第八話 戦闘
ウィルにも仕事を覚えてもらわねばならない。レインはウィルの靴に滑り止めの細いロープをしっかり巻き付け、洞窟内へと案内した。コーマがウィルを守るようにまとわりついていた。幼竜コーマは低く喉を鳴らし、少年の膝に鼻先を押しつけて離れようとしなかった。
面体を付けたウィルはランタンを掲げ、橙の焔が鍾乳石の滴を金色に煌めかせるのを見つめた。地面の石筍はくすんだ灰白で、先端は刃物のように乾いている。洞窟内の鍾乳石、地面から生じた石筍(石筍)をつぶさにみていた。通風孔から遠い獣の咆哮に似た唸りが管を伝って来て、胸骨の裏までぞわりと震えを残す。その不気味な唸りに、ウィルは身をすくませていた。
そして面体の内側では、アモニアルコ(アンモニア)が刺すように鼻孔を焼き、喉の奥に金属めいた苦味が張りつく。目尻が勝手に潤み、瞬きのたびにゴムの匂いが濃くなっていく。面体を付けたウィルも洞窟内の異臭に強く鼻やのどを刺激され目を潤ませていた。コーマは鼻を鳴らし、透明な鼻水を糸のように垂らしていた。面体は大人用だ。レインは汗拭き用の綿布をウィルの顔にそって巻き付けるようにして厚みを出し、麻糸を用いて面体をウィルの顔面に密着させた。
ウィルとコーマを見守りながら、レインはランタンを岩棚に置いてつるはしを握った。つるはしを数十回も振るうと汗でつるはしがぬめり、指の皮がきしむ。黒褐色の糞塊の化石に打ち込むたび、乾いた音が腹に響き、破片が砂と一緒に頬へぱらぱらと当たる。うまく割れないときは膝をつき、下から刃を差し入れてテコを利用する。砕けた面は塩のようにざらりとして、指先に白い粉が貼りついていた。
ウィルはその様子をランタンで照らしてじっと眺めていた。それに飽きると猫のように伸びをし、コーマの喉元を撫でた。コーマの鱗は鎧の様に硬く、皮膚組織は硬いゴムのように強靭にできている。幼い竜は喉奥でゴロロ…と低い音を発していた。ランタンに照らされ、二人の影は炎のように揺らいでいた。
翌日にはウィルは自らもリン鉱石を砕くようになり、数日後には自分専用の背負い籠を背負って働くようになった。リン鉱石を砕き、背負い籠に入れて仮置き場近くまでもっていく。そうすればカイネが滑車で背負い籠を引き上げてリン鉱石を回収してくれる。しかし数往復もすると、ウィルは足元がふらついていた。ウィルの白い吐息が早まり、その疲労の深さを伝えていた。
レインはそのようなウィルの様子を見て、ウィルに向けて首を横に振って見せた。これ以上は危険だ、という意味だ。そしてレインはウィルに向かって、歌っていれば少しだけ元気に働ける、と身振りを通して伝えた。
Kā-ke, són mel pel mí i. (かの地に、届かなかった祈りが雨となって降るという。)
Rēri. Lūri. (憩うこと。生きること。)
Són mel pel mí i. (届かなかった祈りが降るという。)
Án mát no i.(それが物語であるという。)
レインはようやく覚えたジェム語の歌を歌ってみせた。面体に反響する自分の声がなめした革の内側で震え、喉奥をくすぐるように反響する。ウィルが体を休めて、面体の奥で一緒に口ずさんでいた。レインは頷いて、 再びつるはしを振るった。ジェム語は柔らかな音の連なりで構成されている。レインはウィルの教えてくれた詩編を紡いでつるはしを振るった。
そのような日々を過ごしたある時、暗闇に向かってコーマが低く、低く唸りを上げた。そんなことは初めてだったから、レインはびくりと体を震わせた。ウィルが、奥になにかがいる、と身振りで示していた。レインはウィルに背負い籠を捨てるように身振りで指示を出した。そうしてレインはコーマを抱き上げてウィルに押し付け、洞窟から撤退するように指示を出した。幼竜の激しい心音がレインの掌に感触を残した。ウィルは逃げようとしなかったから、レインは、早くしろ、とわざと強い声を出した。レインは急いでランタンを手にして周囲を照らした。腰に吊り下げた魔剣が強く伸縮していた。
ランタンで照らした瞬間、百歩ほどの距離に人の三倍はあろうかという頭部が見えた。人体ほど太い両腕と大樹の幹ほどある獣脚の後ろ脚が見えた。相貌には長く突き出した嘴と肉食獣の牙があった。怪物のような巨竜は距離を保って天使レインを凝視していた。
異常な状況のせいだろう。天使レインは異様な清澄さをもって怪物を睨み返していた。脳裡に身を隠せる障害物を思い描いた。脱出路までどれだけの距離があるかを冷静に見定めていた。レインは片手で剣の留め具を外し、その柄を握り締めていた。
巨竜が吐くような動作をした瞬間、魔剣が毒蛇のように伸長してその動きを封じた。巨竜が前に出ようとした瞬間にレインは前に踏み出していた。巨竜が伏せに似た姿勢を取って迎撃しようとしていた。瞬間、巨竜が踏み出し土石流のように前進し、レインは横方向に撥ねとんでその突進をいなした。
巨竜が尾を振って方向転換し、レインは再度踏み出していた。そして巨竜が太い尾を鞭のようにしならせ、レインは伸長する蛇腹剣を突き出してその一撃を封じた。魔剣はレインの意思を汲んだかのように伸長して巨竜の顔面に刺さり、怒り狂った巨竜が吐くような動作をして、前方方向に超自然的な衝撃と音を発していた。
竜の咆撃——レインが撥ね、怪物の顎の下に入り込んだのはほとんど本能だった。レインはあらん限りの力を振り絞って魔剣を上方向に切り上げた。天使の怪力と魔剣の超自然的な力が竜の最も脆弱なのどの部分に触れ、鱗を裂き表皮を裂き脂肪層を裂いて肉を裂きそして巨竜の血の通る管を引き裂いていた。
おびただしい血をまき散らして巨竜は怒り狂っていた。あたりを踏み砕き、尾を振い、喉奥から洞窟を砕くほどの強烈な爆音を響かせて咆撃を放った。天使レインはランタンを失い洞窟のより奥深い場所まで逃げ込んでいた。それが結果としてレインの命を救っていた。巨竜はレインを見失った様子だった。行動と幸運によってレインは巨竜による圧倒的な破壊を避けることに成功していた。竜の鱗から砕ける様な異様な音がしていた。
巨竜は錯乱に陥っていた。おびただしい血をまき散らして暴れ、やみくもに突進を繰り返して朽ちた構造物を破壊していた。レインはただひたすらに腹まで響く振動と鼓膜を破りそうな竜の怒声に耐えていた。竜は肉体の再生を待っていたのかもしれない。そしてレインも同じようにある瞬間を待っていた。
そうして悲鳴を上げたのは巨竜だった。暗い影となった巨竜の肉体からほの白く発光する双樹状の組織が形成されていた。天使化。天使レインと融合した異形の邪霊が獰猛に巨竜の肉体を蚕食しようとしていた。それこそが、天使レインが待っていた瞬間だった。
「あと数時間で決着だ。」
天使レインは闇に向かって叫んでいた。




