第一節 前奏〈ゼンソウ〉
この物語はフィクションです。実際の人物・団体等とは全く関係ありません。
あの日、僕はまだ幼かった。
猫に連れられて殺人鬼と出会う事になるなんて、思ってもいなかった。
日本の夏は外国とは違うらしい。日本は特別暑いのだと先生がもらしていた。なんで僕の国だけがと恨んでいたが、向ける方向が無い不満は虚しい唸り声として口から流れ出て行った。
セミの声がさっきより大きく聞こえる。ここまで暑いと休み時間と言えども動く気にはなれなかった。
ここの子達はこんな暑い日にどうして元気に走り回っているのだろう。僕は自分の机でうなだれながら、この暑さから唯一開放される、学校が終わってからのプールでの水遊びを想像していた。
ゆっくりと教室の扉が開いた音がした。教室には僕の他には誰も居なかったから、誰かが入って来たのだろう。おかしいなと思った。まだ休み時間の終わりを告げる鐘は鳴っていないはずだった。みんなはいつも鐘が鳴るまで絶対に戻っては来なかった。
僕がうつぶせのまま考えをめぐらせていると、木のしなる音がした。その音は均等なリズムで響き、少しずつ大きくなっていった。右から聞こえてたのが少しずつ右下に移っていき、やがて急に止んでしまった。
「松野さん、あなたも外で遊ぶべきです」
甲高い声が今度は上から聞こえてきた。顔だけ上げて声のする方向を見上げる。肩まで届かない髪に縁の大きな眼鏡をかけた女の子がいた。両手を腰に当て、溜め息をついている。顔立ちはまだ子供っぽいが、かわいいというより綺麗という方が合ってるといった感じの女の子だ。
「もう少し小さい声で喋ってよ、さゆりちゃん。頭に響く。それに今日は授業参観なんだから、今のうちだけでも休ませてよ」
さゆりちゃんは僕より一つ上の六年生だ。生徒が少ないから高学年と低学年の二組しかこの学校にはないので、学年が違うのに同級生である。
さゆりちゃんはまた溜め息をついた。
「転校して来たばかりとはいえ、郷に入りては郷に従えと言うでしょう。ほら、シャキッとする」
さゆりちゃんの声は相変わらず頭に響いた。何かを合図するかのように二回手を叩いた後、さゆりちゃんは僕の手を引っ張って強引に机から引き剥がした。不均等にしなる床の木の音と共に、僕は抵抗する気力も無くただ引っ張られて外に連れ出された。
その日も何事も無く、ただ面倒な日々が過ぎるはずだった。
その日はいつも通り暑かった。