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萌黄色の災難 レジー・リディ

 イヴはあの時、憤怒に包まれていた。

 『命の危険がない限り、絶対に手を出してはいけない』

 立場は同等であるとはいえ、イヴはホープに逆らえない。

 ホープはイヴを失ったとしても、多少悲しみはするだろうが絶望するほどではないだろう。

 しかしイヴは違うのだ。イヴはこれと決めた者に、過剰に執着する己を解っている。

 ホープと桜、どちらにより重きを置くかと問われた場合、イヴは迷うだろう。

 だが、どれほど頭を抱えようが至る結論は変わらない。

 そこには打算が働く。大抵の人間は、百年も生きない。

 それ故に、少しでも長く孤独を埋める方を選ぶ。

 仕方ないではないかと誰に向かってかは分からないが、心の中で呟き落とす。

 自分の心を罪悪感から覆い隠し、梔子を抱き締めた。

 無意識の命令を感じ取った使い魔が、その場に飛び込もうとすることを恐れたためだ。

 一方で、どこまでも自分勝手な己を唾棄したい気持ちで一杯だった。


 だから、一度別れた桜の元へ再び向かっている最中に彼の人物を見かけた時、イヴは沸き上がる感情のままに行動した。

 怒り、欺瞞、煩悶。

 あの時に抱いた気持ちを全て復讐心に変え、それを叩きつけるべき者がそこにいる。どうして彼女に見過ごすことができようか。イヴは顔を隠すことも忘れ、憎い男の所へと向かった。


「ベルディア王太子、レジナルド・ロダリク・イル・ベルディア……。思い知れ……」



 リディは中庭を歩いていた。本日、主であるセシリア殿下は、午後の時間を教師と共に部屋で過ごす。遊びたい盛りの幼い主がとても愉快とはいえない予定に不平を漏らすのを、これは上に立つべき人間の努めですと諫めながらも、少々不憫に思う。しかし渋々ながらも素直に頷く姿を見ると、このお方は王家の責任を分かっていらっしゃる、と誇らしげな気持ちになるのだった。

 セシリアが室内に籠もる場合、その間護衛は必要ない。扉の外では常に兵士が睨みをきかせている。空いた時間を雑事に当てようか、それとも訓練に励むべきかと軽く悩みながら外に出てきた。

 そして、進路の先に幼馴染みの王太子を見つける。レジーは供も付けず、一人だった。

 またあのお方は!

 レジーは政務の合間にフラフラと姿を消す。さすがに城外へ赴く場合は周囲を気遣って護衛を伴うようだが、行動範囲を城の周辺に留める際は、必要性を感じないようだった。それを裏付けるようにレジーは腕が立つ。事実リディは面目ないことに、彼には歯が立たない。通常であれば十人単位で構成される護衛の数がたった三人と少ないのも、王太子殿下が剣の腕を理由にこれ以上は必要無いと突っぱねているからだった。今まで特に不都合が起こっていないため、王も即位まではと息子の思う通りにさせているようだ。

 ――とはいえ、殿下もお兄様には敵わないのでしょうけれど。

 レジーの腰に佩かれている使い込まれた剣に目をやりながら、こんな時でもリディは大好きな兄を持ち上げることを忘れない。

 いつも誰かしらに囲まれているレジーであるからこそ、たまには一人になりたいのだろう。その気持ちは察することができる。できるのだが、今頃愛する兄は不在の護衛対象を探しているところだろう。見つけてしまった以上、連れて帰らなければ。――何よりも、お兄様のために!

 幼馴染みの従兄弟に抱く多少の同情心よりも、兄に向ける愛の方が遥かに勝る。リディはその信念が告げる通り、背中を見せている尾行対象に、気配を押し殺しながら近寄っていった。声をかけたところでまさか逃げられはしないだろうが、念のためだ。

