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月夜の誘い

 夢を見た。

 夢には蒼兄ちゃんが出てきた。

 おやつを取られておばさんに言いつけにいく夢だった。

 夢の中の蒼兄ちゃんは十五のまま。全く歳を取っていない。

 私はもう十八なのに。

 目を覚ますと、柔らかい月の光が室内を照らし出していた。



 冷たい夜でも暖炉の炎が灯る部屋は暖かい。

 私は寝衣のまま上着も羽織らずベッドを抜け出した。


「明るいなあ……」


 窓辺から見上げた月は丸く、蛍光灯みたいに明るい光で宵闇を和らげている。


「おんなじみたい」


 こちらの太陽・月・星・空は向こうの世界と同じに見える。どんどん飛んでいけば、その内おじさんたちのいる所へ着いてしまうんじゃないかと錯覚するほどに。


「別にいいんだけどさ」


 ここに残ると選んだことを後悔してはいない。おじさんたちを想うよりも、もっと強い気持を知ってしまった。私をここにつなぎ止める、甘やかで優しい楔に抗うことなどできはしない。

 違う、断ち切りたくない。

 ――ただ。


「こんな時は、なんだかね」


 悲しい時や、辛い時なんかは意外とそうでもない。今そばにいる、身近な人たちを想う。

 どちらかというと愉快に笑っている時、大勢でわいわい騒いでいる時、心にそっと影が忍び寄ってくるのだ。それはきっと、向こうにいる時に私が幸せだったから。どうしようもなく楽しかったから。喜びの記憶は向こうの世界に直結されている。

 だから夢で繋がってしまうんだろう。


「ま、考えてもしょうがないって」


 私はわざと明るめの声を出して、パンと両頬を叩いた。……いい音したな。


「痛くありませんか……?」

「うわっ!!」


 ヒリヒリ痛む両頬を抑えていると、突然背後から声が聞こえてきて私は飛び上がってしまった。

 驚きのままに振り向くと。


「あ、スター……」


 月明かりの中に、男性姿のスターが立っていた。

 格子の入った窓の影を貼りつけ、スターはいつものように柔らかい笑みを浮かべている。


「びっくりした。どうしたの、今、夜中だよ? まだ起きてたの?」

「少し、あなたのことが気になって」

「あ……」


 スターは私の身に気を配ってくれている。私の感情が揺れていて、それが治っていないことを案じてくれたのかもしれない。っていうか、そんなことまで分かるの? ああ、ペンダントの石が関係しているのかな?


「ごめんね。起こしちゃった?」


 そう問うと、何故かおかしそうに笑われてしまった。何、その反応。


「ここへ誰が向かうかで、一騒動あったのです」

「一騒動?」

「真夜中に女性の寝室へ立ち入るべきではありませんから、ピジョンとジスタは問題外。騒いでもいけませんから人数は少ない方がいい。イヴと私でジャンケンまでしたのですよ」


 その光景を思い出しているのか、スターはまだくすくす笑っている。メンバーから弾かれた時、おじいちゃんは悔しがったんじゃないだろうか?


「それで、スターが勝ったの?」

「はい、三回勝負で」


 三回って。

 負けた時のイヴの悲しそうな顔が目に浮かぶようだった。


「何それ」


 思わず口の端が緩む。つい私まで笑ってしまった。


「せっかくこんないい月夜なのですから、行きましょう」

「え? 行くってどこ……わ」


 微笑を目に残したまま、スターが戸惑う私を抱え上げた。

 聞き触りのいい声が囁き落とす。


「雲よりも高く、月の届く場所まで」


 次の瞬間、私を取り巻く風景が一変した。


「うわあ……」


 見渡す限り広がる夜空。凍えそうな季節、ひゅうひゅう鳴っている風を感じないのは、スターが膜を張っているんだろう。眼下には澄んだ大気、そして白く浮かび上がる薄い綿のような雲だけ。両手を広げても入りきらないほど大きな月は、掴めそうに近い位置にある。柔らかくて強烈な光に遮られ、星々は霞んでしまっていた。

 今いる高さに負けないくらい、私の気分が高揚する。

 ――だって私たち、月を背負って飛んでいる!

 スターが首をきょろきょろ巡らせる私の頬に手を当てて、眼差し深く覗き込む。


「今宵の月を、あなたに」

「ううう……」


 私は一気に赤面してしまった。

 気障だ。なんつう台詞を吐くのだ、スター。結構この調子で女の人を参らせてきたんじゃないんだろうか?

 性別を変えた麗人が目元を和ませ、微笑む。


「美しいでしょう、この世界は」


 私はスター越しに煌々と明るい月へと目を移し、そしてまた視線を戻した。

 逆光に沈む紺碧の瞳は、常のものより色濃い。

 月影はスターの中にまで落ちている。

 私がこの世界へ残ることになった経緯を、まだ気にしているのか。

 もういいのに、と言い添えても気は済まないんだろうな。

 今回みたいなことだってあるし。

 胸の奥深く、スターの心にまでしっかりと映るよう、私は顔をほころばせた。


「うん、とっても綺麗。見せてくれてありがとう」

「どういたしまして」


 私が笑う。スターも笑う。月も眩しく破顔する。

 みんなに心配をかけてしまった。

 ありがとう、という言葉だけではとても伝わり切らない感謝の気持ち。

 それでもちょっとずつでいい、声に乗せれば相手に届く。


「私、この世界が好きだよ」


 スターは一度瞬きをした後、私の頬にキスを落とした。


 部屋に戻った頃には、私は夢と現の境を彷徨っていた。

 ほとんど閉まりかけているまぶたをこじ開けるのは難しい。スターがベッドの側に降ろしてくれたので、手探りでよじ登り、パタリと倒れ込んだ。

「お休みなさい」というスターの囁きを遠くに、しばらく離れていた割にはやけに暖かいと感じる布団に包まれて、私はあっという間に眠りの世界へと引き込まれてしまった。


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