お菓子の家 2・3
★お菓子の家2
就寝前、桜は四歳の長男ルイスに絵本の読み聞かせを行っていた。
「そういえば……」
キリのよい所まで読み終わり、ふと思いついて昔アステルにも話して聞かせたことのある、お菓子の家について語りだす。
「おとぎ話にね、お菓子の家っていうのがあるんだよ。その家は人が住めるほど大きくて、クッキーとか飴とか、全部がお菓子で出来てるの」
「母上、その家を企画した人物は、どういった趣旨でそのように意味の見いだせない住まいを建築したのでしょうか? ああ、観光事業の一環ですか? それなら納得ができます。その中で飲食物を提供することを目玉にすれば、物珍しさに集客率も上がりそうですね。でも甘い香りが漂ってきそうですから、父上のように甘味を苦手とする方には評判が悪くなりそうです。まさかその家をそのまま食べるなどと、手間と労力と費用を無駄に散じるだけの、無益な目的のためなどとはおっしゃいませんよね?」
「おとぎ話って言ったでしょ……」
そのまま食べることが目的だって、夢があっていいじゃないか。グレアム家の男どもときたら、揃いも揃って!
およそ子供らしくない長男をなんとか教育(?)してやろうと始めた読み聞かせだが、努力も虚しく、望んだような効果は全く得られていない。
やがて安らかな寝息を立て始めたあどけない顔を眺めながら、後で大本であるアステルには盛大な文句を浴びせかけてやろうと、理不尽な誓いを立てる桜だった。
★お菓子の家3
ローズランドに孫たちがやってきた。
夜、お祖母様たちと一緒に寝たいというミリーの願いを受け、桜とアステルは間に彼女を挟んだ川の字で寝台に納まっている。そして今度こそ狙い通りの反応を返してもらおうと、桜は寝物語にお菓子の家を話して聞かせることにした。
ちなみに彼女の子供たちはといえば悉くが、失笑するような、或いは肯定的でもそれは、自分たちを喜ばせるために話す母の親心を汲み取った上のものである、という気遣いがありありと伝わってくる芳しくない反応を返してきたので、この物語に純粋な憧れを抱き続けている彼女は今まで大層みじめでくやしい想いを味わってきたのだ。
ミリーの兄たちも長男ルイスの気質をそのまま受け継いでおり、言動が予測できるため、もう聞かせる気にもなれない。しかしまだ六歳の孫は夢見がちで性質もおとなしい。桜の期待は膨らむ。
「ミリー、おとぎ話にね、お菓子の家という物語があるのよ」
「まあ、題名をお聞きするだけでとても楽しい気持ちにります、お祖母様。ぜひお聞かせくださいな」
「そのお菓子の家とはもしかして――」
「アステルは黙っていてちょうだい」
また余計な口を挟まれては元も子もない。この楽しい物語を理解しない現実主義者の口をピシャリと閉ざし、桜は語り始めた。
しかし物語のさわり、まだ『お菓子の家』の『お』の字にも至らない所で、ミリーが悲しそうにシクシクと泣き始めてしまった。突然のことに桜は驚き、アステルが身を起こしてミリーを抱き上げる。
「ミリー、どうしました?」
「だってお祖父様」
夢見る少女な孫はしゃくり上げながら理由を語り出した。
「このお話の、お継母様のなさりようは余りに酷すぎます。ご兄妹がおかわいそうで、私、わたくしっ……!」
すっかり感情移入した様子で、祖父に縋りついて泣き伏す。
桜は思わずアステルと複雑さの滲む視線を通わせた。その間にもアステルの手は宥めるようにミリーの背中をさすり、もう一方の手は頭を撫でている。
話の中で件の賢くて幸薄い兄妹は、継母から置き去りにされたところだった。しかもそれはまだ一度目で、これからいよいよ、帰り道の目印に光る小石を置いてあるという兄の策士振りが披露される、痛快な見せ場に雪崩れ込む予定だったのだ。
しかしこのまま話を進めても、恐らくミリーは継母による二度目の極悪非道な仕打ちで号泣し、パンくずを小鳥に食べられる絶望的な場面で身も世もないと絶叫するに違いない。お菓子の家の住人が、人食い魔女だと知ったらミリーは一体どうなってしまうのか、恐ろしくて桜には想像することができなかった。
泣き疲れたのか、ミリーはいつの間にか寝てしまった。彼女をアステルが優しい動作で寝台に横たえる。
「まさか、今になってあの話を耳にすることになるとは思いませんでした」
「次の孫に期待するわ……」
いつかこのおとぎ話を正しく広めてやろうと、微妙に当初の目的から外れた野望を胸に抱く桜だった。