 レジーの所まであと数歩。そして、そろそろ敏い彼には気付かれてしまうだろうという距離まできて、リディは驚愕する。

 ベルディア王太子の目と鼻の先に、突然子供が姿を現したのだ。


「殿下っ!」


 降って湧くという言葉はこういう時にこそ使うべきなのかもしれない。警戒と焦りを滲ませた声を張り上げ、レジーに走り寄りながら、リディは瞬間に悠長なことを考えた。

 そして子供が恨み言を述べて、現れた時と同じように前触れもなく姿を消した後、目の前にはベルディア王太子の特長をそのまま残す、美しい子供が立っていた。



「まあレジー様、とても可愛らしくいらっしゃいますこと。そのお姿は、三、四歳ほどですかしら?」

「お前の方こそ実に愛らしい姿だぞ」


 自らの姿を見下ろした後、幼さに似合わぬ苦々しい表情でレジーが答える。


「まるで十五年前に戻ったかのようだ。あの頃よりも口は達者なようだがな」


 リディも自分の姿を検分し、溜め息を零した。どうやら巻き添えを食ってしまったらしい。


「先程の子供、どう思う?」

「どう思う、とは?」


 レジーが髪を引っ張り、手をまじまじと眺め、小さくなった己を確かめている。そのどうしても微笑ましく映る姿に笑いを誘われそうになりながらも、問いかけの意図がよく読めずにリディは尋ね返した。


「天海の彩だったろう? 手間のかかる移動の術を容易く使いこなし、だが姿はまだ子供だった。ユヴェーレンは年を取らないと聞く。萌黄色の髪と目。あれはティア・ペリドットではないか?」


 疑問の形を取ってはいるが、レジーはほぼ確信しているようだった。しかし……と続ける。


「『思い知れ』と言われてもな。私はユヴェーレンに報いを受けるような、何かをした覚えはないのだが……」

「殿下が政務で下した結論が、ティア・ペリドットに多大な影響を及ぼした――とは考えられませんこと?」

「あのユヴェーレンだぞ? 個人にも国にも不干渉を貫く方々が、たかだか一国の裁断に翻弄されるなど考えられんだろう。それにだな――」


 ここで一度言葉を切り、赤い髪の幼児があどけない眉間にしわを寄せてリディと目を合わせる。

 幼い姿と深刻な表情、拙い声と憂慮の色濃い台詞。余りの落差にリディは吹き出しそうになりながらも、やはり耐え抜いた。


「あれは国の代表としての私ではなく、レジナルドという一個人に向けられた言葉だった」


 確かに公のことに義憤を感じるなら、普通は王太子ではなく直接王の所へ出向くはずだ。まあしかし、レジーの言う通り、ユヴェーレンが国の政策に口を出してくることなどあり得ない。戦の危険性を孕む等、他国を深刻な状況に追い込むのであれば別かもしれないが。

 そしてリディは、ティア・ペリドットが個人に恨みを向けるという状況に、思い当たる節があった。


「殿下、失礼を承知で少しお伺いしたいのですけれど、よろしいでしょうか?」

「何を今さら? 幼馴染みのお前に受けた無礼など計り知れん。たまには兄よりも私の方を立ててみろ」


 リディは、レジーの前ではほとんど猫を被らない。早々に指摘されたため、取り繕う必要がないからだ。――お兄様とお父様の前では、自然と優しげに振る舞えるのが自分でも不思議なんですけれど。

 愛と尊敬のなせるワザですわね。リディは頭の中で、兄と父の偉大さを褒め称える。


「必要な場では如何ほどにでも。――では遠慮なく。もしやレジー様、私の妹に何かなさったのではありませんこと?」


 以前に桜から聞いたことがある。ローズランドの森で出会ったユヴェーレン。初めて友達が出来たと喜んでいた。それを耳にした時、まず遭遇するはずのない魔物に襲われた不運に同情すべきか、それともユヴェーレンというやはり遭遇するはずのない、世界の平定者の知遇を得た幸運を言祝ぐべきか。反応に迷ったものだった。

 ティア・ペリドットは好意で桜に守護を与えているという。桜が関わっていることはほぼ間違いないだろうと思うのだが……

 リディはレジーの反応を見るが、幼い顔にも身体にも、特に動揺は見られない。だからといって、腹の中に感情を納めるのが得意な人のこと。それだけで判断できるものではない。


