第四話 仕事
カイネは独りで暮らしているのではなかった。コテージ群にははぐれ者たちがあちこちに棲みついていた。
北方には川辺で採れるハプタ藻を絞ってハプタ藻油を生成する工房があった。藻の湿った匂いと石鹸の匂いが混ざっていた。
北東には家禽に与えるカラス豆に精霊の祝福(発酵)を施す天使の司祭がいた。表現しがたい異様な臭いがする場所だった。
東には芋の澱粉に精霊ワイズマン(アセトン発酵菌)を宿らせる天使の司祭がいた。いつも甘い蒸気が屋根裏から漏れだしていた。
南東には旧文明の下水に溜まった硫化物から妖精セルファータ・アシド(硫酸)を捕集する工房があった。黄色い煙を洗い落とす大きな水槽が特徴的だった。
南にはニトラ・ヒドロ(水酸化ナトリウム)を捕集する工房があった。この場所からは灰汁と石灰の匂いが滲んでいた。
南西のはずれには撥霊器(発電機)や騒霊器を作る竜人の工房があった。
北西部分に居住区画があった。居住区の西側にカルシア・カルバイド(炭化カルシウム)の灯台が設けられていて、夜になるとほの白く居住区を照らしていた。
7日目にカイネは聴診器に似たイヤホンを耳に当て、銅の鍵盤を叩いていた。それが竜人の無線連絡法だった。
それからカイネは仕事に出かける、と言って家を出ようとした。
だから、レインは思い切って声を発した。
「カイネ。僕にできる仕事ってあるだろうか。」
レインの問いに、カイネは頷いた。
「あるよ。硝石の回収。」
カイネがそう言って、一度深呼吸をした。
「言っておくけど、本当に命がけだからね。」
カイネがそう言い、レインに外套を差し出していた。
旧文明の残したアスファルトの道は終始凹凸だらけだった。ひどいへこみのある個所には藁と土が詰められて応急処置がなされていた。カイネはレインを連れて自動車両で西方向へ移動し、ここが仕事の現場だよ、と言って降車した。
下車してから現れた風景にレインは一瞬、絶句していた。
降車するまで気が付かなかったが、レインの眼前には巨大な道路の陥没が存在していた。それはまさに巨大な穴だった。陥没した道路の地下に人工的なトンネルがある様子も確認できた。
そして問題なのは、トンネルまでたどり着けるようにロープが垂らされ板切れが架設されていることだった。
レインは内心、あのトンネルに入るのか、と呻いていた。これは正気の仕事じゃないな、という思いもした。カイネの言った通り、命がけの仕事になりそうだった。
カイネにとっては見慣れた光景らしい。陥没した道路を一瞥して、それからレインに硝石回収用の装備を渡してくれた。
なめし革にゴーグルと吸気弁を取り付けた面体。つるはし。語り葉(リトマス紙)。水筒。ランタン。ツタを断ち切るための鉈。硝石を回収するためのずだ袋。
レインにそれらの装備を押し付けてから、カイネはブーツにロープを巻いて、滑り止めにするやり方を教えてくれた。
「この場所は昔、竜が営巣に使っていた場所なんだ。枯草や藁がそこら中にある。それを見つけたら注意して観察してね。白い粉みたいなものがこびりついていたらそれが硝石だから、それを全部こそぎ取って持ちかえって欲しいんだ。」
カイネがそう言い、レインが首を振った。
「正直、正気と思えない。これが君の仕事なのか。竜に出くわしたらどうしているんだ。つまり、武器はあるのか。」
「ないよ。竜に効果的な武器なんて存在しない。」
レインの問いに、カイネは笑って答えた。それからカイネは少しだけ目を伏せた。
「竜に効果的な武器は存在しない。竜は不死身だからね。だから君に硝石を集めて欲しいんだ。そうすれば竜人の技師たちが麦の肥料や銃の装薬を作ってくれる。それを天使隊に売って貨幣を得るのが、私たちの生業なんだ。」
カイネがまっすぐにレインを見ていた。
「レイン、今、こわくなったでしょう。」
カイネがそう問い、レインは一呼吸おいてその視線を受け止めた。死の商人、という言葉が一瞬の脳裏をよぎった。殺された人間達を思い出した。白燐手榴弾で燃やされた人たちを思った。だが、今は生きている人を優先したい。カイネを一人で危険な場所に向かわせることはできない。
「やるよ。君を一人にはできない。」
レインは強く断言し、カイネは一瞬、瞬きをした。それからカイネは頷き、降りよう、と言った。




