち震えながら握りしめている。スターは慣れているのか、さりげなく手を外して愛想のいい笑顔をふりまきつつ、「お久し振りです」と言って応えた。
髪と目の色、象徴である宝石から判断して。
「ねえ、あの人ティア・パールなの?」
なんとなく話しかけられるのが怖い、というよりはどちらかというと面倒な気がして小声でピジョンに尋ねる。けれどその仕草が目端に入ってしまったのか、ついには私の番が来てしまった。
「そうさ!!」
口を開きかけたピジョンよりも早く、稲妻のような声が注目を浚う。
「我こそは!」
すぐ近くにいるのにどういうわけだかズンズンと。
「ユヴェーレン六角の座、いかずちの貴公子パール也!」
芝居がかった口調と所作の影響か、ゆっくりと徐々に近付いてくるような錯覚がつきまとう。
そして未だピジョンに抱えられ、圧倒されて仰け反り気味な私の前でピタリと動きを止め、陶酔した様子で朗々と語り出した。
「魔力を持たない天海の彩のお嬢さん! ああ、言葉に出さずともよい! 君の欲するところは全て解っている! 天文学的な確率で付与される途方もない幸運を喜ぶがいい! 君にとって僥倖なことに、今日の私はとても気分がいいのだ! この巡り合わせを、天佑神助と涙を流して喜びたまえ! さあ、今こそ私の尊い名を授けようではないか! 以後、尊崇と畏敬の念を以て口にすることを許そう! 我が名はラウンド! ラウンド・パール!!」
「やかましいっつってんだろうが!」
「あ痛っ!」
自らの台詞と動きの一つ一つが感に堪えないといった様子のティア・パールに、ピジョンが憤りの籠もった拳骨をお見舞いする。
ティア・パールは暫しのあいだ悶絶していた。
「何をするんだ!」
殴られた頭を両手で抱え込みつつ顔を上げ、怨みがましい目でピジョンを睨めつけている。
そして突然、はっ! と自らが放った雷に打たれて大変な事実に思い当たってしまったというような表情を浮かべた後、片方の手のひらに、もう片方の拳をポンと打ちつけた。
「そうか、分かったぞ! 君の、私に対する態度がどうにも冷たいと常々疑問に思っていたのだが、今やっと理解するに至った!」
「テメエがイチイチうるせえから――」
「私に向ける嫉妬だな!」
ピジョンの意見なんて、そよ吹く風のごときな扱いで遮った。やっぱり他人の声は全然耳に届かないらしい。
「私が姿を現す度、スターは歓呼の念を露わにして迎え入れてくれている!」
そうかな? こっそりスターを窺うと目が合い、何も言わなくても分かっている、とばかりに一切合切を超越したような微笑みを向けられた。
「姉を取られたようで悔しいのだろう! しかしピジョンよ! もう君もいい加減姉離れをすべきではな――あ痛っ!」
それ以上は聞く価値なしと判断したのか、溜息を吐いたピジョンがまた拳を振るう。
結局おじいちゃんまで加わって、三人で侃々諤々と騒ぎ出した。私はといえば巻き込まれたくなかったから降ろしてもらい、スターの所へ避難している。
「ねえスター、ティア・パールが増えて、いつもより余計に騒がしくなってるね」
「せっかく彼に名乗っていただいたのですから、どうぞラウと呼んで差し上げてください」
「ん……分かった」
なんだかんだで私の方からはまだ喋ったことのない人を、いきなり呼び捨てにするのもどうかとは思うけれど、その内慣れるだろうからまあいいかと思い直した。
私が了解と頷くと、スターが続ける。
「ラウが来るといつもこうなるのです。でも三人共楽しそうでしょう?」
それは好意的に解釈しすぎなんじゃないの? スターの言葉に首を傾げながらも、改めて三人へ視線を飛ばす。
「ああもう本当にうるせえ! 大体、お前何しに来たんだ」
「なんということを! こうして顔を見せにきた親愛なる仲間に対して情の感じられぬこの仕打ち! 紅蓮の炎を司るルビーのユヴェーレンのくせに、君の中には熱い血潮の代わりに色の付いた氷水が通っているに違いない!」
「で、端的に言うとなんなんじゃ?」
「暇だから遊びにきたのさ!」
生き生きしているのはラウだけのように見えるんだけれど。
得意げに放たれた台詞にピジョンは脱力し、おじいちゃんは「まあそんなところじゃろうのう」と得心のいった様子で頷いていた。
いつも思うけれど、ユヴェーレンが暇していていいんだろうか?
まあそれはともかく、確かにピジョンとおじいちゃんはあんな感じで日常的に言い合っているんだから、たまには他の人ともやり合いたいのかもしれない……のかな……?
「愉しい時というものはすぐに過ぎ去ってしまうものだな! とうとう別離の時が来てしまった! では諸君、後ろ髪引かれる思いではあるが、出会いにはいつも寂しい別れがつきまとうものさ! どうか悲しまないでくれたまえ! またの再会を願って――いざさらば!!」
その後、心ゆくまでピジョンを疲れさせて気が済んだらしいラウは、名残惜しそうな様子を微塵も見せず、高笑いを残して颯爽と消えてしまった。一応気遣ってくれたのか、今度は電流を控えてくれたみたいだ。
「頼むから、もう来ないでくれ……」
ピジョンはこの僅かながらも濃密な時間を過ごす中で、気のせいかやつれてしまったように見える。私はその疲労感漂う背中を、お年寄りを思いやるような優しさでポンポンと叩いて労ってあげた。
それと同時にやっぱりユヴェーレンにまともな人はいないと、より一層の確信を深めたのだった。




