第三節 力〈チカラ〉
今日に限ってプールが無い事を洋一が知ったのは今日学校が終わる間際だった。何度も言っていたらしいが、聞いた覚えが無く、少しがっかりした。仕方無く予定を変更し、放課後はどこか涼しい所を探す事にした。
学校が終わり、家に帰ってすぐ荷物を投げ置き帽子を取る。さっそく出掛けようと玄関を出ると、隣りの家から出て来た小百合がこちらに向かって走って来た。
今日彼の祖父母が急に帰って来れなくなったらしく、お隣りさんである宗方家に連絡があった為彼女は伝えに来たのだった。彼の祖父母と宗方家はとりわけ仲が良く、食事を共にするということも間々あったので、大して驚いたりはしなかった。
「そんな事を言う為にそこまで急がなくても。また後でいいのに」
「だって、洋一すぐどっか行っちゃうと夜まで探しても会えないかもしれないじゃない。今捕まえとかないと」
「ああ、そういえばそうだね」
洋一は家に止まらないときは家に居られない習性のようなものがあった。実際、今日もそのつもりだったのだ。つまり彼女がそこまでして急がざるを得なかったのは彼のせいなのだ。何だか申し訳なくなってしまった。
「それで、今日はこんなに天気もいいしプールも無いからゲーセン行こ!」
小百合は大のゲーム好きだ。どうやら伝言よりもそちらが本命のようだ。
ゲームセンターは隣り町にあり、彼女が一人でゲームセンターに行く事を小百合の母は当然許していないのだが、何故か頭数が二人を越えていれば許してしまうのだ。『大人の人と一緒ならいいよ』とかならまだ分かるのだが、どういう理屈なのかさっぱり分からない。親の許可もなく行けるのは同年代では洋一くらいしかいないそうで、ゲームが好きでもないのに利用される側にとってはいい迷惑である。
とはいっても迷惑をかけてしまった手前、断るのも気が引ける。小百合はこの辺りの駆け引きが上手だ。恐らく今回もこちらが断れないように計画しての行動なのだろう。頭を掻き渋々了解すると、彼女は笑顔で走って出て行った。
隣り町まで自転車では遠いので、交通手段はバスである。
バス停まで歩いているうちに、いつの間にか小百合はミー太を抱っこしていた。
今から連れて帰ったら次のバスには間に合わないし、怠惰なミー太の事だから何もしないだろうと思い、仕方なくミー太を連れて行くことにした。
30分余りで隣り町に到着した。隣り町も田舎に変わりなかったが、コンビニもない寂れた村に比べるとまだまともな文明の感触がある。
「近道して行こうか」
ゲームセンターまでは表通りを歩いた場合15分くらいと少し遠い。狭い脇道を通ると10分かからずに行けるが、そこはあまり柄の良くない連中がよくたむろしていると聞いた事がある。
「危ないから駄目だよ」
「そんな事してたら日が暮れるって。いいから行くよ」
小百合はすでに笑顔で、逸る気持ちを抑えられない様子が顔に表れていた。結局いつも通り彼女は言う事を聞いてくれない。そして、この後もいつも通りならと思うと。
洋一は頭を掻きむしり、前を走って行った元気で無邪気な彼女の後について行った。
女の子が背を壁につけ、三人の男が周りを囲っていた。男の髪は赤、黄、青に染められており、龍だのを飾った派手な服を着ていた。対して女の子の方は近くの高校の制服を着ており、今にも泣き出しそうだった。男達は輪を狭めていき、ついに一人の男が女の子の手を持ち、彼女を壁に押さえつけた。
「俺たちがこんなに頼んでるわけよ。まさか断らないよねぇ」
コンクリートの建物の間に嘲笑が惨めに響く。誰も居ない。誰も来ない。女の子の目は涙ぐんでんでいた。震える声で小さく助けてと呟いた。
悪い予想が当たってしまった。いやもうこれは予定と言ってしまってもいいのかもしれないが、今、彼女の目の前には面倒事がある。止めても聞かないだろう。
宗方小百合とはそういう人物なのだ。
先程までの笑みは無く、少女の顔は引き締まっていた。
見つけてしまった瞬間、少女は硬直した。すぐに膝を折ると、猫をそっと置いた。その動きは先程までとは違い、力強く、また同時にどこかぎこちないものがあった。
少女は何も言わず歩を進める。少年は猫と共に後ろからそれを眺めていた。
* * *
突然不良に割って入ってきた少女は、男の手を払い彼女を輪から引っ張り出した。一瞬の出来事であった。その少女は短髪で眼鏡をかけており、顔立ちはまだあどけなさが残っていたが、凛とした意志が見て取れた。男達から守るように、少女は彼女の前に立っていた。
