第四十六話 輪廻
そのようなある日、教師たちがある集落までヤロクたちを案内した。川の潮が満ち引きする時刻だった。汽水の匂いと、干潟から立ち上る温い霧が草の根元から滲むようだった。折れた杭列と崩れた赤煉瓦の塚があった。蔦にのまれて膝ほどの高さで連なっていた。
巨大産業文明の遺跡はあちこちにあって、崩落した施設がツタに包まれている。遠くには大きな川の合流域が平たく光り、葦の切れ目からアオサギがゆっくり舞い上がっていた。
ヤロクたちは一列になって教官に続いた。三名で一班を作るように命じられた。この班を三組あわせたものを教師たちが束ねる。そのような集団を構成して、ヤロクたちは夜道を歩きつづけた。
そうしてヤロクたちは大型自動車両を見た。ゴム帯を巻かれた巨大な車輪。金属のブロックに似た車体。その後部には屋根のないトレーラーが連結されていた。
ヤロクたちの間には噂があった。いつか異教徒狩りをやらされる、と。
「必要なことは集落に信仰を説くことじゃないんだ。」
事情通の子は言う。
「他宗教の人間を滅ぼして、神王教徒が生きる土地を増やすことなんだ。」
事情通の子がそう言っていた。
それが噂だった。この新大陸では神王教団は少数勢力にすぎない。ヤロクたちの仕事は信仰を説くことではない。異教徒の住む集落を滅ぼして神王教徒の住む場所を確保することなのだ。そのような話は仲間内でしきりに噂されていた。
大人たちにとってみれば信仰なんてどうでもいいんだ、と仲間たちはささやき合っていた。大切なことは、旧文明人が取りつくした銅や鉛や亜鉛を回収することだ。それら卑金属が大量に死蔵されている土地から原住民を取り除くことなんだ、というのが、仲間たちの共通の認識だった。
そういうとき、ヤロクは心を固くして聞かなかったふりをしていた。そんなことは起きるはずはない。神聖な神王教徒のするべきことではない。そのようにヤロクは自分の信仰を信じようとしていた。
ヤロクたちが到着した時には、すでに別の集団が『作業』を完了していた。50人の人間が縄で繋がれていた。子供や赤ん坊もいた。
ヤロクはちらりと『作業』を行った集団を盗み見た。皆若かった。彼らは鉄の胴当てと革のバフコート、モリオン兜を着装し、竜人の作り出したボルトアクション・ライフルを装備していた。背後には自動車両が止まり、鉄製の車輪が葦の根を踏み潰していた。
「全員降車。」
という教官の怒声でヤロクは我に返り、司祭候補生としてとりあえずまっとうに働こう、と決めた。あとは教官が細かな命令を下すだろう。
ヤロクが整列した瞬間だった。何事かを必死に叫んだ先住民の男が真っ先に撃たれた。
湿地の空気を裂いて短い連射がはじけ、葦が震えた。魚が川面を撥ねた。
ヤロクはそれに驚いて身をすくませた。自分たちは司祭候補生だ。そうだったはずだ。人殺しをするためにここに来たわけではないはずだ。
騎竜に乗る教官がヤロクを見て、全員を見渡した。
「聞いてくれ。おそらく、皆驚いたことだろう。だが、これは避けられないことなのだ。」
教官がそのように第一声を発した。
「諸君らは私に対して、これが信仰か、と問うだろう。だから私は諸君に、そうだ、と断言したい。」
教官はそう言って全員を見渡した。誰かの震えた呼吸が背後でひっそりと漏れた。
「この島では私たちは圧倒的に少数派なのだ。天使教団と天使隊の力は強大であり、我らは彼らの前に非力である。」
教官は声を落としてそう言った。そうしてから、強く言葉を重ねた。
「だから私たちが手を汚さねばならない。戦士を増やさねばならない。生まれたそのときから神王教徒である強靭な戦士を育てねばならない。」
