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王都の広場へと向かう豪華な馬車。その中には、対照的な二人の聖女が座っていた。ルミナは真っ白な装い、クロエは日光を遮る為真っ黒な装い。ただ、二人の聖女の髪飾りはお揃いだった。窓の外から聞こえる「ルミナ様!」という民衆の歓声を遮るように、ルミナは低い、怒りに震える声を出した。
「……あの大馬鹿者。自分が何をしたか、わかっているのかしら」
ルミナの視線の先には、昨夜の浄化で心身ともに削り取られ、顔色を失ったクロエがいた。彼女は強い日光を避けるように、厚手の遮光マントを深く被り、座席の隅で激しく乱れる吐息を抑えている。
「いいのよ、ルミナ……。いつかは、こうなる……覚悟はしていたわ」
「よくないわ! あなたの体はもう、器の限界なの。この状態で太陽の下に出るなんて、毒を飲んで火の中に飛び込むようなものよ!」
ルミナはクロエの手を握りしめた。その手は、真夏だというのに氷のように冷たかった。
なぜ、こんな無謀なことがまかり通るのか。
それは、この国において「闇魔法が聖なる力になり得る」という事実が、最高機密とされているからだ。
闇魔法使いは、歴史的に「災厄の種」として差別され、抹殺されてきた。
十年前、類まれなる闇の才能を持ちながら慈愛の心を持つクロエを見出した大司教と、彼女の親友となったルミナの二人だけが、彼女を「夜の聖女」として極秘に運用することを決めたのだ。
「……大司教様が、もっと強く王太子を止めてくれればよかったのに」
ルミナが呪うように呟く。大司教も王太子を説得しようとはしたが、「闇の聖女」の存在を公表すれば、民衆がパニックになり、かえってクロエを処刑しろという暴動が起きかねない。
だから大司教は「彼女は体調が優れないので控えるように」としか言えず、それが逆にエドワードの「甘やかしだ」という反発を招いてしまったのだ。
教育係の司教に至っては、真実を何も知らされていない。彼にとってのクロエは「聖女の座を汚す、不吉な穀潰し」でしかない。だからこそ、「式典に出して民の批判を浴びせ、更生させるべきだ」という最悪の進言をエドワードに送ったのだ。
馬車が広場に到着し、速度を落とす。外の喧騒がいっそう大きくなった。
「クロエ、聞いて。もし無理だと思ったら、私の後ろに隠れなさい。私の魔法で、あなたを包んで日光を遮断するから。……何があっても、私があなたを守るわ」
ルミナの瞳には、慈愛の聖女とは思えないほどの、鋭い決意が宿っていた。
「……ありがとう、ルミナ。でも……もし私が壊れたら、迷わず私を……」
「そんなこと、言わせない!!」
ルミナはクロエの言葉を遮るように抱きしめた。
その瞬間、馬車の扉が開かれた。
「さあ、聖女たち。民が君たちを待っているよ」
眩しいほどの太陽の光と共に、エドワードが満足げな笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。
ルミナは彼の手を、憎しみを込めて跳ね除けたい衝動を必死に抑え、震えるクロエの肩を支えながら、死地へと一歩を踏み出した。
「さあ、クロエ。顔を上げなさい。民の前でいつまでもそんなに項垂れていては、聖女の威厳が損なわれる」
王太子エドワードの声が、燦々と降り注ぐ太陽の下で響く。中央広場。無理やり馬車に乗せられ、民衆の前に立たされたクロエは、激しい眩暈に耐えていた。
「……う、あ……」
喉の奥から漏れるのは、声にならない悲鳴だ。
昨夜、彼女は隣国から流れ込んだ大規模な「腐死の呪い」をその身に封じ込めたばかりだった。本来なら今頃、遮光カーテンを閉め切った部屋で、ルミナの補助を受けながら毒である呪いを分解しているはずの時間。
太陽の光——「浄化」の性質を持つ正午の直射日光は、今、彼女の体内に溜まった膨大な闇の魔力と激しく反発し、内側から彼女の臓腑を焼き切ろうとしていた。
「あれがもう一人の聖女?」
「禍々しいわね。聖女なんて似合わないのよ」
クロエの姿を見た民衆が卑しい物をみているかのように罵詈雑言が囁かれている。
「どうした? 気分でも悪いのか。ほら、しっかり立ちなさい」
