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ネズミ狩り

 私がこの世界、アージュアに来てから。更には今住んでいるローズフォール城に来てからもう一年が経つ。

 まあ異世界といってもそんな突飛な現実に実感は殆どなく、ただ外国で過ごしているだけという感覚が強い。魔術だのなんだのは、文化の違いだと思えるし。

 この一年でその文化の違いや気候、食べ物、風習にも大分慣れてきた。おじさんたちに会えなくても特に落ち込むことなく暮らせていけるのは、周りが優しい人たちばかりだからだと思う。本当に、感謝だ。


 ところで、今私がどこにいるのかというと。

 うーん、説明が難しいな。

 ローズフォール城の中だということは分かりきっている。内装はかなり簡素だ。絨毯の敷かれていない廊下、装飾が一切無い石壁。木枠の窓はあるけれど、日当たりがいいとは言えない場所。

 大勢の使用人さんを抱えているお城やお屋敷では、家の人とは住むエリアを明確に区分しているらしい。家人用のスペースに立ち入っていいのは、基本的にはエレーヌやソフィアなんかの上級の使用人さんだ。使える階段なんかも分けられている。

 逆をいえば、私の方も使用人さんたちのエリアに入ってはいけないということだ。「むやみに顔を出して、彼らの仕事を邪魔してはいけません」と、こういうことには厳しいアステルにきつく言い渡されている。

 とはいえ好奇心旺盛な若者の情熱を、そんな言葉一つで止められるはずがない。お城を探検中に意図せずして境界線外へ踏み込んでしまうのはままあることだ。現在地が分からなくて右往左往している内に通りかかった使用人さんに発見され、頭上に雷雲を溜めたエレーヌとソフィアに引き渡されるのも幾度となくあった。

 使用人さんたちの手を患わせて申し訳ないと思いながらも私がこの行為を止めないのは、ちゃんとした理由がある。使用人さんたちは迷い込む度にコッソリお菓子をくれたりするし、私を引き渡すために普段立ち入ることの許されない豪華な場所へ赴くことができるのだから、大歓迎と言ってくれたりするのだ。

 だったらご期待に添えるよう、張り切るしかないじゃないの。例えリップサービスでそう言ってくれたのだとしても、そんな不都合な可能性は除外するのが無鉄砲な若者らしさというものだ。

 というわけで、ここは所謂使用人棟なのだと思う。いつも過ごしている本館とかとは違って、そこら辺に物が置かれていたりとゴチャゴチャしているけれど、活気のある感じで結構好きだったりする。

 それにしても、と私はグルリと首を巡らせた。何度も迷い込んだとはいえ、ここは全く見覚えのない場所だ。

 お城というのは広大で、未だに入ったことのない箇所はいっぱいある。聞くところによると、当主と次期当主しか知らない抜け道というのも存在するらしい。一度アステルに訊いてみたこともあるけれど笑ってはぐらかされてしまい、教えてもらえなかった。

 ケチだ。

 ……じゃなくて。

 お城は広すぎるくらい広いんだから、方向感覚に多少の自信がある私でも、迷ってしまうのはしょうがないと思う。

 見渡しても人っ子一人いやしない。僅かに寂しさを覚えながら私は歩き出した。進んでいく内に、誰かと出会えるだろうし。

 そして一つめの角を曲がった私は、目前に男の人を発見した。使用人さんらしき身なりをしたやせ形の男の人が、私に背中を向けて俯いて立っている。

 この人に助けてもらおう、と私は声をかけることにした。


「あのー……」


 途端に男の人が驚いたようにビクリと肩を跳ねさせた後、警戒するように、不自然なほどゆっくりと振り返った。その時、手に持っていた何かを懐に隠していたのに気付いた。チラッと見えたけれど、メモ用紙かな? 何かの用事を書きつけていたのかもしれない。

 男の人は、私を見て目を見開いた。


「て、天海の彩!」


 ここの人は私の存在にすっかり慣れっこになっている。ちょくちょくお世話になるから、下働きの人にだって面識はあるはずだ。ということは、最近になって入ってきた人なのかもしれない。


「すいません」


 私はかわいこぶりっこで尋ねた。


「私、迷っちゃったんですけど、本館へ行ける道を教えてもらえませんか?」


 しばらく驚愕に固まっていた男の人は腑に落ちたような表情になり、次いでとても愛想のいい笑顔を浮かべてくれた。


「分かりました」


 ちょっとホッとした。迷惑そうな顔をされたらどうしようかと思っていたのだ。


「ご案内します。さあ、こちらへ」


 そう言って、手を差し伸べてくる。あれ? と思った。

 私はもう十三歳だ。これくらいの年齢ならもう立派なご婦人と見なされる。この国の人は文化的に、初対面ではむやみに異性の身体に触れようとはしない。当然例外はあるかもしれないけれど……

 おかしいなと思いながらも、まあ人懐っこい性格なんだろうと気にしないことにした。年齢よりも下に見られるとはいえ、そこまで小さく見られているとは思えないし。というか、そんな考えは頭から閉め出す。

 ヘンリー父さんのお城に勤める使用人さんに、変な人はいないと思う。はぐれないように手を繋ごうとしてくれてるんだろう。

 左手を出して、近付こうと一歩を踏み出した時だった。


「桜」


 こ、この声は――

 私はピタリと動きを止め、恐る恐る背後を振り返る。そして悲鳴をあげた。


「な、なんでいるの!?」


 そこには、後ろに剣を帯びたお付きの人を従えて、存在だけで周囲の明度を高める美貌の持ち主。――アステルが立っていた。

 何故だ! アステルが帰ってくるなんて聞いてない! 私はここからダッシュで逃げ出したくなった。


「その質問に答える前に、まずはこちらへ来てください」


 ううっ、両手を広げて迎えてくれる、その麗しい笑顔がなんともおっかない。

 私は普段、アステルがいる時はさすがに探検を控えるようにしているのだ。理由はもちろん、エレーヌとソフィアよりもお説教が長い上に、罰則までついてくるから。

 観念しながらも躊躇いがちに近付いていくと、ひょいと抱えられた。


「びっくりしていただこうと思って、お知らせせずに帰ってきたんです。驚きましたか?」

「驚いた……」


 そりゃもう背中を戦慄が駆け上がるほどに。会えて嬉しいという気持ちはもちろん大きいんだけれど、言い訳しようのない現場をしっかり押さえられてしまった。

 複雑な心境で頷く私のほっぺたにアステルがキスをし、私も同じ場所にお返しする。そうしてから、アステルは私を抱えたまま来た道を引き返し始めた。


「後の処理は任せます」

「かしこまりました」


 お付きの人の脇を通り過ぎる際、アステルたちがこんなやりとりをしていた。


「今の、どういう意味?」

「隙間から、ネズミが入り込んでくるようです。駆除と、警備の強化をお願いしたんですよ」

「ふーん。そうだよね。貴重な食べ物とか荒らされちゃうもんね」

「そうですね。食糧だけでなく、大切な宝物まで奪われてしまうかもしれませんからね」

「ネズミってそんなことまでするの?」


 ネズミが、例えば宝石なんて持っていってどうするんだろう? 光り物を収集する癖があるカラスじゃあるまいし。首を傾げて問いかけると、そういう場合もあるのだと微笑しながら答えられた。


 その後はやっぱり一時間以上の理屈責めに遭い、お昼ご飯とおやつを抜かれた。

 夕飯まで、私の憐れなお腹は切実な窮状を訴えていた。


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