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蒼生の愛情表現

 桜は駆けていた。いや、逃げていたというべきか。

 周囲は無明の闇に包まれ、踏みしめている足場の素材さえ把握できない。

 いつからこうしているのだろう? 恐ろしくて背後を確かめる気にもなれず、何から逃れようとしているのかすらも判然としない。

 とにかく、追跡者は近付こうともせず、遠ざかろうともせず、懸命に振り切ろうとする桜の努力を嘲笑うかのように、一定の距離を開けて後ろをついてきていた。

 桜の頭には走ることしか思い浮かばず、時折もつれそうになりながらも必死で足を動かし続ける。

 不思議なことに、どれほど走ろうとも疲労感を覚えることはなかった。

 ふと、まるで自分が走ることを目的に作り出された、機械人形のようだという想像が頭をよぎる。

 おかしなことを考えていたせいだろうか。突如、つま先が地面に引っかかってしまった。

 ――こける!!

 そう思った刹那、桜は自室のベッドから勢いよく跳ね起きた。



「――夢だったんだ……」


 よかった。

 桜は荒い息を吐きながら、先程の夢を思い出し、恐怖に身震いした。

 なんとなく、このまま寝てしまうのは怖い。しかし蒼生の部屋に行ったところで、十歳にもなっておまえは一人で眠ることもできないのか、と馬鹿にされるのは目に見えていた。

 それは業腹だ。

 意地を勇気に振り換え、それでも部屋の電気はつけておくことにする。

 今度は嫌な夢を見ませんように、と頭の中で何かに祈りを捧げ、桜は改めて眠りについた。


 桜は真っ暗な空間を駆けていた。

 ――またかよ!

 心の中でツッコんではみたものの、先ほどよりも追跡者は近付いているようだ。

 バサバサという羽音が聞こえてくることから判断すると、どうやら鳥の類らしい。

 しかしそんなことが分かったところで何の慰めにもならない。むしろ、距離が縮まっているという事実に恐怖感がいや増すだけである。

 先ほどと同じく死にもの狂いで疾走し、やはり先ほどと変わらずつまずいてしまった。

 そしてまたもやベッドの上で目が覚める。

 どうしていちいち決まり事のようにこけてしまうのか?

 夢の出来事に理不尽さを感じながらも、もうこのまま寝てしまう気にはなれない。

 桜は意地という、何の得にもならない感情は遠くへ捨て去り、蒼生の部屋へ逃げ込むことにした。



「おまえさ、その歳にもなって、一人で寝ることもできないわけ?」


 予想通りの憎たらしいお言葉。

 それでも桜の中では、蒼生の発言に対する怒りよりも恐怖心の方が勝った。


「だって……怖いんだもん。一緒に寝てよ、蒼兄ちゃん。ほら、枕もちゃんと持ってきたからさ」


 蒼生は桜の胸にしっかりと抱かれている枕に目を留めると、仕方がないという風情で一つ息を吐く。ベッドの隅に寄り、上掛けをめくって空いた片側をポンポンと叩いた。

 その仕草に桜は目を輝かせる。


「ありがとう、蒼兄ちゃん!」


 これで安心、と桜は蒼生の横に収まり、目を瞑った。

 そこに蒼生が余計な呟きを漏らす。


「知ってるか? 夢ってのは、同じ内容を三回続けて見ると、正夢になるらしいぞ」

「嘘っ!!!」


 桜は信じられないことを耳にしたという驚愕と共に、パチリと目を開けた。

 せっかく安らかに眠れると思ったのに、何て酷いことを言うのだ!


「嘘でしょ、蒼兄ちゃんっ!? ねえっ!!」


 身を起こして蒼生の腕を掴み、ガクガクと揺さぶりながら撤回の言葉を求める。

 しかし蒼生は「さあな、早く寝ろよ」と無慈悲な一言を残し、自分だけさっさと寝てしまった。

 桜は両手で頭を押さえ、悲壮に顔を歪ませた。そんな恐ろしいことを聞いてすんなり眠れるわけがない。

 蒼生の腕に縋りつきながら、絶対に寝るもんかと岩石のごとき決意を固め、目を皿のように見開いて頑張った。

 しかし所詮は十歳。まだまだ徹夜をするには早過ぎるお年頃。

 夢と蒼生のおかげで味わい続けた恐怖感は精神を確実に疲労させており、上下のまぶたを仲違いさせることに失敗した桜はあっさり眠り込んでしまった。


 桜は真っ暗な空間を駆けていた。

 ――蒼兄ちゃんのバカバカ!! また見ちゃったじゃないか!!

 桜はこの夢を、余計なことを言った蒼生のせいにすることにした。

 それにしてもヤバイ。

 追跡者はもう桜のすぐ後ろまで迫っている。息遣いまで聞こえてきた。

 桜はしゃにむに走ったが、ああ無情。

 やはり思う通りにならない足は、期待を裏切らずにけつまずいてしまった。

 先ほどまでのパターンならここで目が覚めるはずなのに、桜はそのまま転んでしまう。

 蒼兄ちゃんのせいだ!

 蒼兄ちゃんがあんなことを言ったせいで本当になっちゃったんだ!!

 恨んでやる! 化けて出てやる!!

 気分的にすっかり夢の住人になってしまった桜は、心の中でひとしきり蒼生に対する悪態を吐くと、追跡者の正体を確かめるべく、決死の覚悟を以て振り返った。

 そこにいたのは――。



「――で、何だったんだ?」


 眩しい日の光が射し込む朝である。

 惰眠を貪っていた桜は蒼生に叩き起こされると、昨夜の意地悪な発言に対して怒りの混じった文句をしっかりと述べ、夢の内容を話して聞かせた。


「富士山型の帽子を被って、足に茄子を掴んだ鷹だった」

「はぁ?」


 あの後、その奇妙なナリをした鷹は桜の目前に茄子を落とし、頭の上に飛び乗って「クエーッ」と一声鳴いた後、どこかへ飛んでいってしまったのだ。


「まだ夏が始まったばかりだぞ。気が早い奴だな」


 言わずと知れた、初夢で縁起が良いとされる三品目である。


「別にお正月じゃないと見ちゃいけない夢でもないでしょ? ね、蒼兄ちゃん、昨日言ってたことってホント?」


 結局、三度同じ夢を見てしまった。

 これが悪夢なら願い下げだが、良い夢なら是非とも現実になってもらいたい。


「ああ、ありゃ嘘だ」


 あんな戯れ言真に受ける奴がいるのか? とでも言いたげにあっさりと答える蒼生に、噛みつきたくなる衝動が芽生えた桜だったが、続く言葉で思い止まった。


「でも嘘でよかったな。途中までは怖い夢だったんだろ?」


 それは確かにその通りだったのだ。


 結局、幸運とも不吉とも判断の付かない内容に、蒼生の言葉が嘘であったことを喜ぶべきか、残念がるべきか。

 忘れてしまうまでの数日間、ふとした折毎に夢を振り返っては、思い悩んでしまう桜であった。


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