「何だガキぃ?」
三人の男たちは突然現れた少女の方を向いた。少女は答えた。
「見ての通り、助けに入った」
その言葉を聞き、男達は笑いだした。笑い顔のまま赤い髪の男が口を開いた。
「その女は俺たちのお友達なんだよ」
少女は顔を強張らせたまま答えた。
「どこがだ。この人は嫌がっていた。嫌がる女性を力ずくで従わせようとは、器が知れるわ」
彼等から笑みが消え、場を沈黙が包んだ。男達の顔は不快そのものだった。
「痛い目に合いたくなかったらどきな、お嬢ちゃん」
男達は嫌味な笑みを浮かべながら近付いて来た。
「断る」
言う通りにされず、彼等の機嫌は更に悪化した。
「これが最後だ。失せろ」
不良たちは沸騰寸前だった。
逃げ場が無い事に変わりはなかった。裏道を抜けるには100m以上走らなくてはならない。逃げてもそれまでに掴まるだろう。助けに来たのは小さな二人。少女だけが彼女を助けに来て、気の弱そうな少年は後ろで立ち尽くしている。彼女は泣いていなかった。その心は晴れやかでもあった。
「ありがとう。でも貴女まで痛い思いをする事はないの。だから」
彼女は戻ろうとする。だが少女は行かせようとしなかった。
「もういいの。助からないの。貴女まで辛い思いをする事はないのよ。戻って憶病な少年と一緒に帰りなさい」
彼女は精一杯訴えた。返ってきたのはビンタだった。
「自己犠牲のつもり? 格好悪いったらありゃしない。助けを呼んだのはあんた自身でしょうが。あんたは黙って助けられとけばいいの!」
彼女は驚いた。この自信は何処から来るのだろうか。
言い争っている間に、後ろには青髪が回り込んでいた。道を塞いで薄ら笑いを浮べている。少女は後ろに回った男を見据え、
「退け」
と言い放つ。
「あぁ? このガキ、もっぺん言ってみろ。殺すぞ」
「退けと言ったんだ三下。その身を恥じろ」
青髪は顔を真っ赤にさせて腕を振りかぶったが、その腕は振り下ろされなかった。少女が青髪の顔に何かを投げ付けたのだ。不良は顔を押さえながら悲鳴をあげて悶えている。何がなんだか分からないその光景に、彼女は唖然としていた。
「ほら、ぼけっとしない。助かりたいなら走れ!」
彼女は戸惑いながら少女の言葉に引っ張られ、走った。後ろから男二人が追って来る。不意を突いたといっても、女と子供が男を相手にして逃げ切れるはずがないと彼女は思っていた。それでも彼女は必死に走った。
逃げなければいけない、逃げ切ると言った少女。その少女は自分の隣りを必死に走っている。少女の連れはほんの10m程先だというのに、逃げるどころか全く動こうとはしなかった。その光景を見ているのに、であった。
「洋一、いつもの」
少年の近くまで来た所で、少女は走りながら叫んだ。
「はいはい、分かってるよ」
洋一と呼ばれた少年は無愛想に返事をした。二人が少年の後ろまで来た瞬間、彼女は後ろから来る熱気を感じた。振り返ると、少年の前には炎が立ち上ぼっていた。炎は壁からまで燃えていた。狭い幅を覆い尽した火は完全に道を遮断してしまっていた。
少年は隠し持っていた火の付いたマッチを落としたのだった。火はあらかじめ撒かれていた油に燃え移り、瞬く間に広がった。音を立てて燃えている火の壁を前に、男達は立ち往生していた。
「ほら、ぼーっとしてないで。まだ走るのよ」
彼女は我に帰り、二人と共にその場から離れようと全力で走った。
信じられなかった。彼女が助かったという事もだが、こんな小さな二人に助けられたことが、である。
この二人は始めからこうするつもりだったのだろう。少女が突っ込んで来ても少年が来なかったのは憶病なんかじゃなくて、逃げる事を考えてわざと残ったのだ。
「いつものじゃない」
走りながら少女が愚痴を言う。
「あれは人前で使うなって母さんに言われてるから使わなくて済むならその方がいいんだよ」
少年は笑って答えた。
追って来る気配は無かった。
少女と少年はそのまま何処かへ走り去ってしまった。
「お礼、し損なっちゃったな」
彼女は誰に向けたのでもなく一言呟き、微笑んだ。今日の無事をくれた彼等が進んだ方向に背を向け、彼女はようやく帰路についた。
その後、不審火騒ぎとなったこの件で、現場近くにいた信号髪のチンピラ三人が不審な言動をし、しょっぴかれたのはどうでもいい話である。
駄文ですいません。
ここまで読んで下さった方には感謝感激雨霰です。
ようやく一段落つきました。ここですっぱりと終わらせた方が良いのかも知れません。