「お前の妹とは、サクラ・ハノーヴのことか?」

「そうですわ」

「何故、あの娘の名前が出てくる?」

「ティア・ペリドットは子供の頃から桜を守護していらっしゃいますもの」

「なんだと!? それほど昔からあの娘はユヴェーレンと懇意にしていたのか」

「ええ。お父様などは、そのご縁でティア・ルビーにお会いしたとおっしゃっていましたし、お兄様も他の方々と面識をお持ちになったそうですわ」

「その辺りは事情を聞いているが……」


 まあ、レジーがどの程度の経緯を知っているのかリディには分からないのだが、不都合がないほどには兄も話しているのだろう。

 ヘンリーがユヴェーレンに会った時、リディはちょうど不在だった。話を聞くだに、彼女は巡り合わせの悪さを呪ったものである。ユヴェーレンの一端を担うティア・ルビーとは一体どのような人物だったのか、実際に言葉を交わしてみたかった。桜によると、ユヴェーレンと話をすると絶対にがっかりするということだったが。

 そんなリディの言葉を受け、レジーがどういうわけか悔しそうに顔を歪める。幼い姿だけに、泣き出してしまうのではないかと思わず慰めそうになるリディだった。

 しかしレジーがそのままうっかりという風情で、本音の混じっているだろう呟きを漏らし始め、リディの親切心溢れる感情は不穏な方向へ流れていくことになる。


「そうだったのか……。バドの奴、私に奪われると思って隠し立てておいたな? 惜しいことをしたな。それならやはりあの時にティナの声を気にせず、あのまま事に及べばよかった。ユヴェーレンを味方に引き入れられるとすれば、国としてもこれほど心強いことはない。しかし守護していたなら、何故ティア・ペリドットは制止に入らなかった――」

「なんと仰いまして?」


 レジーが言い終わるのを待てず、リディは尋ねた。

 いつの日であったか、桜の首筋に赤い痕がついていた。あの時は他にも驚くべき事態が起こり、深く詮索はしなかったのだが。

 あれがお兄様ではなく、殿下が付けたものだとすれば……。女性特有の鋭い勘がリディの頭に閃く。

 知らず、リディは剣に手を伸ばしていた。どうやら身体に合わせて愛剣も縮んでいるらしい。女の腕に合わせた細身の刃。技と瞬発力を生かし、多くの対峙者を地に沈めてきた。握りしめた柄は馴染んだ手触りである。それでも違和感を抱いてしまうのは、幼い自分自身の手のひらが全く鍛えられていない、柔らかく弱々しいものであるからだろう。

 しかし、理想の軌道は頭に描くことができる。


「殿下、もう一度仰ってくださいな。私の妹に何をなさったと? 桜がお兄様以外の殿方に身を委ねるとは、とても思えないのですけれど」


 今の自分たちのやり取りは、周囲から見れば無邪気に遊んでいるかのように見えるのかもしれない。リディは脳裏に、じゃれ合う幼い子供二人の姿を浮かべる。その一方で、まるで猫なで声と形容できるような、甘く優しい音色を口が紡いだ。しかしそれにより一層の不気味さを感じたのか、レジーが仰け反っている。


「待て! いくらなんでも、王族に白刃を向けるとは不敬の極みだと思わないか!?」

「あら、幼馴染みだからと、少々の無礼は大目に見ると言ってくださったのは殿下の方ではありませんこと? それに桜は我がグレアム家の大切な一員であり、お兄様の愛する娘ですのよ。例えお相手が殿下といえども、貞操を汚されて泣き寝入りできるものではありません。そもそも、民をより良きように導く役目をお持ちである王家の御一方おひとかたが、嫌がる娘を無理矢理手込めになさろうなどと、なんという見下げ果てた心根でいらっしゃるの? 幻滅いたしましたわ。しかも殿下は王太子という地位にあらせられる。いずれは国そのものを担って立つお方。それが――なんと情けない! 女の敵ではありません!? 覚悟なさいませ!」


 リディが決意を秘めた眼差しで妹に狼藉を働いた不埒者に詰め寄ると、その者は不穏な空気を纏った彼女の様子に危機感を抱いたのか、後ずさりながらも腰の剣に手をかけている。

 相手にとって不足はなし! 例え敵わずとも一矢報わねば!