エドワードが彼女の肩に手をかけた、その時。
「……っ!!」
クロエの口から、どす黒い血が溢れ出した。
糸が切れた人形のように崩れ落ちる彼女。その衝撃で、重厚な儀礼服の胸元が大きくはだける。
「な……なんだ、これは……!?」
エドワードは絶句し、後ろに飛び退いた。民衆からも悲鳴が上がる。
そこにあったのは、透き通るような白い四肢とは対照的な、深淵のような漆黒に染まったクロエの胴体だった。心臓を中心に、ひび割れた陶器のような黒い紋様が、今まさに首筋や腕へと侵食を広げている。
「クロエ!!」
エドワードを押しのけ、ルミナが駆け寄る。彼女は迷わず自分の純白のローブを脱ぎ、クロエの体に被せて日光を遮った。
「エドワード様! 下がってください! 彼女に触れないで!」
「ル、ルミナ……? なんだその体は……。彼女は闇の魔法に魅入られ、穢れてしまったのか……? 早く処分を……」
「黙りなさい!!」
広場を凍りつかせたのは、ルミナの怒声だった。彼女は震える手で、黒い血を吐き、漆黒の痣を晒して倒れるクロエを抱きしめる。
「エドワード様……彼女のこの痣が何に見えますか!? これは昨夜、この街に届くはずだった『死』を、彼女が一人で飲み込んだ痕です! あなたが『サボっている』と笑っていた間、彼女は死ぬ以上の苦痛の中で、この毒と戦っていたのよ!」
ルミナの告白は、広場に集まった民衆にも届いていた。ざわめきが広がる。人々は困惑し、自分たちが石を投げた「寝てばかりの聖女」の正体に、恐怖と罪悪感を抱き始めていた。
だが、エドワードだけは違った。
彼は背筋を震わせ、後ずさりしながらも、その瞳には理解ではなく、拒絶の色を浮かべた。
(……そんなはずはない。私が間違っていたというのか? 次期国王である私が、国の英雄を見誤り、あまつさえ虐げていたと?)
彼にとって、それは自己の崩壊を意味した。エドワードの歪んだエリート意識は、真実を認めさせるのではなく、真実を自分に都合よく書き換える方向へと彼を突き動かした。
「……いや、違う。騙されるな、ルミナ!」
エドワードは狂気を孕んだ笑みを浮かべ、声を張り上げた。
「それは『呪い』だ! そのクロエという女は、夜な夜な瘴気を吸い溜めることで、体内に巨大な闇の力を蓄えていたのだ! 彼女は自分を被害者に見せかけ、君の慈悲を利用し、この国を内側から腐らせようとしている……そうだ、そうに決まっている!」
「何を……何を言っているのですか、貴方は!」
ルミナの絶望的な叫びも、今の彼には届かない。彼はもはや、自分を正当化するために「クロエを悪」と断定しなければ、立っていられなかったのだ。
「騎士たちよ、ルミナを引き離せ! 彼女は闇に惑わされている!」
近衛騎士たちが戸惑いながらも、王太子の威圧感に押されてルミナをクロエから引き剥がす。
「離して! 触らないで!」
ルミナを自室から出すなと命令したエドワードは、民衆にこう言った。「私は正しい」と。
自室に連れ戻されたルミナは今すぐクロエの元に行きたいのを抑えて机の上に置いてた水晶に魔力を込める。これは聖女と大司教が通信する為だけの魔道具だ。お互いに重大案件の時のみ使うとされていた為、大司教はすぐに応答してくれた。
「どうされました?」
「今すぐ戻ってきてください!クロエが太陽の光を浴び倒れました!」
「なんと!⋯わかった。明日には着くようにする」
いつも温厚なおじいさまの大司教の顔が険しくなり、通信は切れた。
(明日……? そんな、今夜はどうすればいいの……クロエがいない夜を、この国はどうやって越えるというの!?歴代聖女のように強力な聖魔法を使う?そしたら、助ける人数に限りができる。今のように誰にでもとはいかない。真っ先に貧民街に行けなくなるわ……一日だけなら、大丈夫よね?)
自分に言い聞かせるルミナの背筋を、見たこともないような冷たい風が撫でた。
その夜、王都の至る所で、赤ん坊が理由もなく泣き叫び、家畜たちが怯えて暴れ回った。
ルミナは夜中の間もずっと、窓の外で蠢き始める不気味な影を感じながら、必死に祈る。親友の無事を。そして、この国に夜明けが来ることを。




