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懲りないガスト

 ベルディア王城に幾種類か存在する庭園の一つ、ヴェールの園。

 この庭には、その名の通りカーテンのように覆い広がる植物が多く配置されている。その特性上、知る人ぞ知る、道ならぬ恋に勤しむ男女の密会場として利用されている。

 その庭園から一人の男が実に堂々とした足取りで出てきた。自信に溢れた薄桃色の目、手櫛で整えたであろう少し乱れたオレンジの髪――ガストである。


 ガストが城内へ戻るために敷石の小径を進んでいると、途中の木陰で談笑している一組の男女が目に入った。

 あれは――


「バド!」


 呼びかけると二人が揃ってガストを振り返る。彼はそのまま近寄っていった。


「ガスト。何か用事の帰り……訊かない方がよさそうですね」


 アステルはガストがやってきた方向へチラリと視線を投げかけ、得心したように、或いは少しの呆れを表すように質問することを止めた。ガストとしても、可憐なご婦人の前でいかがわしい種類の情事を話す気はない。

 さて、ガストによって可憐なご婦人と目されたもう一人の人物、経緯のよく呑み込めない桜が口を開く。


「こんにちは、ガストさん。アステル、訊かない方がってどういう意味なの?」

「いいえ、なんでもありませんよ。そろそろ行きましょうか」

「待て待て待て!」


 桜に麗しい笑顔を向けてさりげなく自分から離そうとする護衛仲間に、ガストは当然のように抗議した。


「俺の方からもサクラ殿に挨拶ぐらいさせてくれたっていいだろう! なんでいきなり帰るんだ!?」


 アステルは重大事を打ち明けるが如く、桜に聞こえないようガストに顔を近づけ、小声で答える。


「桜を不道徳な空気に触れさせたくないんです」

「人を病原菌みたいに言うな!」


 ガストは同じく小声で怒鳴るという器用な小技を披露した。


「お前が黙ってりゃ分からないだろうが!」

「襟の合わせ目から覗いていますよ」


 淡々と注がれた視線を追って自らの鎖骨辺りを見下ろし、そこに今まで何をしていたか一目瞭然の、真新しい、誤魔化しようのない赤い印を発見した。何気ない仕草で襟元を隠す。

 ガストは取り繕うようにコホンと咳払いをした。


「それを言うならバド」


 悔し紛れにコソコソと話を続ける。


「お前の心ない態度に深く傷付いた俺は、サクラ殿にお前の数多い武勇伝をポロッと零してしまうかもしれないなぁ」


 失態を指摘された男はこれでどうだと少々勝ち誇ったような気分で、とっておきの台詞を吐き終える。しかしその途端ガストは裸で極寒の地に捨て去られたかのような、もう絶対に助かることはないだろうという絶望的な気分にさせられた。

 なんで俺は、故郷の母親にもっと親孝行してやればよかったなんて思っているんだ? 精鋭の誉れ高い王太子殿下の護衛はどこからかこみ上げてくる震えと共に、判別し難い不思議な気分を味わった。


「…………ガストが今親しくしているお相手は」


 そしてアステルが凄みさえ感じられる美しい笑みを浮かべ、しゃべり始める。


「確かレノール夫人でしたか。御夫君のグラフ子爵は大層な愛妻家でいらっしゃるとか。子爵に、最愛の伴侶を悪の道に引きずり込んだ男の名を囁いたら、その男はどうなるんでしょうね?」

「お前……どうしてそれを……」


 男女の駆け引きには多少の自信があるガストは、不義の密通を関係者に気取られぬよう推し進めていく方法も熟知している。いかに周囲の目を欺き逢い引きを果たすか。それが醍醐味の一つであるのだ。それなのに、いつの間に知られてしまったのか……

 ガストが一気に青冷めるが、アステルは容赦なく続ける。


「ああ、ご心配なく。子爵には、夫人は非道な男に騙されていただけの、むしろ被害者だと弁舌を尽くしてご説明差し上げておきますので。罪深いのは、貞淑な賢妻を許し難き手腕で以て貶める、奸智に長けた男の方だと」

「そりゃあお前、ちょっと酷いんじゃ……」


 ちょっとどころではない。まるでガストが極悪人のような言い様である。


「ではこちらはどうでしょう? 以前ベルナールの元に、顔も名前も知らないご婦人から熱烈な愛を謳う手紙が届いたそうです。更には、そのお父上から娘を夜会に誘ってほしいとまで頼み込まれたのだとか。いくら考えても心当たりがなく、非常に困惑させられたと話してくれたことがありました。どうやらベルナールの名を騙ってそのご婦人と一夜の情を結んだ不届き者がいるらしいんですが、どうも人相風体を伺ってみると俺の知り合いに特徴がよく似ているんです。もしよければガスト、一度お会いしてみませんか? 案外気が合うかもしれませんよ。娘さんは先日離縁したばかりだそうで、お父君も彼女の行く末を非常に案じておられるそうです。裕福なお家なので持参金も多そうですよ。やりましたね、ガスト。遂に年貢の納め時ですか? それが気に入らなければ次は――」

「分かった! もういい!」


 こいつ、こんな性格だったか!?

 このまま放っておくと他にどんな事実が飛び出してくるか分かったものではない。蕩々と捲し立てるアステルを押し止め、何故ここまで自分の行動が筒抜けになっているのかと空恐ろしさを感じながら、ガストは白旗を揚げた。


「俺が悪かった! 二度と余計なことは口にしないと約束する!!」


 どうやら突いてはいけない藪を掻き分けて踏み込んでしまったらしい。もう少しで噛みちぎられるところだった。


 ガストの返事と頭を下げる姿を見て気が晴れた様子のアステルは、一体何があったのかと釈然としない表情を作る桜に「甘い物を食べに行きましょう」と誘いをかけ、それで全ての疑問をなかったことにした彼女を伴い行ってしまった。

 ガストはそれを言葉もなく見送る。


「これからはもう少し周りの気配に気をつけて行動しよう」


 決意を表すように拳を握り締め、懲りない独り言を落として城内へと戻っていくガストであった。


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