教官が強く断言した。
「我々、神王教団は数を増やさねばならない。ひそかに数を増やし、天使隊を一気に叩き潰す。そのように逆襲せねばならないのだ。機会を窺い、隙を突いて天使教団に逆襲せねばならない。誰かが手を汚して我々の生態圏を拡げねばならないのだ。」
教官が身振りを交えて断言していた。
「皆聞け。我々の生態圏を拡げねばならない。誰かが手を汚さねばならない。」
教官が叫んでいた。
「君たち一人ひとり、我々の鍛え上げた戦士。何度斃れても立ち上がる多文化主義の闘士。諸君らに伝えたい。諸君も分かっているはずだ。ここで諦めたらどんな結果になるか。我々は天使教団の支配を覆さねばならないのだ。種族間の殺し合いを終わらせねばならないのだ。万人による万人の闘争を止めねばならないのだ。」
教官が身振りを交えて叫んでいた。
「天使教団による支配を終わらせ、種族間闘争を終わらせねばならない。人間と天使と竜人が手を取り合う生活を作らねばならない。約束しよう。諸君はこの島の種族間闘争を終わらせた英雄となるのだ。そして諸君は最高級の外套を羽織り、従者付きの馬車で移動する高級司祭となる。それが諸君らの物語だ。」
教官が強く叫んでいた。
「それが諸君の物語だ。誰もが食卓に銀の食器が並べ、脂の浮いた清き糧を手に入れるために戦うのだ。殺し合いを止めるために戦うのだ。それが諸君の勝ち取る物語だ。それを手に入れる方法はただ一つだけだ。私と共にこの『作業』に参加することだ。」
教官が叫び、そうして司祭候補生たちに銃を手渡した。
「『作業』に参加せよ。私と共に敵を殺すのだ。ここで勝利すれば多文化主義たる神王信仰がこの島を支配する。それが物語だ。」
教官が叫んでいた。
「それが物語だ。約束する。これから起こることは神王信仰の勝利だ。多文化主義の勝利だ。そのために神王教徒の伏せる拠点を増やす。情報網を構築して天使教団の失墜を待つ。そうして機を見て全員で逆襲をするのだ。それだけだ。敵が泣き出して、自殺する時間をください、と言い出すまでぶちのめせ。拳を敵の延髄から脊髄までねじ込んで、敵が絶命したあとも蹴りつぶしてやれ。絶対に容赦するな。」
教官が叫んでいた。
「問おう、諸君らは神王を信仰するか。」
応、と叫ぶ声が響いた。
「問おう、諸君らは神王のために身を捧げるか。」
応、と絶叫する声が響いた。
「問おう、諸君らは神王のために戦うのか。」
応、という絶叫が響いていた。
「問おう、諸君らは神王のために戦うのか。」
応、の大歓声が原野を震わせていた。
教官が全員を見渡し、そして手を繋がれた集落の人間達を手で示した。
「司祭候補生諸君。撃て。」
教官がそう叫び、司祭候補生たちは銃を撃った。教官がその司祭候補生から銃を取り上げ、弾丸を再装填する方法を教えていた。
別の司祭候補生が何かを叫び、ライフルを撃った。
数秒のうちに人間たちが一気に斃れていた。
ヤロクはへたり込んでいた。耳に金属の甲高い反響と、濡れた泥に血が混じる鈍い音が響いた。
銃を撃つ音、再装填する音が響いた。
ヤロクはそれを座り込んでみていた。教官が、ウジ虫が、と言ってヤロクに近づき、思いきり蹴り上げた。ヤロクは湿った地面に倒れ込んだ。顔の前に潰れたカラスノエンドウの匂いがした。
ヤロクはよろよろと立ち上がり、そして教官を押しのけた。なにかが間違っている。何かがおかしい。
ヤロクはたった一人で走り出していた。
かつての英雄と同じように。
かつての聖女がそうしたように。
ヤロクは振り返ろうとしなかった。
ヤロクは闇の中へ身を投げ出し、そして決して戻らなかった。
【完】