 リディは滾る血と怒りによって、完全に我を忘れていた。


「そう捲し立てるな! 待てと言うのに! バドには既に殴られてやった。それで許せ!」


 必死感の滲むそのわめき声と内容、それから恭敬する兄の名前に、リディの殺気が瞬時に霧散する。


「それに、貞操を汚したとはなんだ? 私は大したことはしてないぞ」

「では何をなさいましたの?」

「あー、それはまあ……」


 ここで何かを誤魔化すように、レジーが一度咳払いをする。それにリディは疑問の目を向け、離しかけた剣の柄を再び握りしめた。


「その物騒な構えを解け!」

「殿下の方こそ。……ではお互いに」


 まずはリディが剣を握るには余りに小さな手を下ろし、それを確認したレジーが続いた。


「ま、まあ、ともかくだ。落とし前はつけたのだからもういいだろう」

「それはまあ。確かに、お兄様が良しとしたのであれば、私がいつまでもこだわることではありませんけれど……。でもお兄様が殿下にお手を上げられるなど、信じられないことですわね」


 アステルは幼馴染みである目の前の人物を、――リディ自身は非常に勿体ないことだと思うのだが――唯一無二の主だと決めている。その兄が……と戸惑いを隠せなかった。


「事実を確認した後、変わらぬ忠誠は誓うが友を失いたくないなら殴らせろ、と言ってきた」

「それでお兄様に大人しく頬を差し出されましたの?」

「ああ。しかも両方のな。おまけに当の本人にも詫びろと言われた」

「まあ」


 さすがはお兄様、と感動してもおもてには出さない。


「では、桜に謝罪なさいましたの?」


 リディの問いに、レジーが憮然とした面持ちで口を開く。ふて腐れた悪童のようだと思った。


「この間、あの娘が王城に参った時に花束を持ってな。驚愕していたようだったが」


 それは桜も魂消たことだろう。傲岸不遜な王太子殿下が頭を垂れるところなど、中々見られるものではない。やはり自分は巡り合わせが悪いらしい。是非とも拝見したかった。依然として顔には出さず、リディは残念がった。


「これで気は済んだか?」

「はい。まこと次期王に相応しい、ご立派な誠意をお示しになったと存じます」

「ふん、わざとらしい……」


 ことさら改まってちょこんと優雅に膝を折ると、どうしたことかレジーが嫌そうな顔をした。


「後の問題はこの姿だな。果たして元に戻れるのかどうか」

「それについては大丈夫だと思いますわ」

「何故そう言い切れる?」


 そこでリディは、以前に桜が子供の姿になっていたあらましをレジーに話して聞かせた。桜は三日もすると大きくなっていた。少し残念に思ったものだが、今の状況はあの時とよく似ている。きっと自分たちもそう遠からず、元に戻ることができるだろう。根拠はないが、リディは楽観視していた。桜のお気楽主義がうつってしまったのではないか、と若干の焦りを抱かないでもない。


 その後、まずは城内へ向かおうと来た道を戻っている最中、レジーを探している様子のベルナールとばったり出くわした。そしてリディは、同じ目に遭った者だけが持ち得る同情心が映った、気の毒そうな目を向けてくるベルナールの話の中に、聞き捨てならない内容を確認した。

 ――桜がお兄様を狙っている!


「まるで厄介事の権化だな。お前たちが守ろうとする気持ちが理解できん」


 思わずレジーの言葉に頷いてしまいそうになる。一言で済ますなら、家族だからとしか返せない。

 何はともあれ、リディが心から尊敬するお兄様の危機である。こうしてはいられない。もどかしく思っていると、唐突に目線が高くなった。どうやら時間が切れたらしい。レジーを見ると同じように身体が伸びている。安堵の溜め息を漏らしていた。

 可愛くなくなってしまいましたわね、とはやはり口に出さない。


「それでは殿下、ベルナール様、失礼いたしますわ!」


 窮地を知らせるべく、リディは急いでアステルの元に走った。しかし相手は目標に向かって妙な行動力を発揮する、あの桜である。もしかしたらもう手遅れかもしれない。

 今度の巡り合わせがよければ、小さくなった兄の姿が見られるのではないだろうか。

 などと少しではあるものの期待混じりに考えてしまい、慌てて打ち消すリディであった。


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