第四十四話 欺瞞
集落では、交易のために砂鉄を採っていたらしい。川辺には人の足跡が幾重にも残り、濡れた石が日光を反射して鈍く光っていた。貯蔵用の大きな建屋には、良質な砂鉄を詰めた革袋がいくつも残されていた。袋を持ち上げると、ずしりとした重みが腕に伝わる。革の内側で砂鉄が擦れ合う低い音がした。
砂鉄を採る生活をすれば、これからも暮らせる。これから先も生き延びることが出来る。メロウは、やはりここは定着すべき場所だった、という思いを強く抱くことが出来た。
交易で得た品々もあった。各家庭に塩を詰めた甕があり、蓋を開けると塩の香気が立ち上った。土器の中には干したナツメが詰められていた。乾いた甘酸っぱい匂いが、土の残り香に混じって漂う。齧ると歯に粘りつくナツメの果肉は、滋養分に優れた栄養食でもあった。
メロウ達はそのように集落を物色し、自分たちの村へと改築していった。最初に改築すべきは、貧弱な防御設備だった。メロウ達は堀を深く掘り、土を積み上げて高い垣根を作ることに決めた。
この作業だけでも、全員がくじけそうなほどの重労働だった。堀を深く掘り進めると、湿った土の匂いが立ち上り、鍬が石に当たる硬い音が手元に返ってきた。掘り出した土を積み上げ、高い垣根を築く。踏み固めるたび、生ぬるい感触が足裏に残った。
その際、もっとも活躍したのが天使種族たちだった。彼らは怪力をいかんなく発揮し、率先して作業を実行してくれた。他の神王教徒たちも汗を流し、一か月後には人の背丈ほどの高さを持つ、分厚い垣根で集落全体を囲むことが出来た。
それから、竜人たちが瓦を焼くための小さな工房を作った。土を捏ねて型に詰め、火を入れる。村には、薪がはぜる乾いた音と焼けた土の匂いがあたりに広がるようになった。
そうしてから竜人たちは農具を回収し、木板を作りためておく納屋を作った。かやぶき屋根と土壁でできた元の家々を解体し、少しずつ木枠造りの壁と瓦の屋根を持つ頑丈な住居へと変えていった。
人間種族たちは主に採集や里山の管理を担当するようになった。人間達は朝露に濡れた下草を踏み分け、里山に定期的に踏み込んだ。そうして有用植物の成長を阻害する竹を伐採するようになった。伐採した若い竹を編むことで、川魚を捕らえるための籠罠やイノシシを捉えるための括り罠を作ることもした。
一年後。種族による役割分担がほぼ確定していた。狩猟は天使種族。木の実の採集と砂鉄採りは人間種族。それらに必要な道具を作り出す後方支援が竜人種族の役割になっていた。それは話し合いで決められたものではなかった。作業の音と汗の匂いの中で、自然と形作られていった秩序だった。
その間、メロウは足しげくヤハナの許へ通った。メロウは身分上は司祭であるから、公然とヤハナを妻とすることはできない。メロウは夜ごと黒い布を纏い、人目を避けてヤハナの住む家を訪れた。夜気は冷たく、土壁に触れると昼の熱がわずかに残っていた。足音を殺して戸を叩くと、内側から微かな衣擦れの音が返ってきた。
メロウはヤハナの身体を抱き寄せてその目に尋ねる。
「君は、すべては運命だったと思うか。」
ヤハナの体温が、布越しに胸へと伝わる。彼女は答えず、ただ頷いた。それが答えだった。
「君はこうなると分かっていたのか。」
メロウはそのように問い、ヤハナは再び頷いた。二人の呼吸が重なり、静かな家の中に小さな音を立てていた。それが二人の物語だった。
一年の後。ヤハナは男の子を出産した。産声は短く、掠れた音だったが、闇を切り裂くように強かった。汗と血の匂いが家に満ち、ヤハナは息を整えながらその子を胸に抱いた。ヤハナはその子にヤロクと名を付けた。
父親となった悦びを味わう暇もないまま、メロウは村人たちの期待に応えねばならなかった。神王教徒の大半はいまだ素朴な信仰に燃えていた。黙示思想に依って秩序を維持し、医療院という設備を作ろうという計画が持ち上がっていた。誰もが二年前の殺戮を忘れようとしていた。善意と親切によって血の匂いを拭い去ろうとしていた。木槌の音、煮沸された布の匂い、呻き声が混じり合い、村は常にざわめいていた。
メロウはもはや信仰に対しては空虚だった。その空虚を埋めるために、力と支配を必要としていた。メロウは村人たちに対して熱く信仰を語った。それはかつての信仰に燃えたメロウではなかった。支配のために信仰を利用する詐欺師としてのメロウだった。
メロウは醒めた目で自身と神王教徒たちの立場を理解していた。もはや天使教会と天使隊による島の掌握は完成している。神王教徒たちを導くためには、秘密組織化していくよりほかはない。メロウは村人たちを集め、今一度、神王信仰の教義について整理したい、と告げた。
——見よ、我がしもべは栄える、彼は高められる。
その姿は人の子らとは異なっていた。
彼は多くの民を驚かし、王たちの口をつぐます。
(だがやがて)彼は侮られて人々に棄てられる。…
顔をおおって忌み嫌われる者のように侮られる。我々も彼を尊ばなかった。
まこと彼は我々の嘆きを負い、我々の悲しみを担った。しかるに我々は思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。
我々の平穏のために彼は懲らしめを受け、彼の打たれた傷によって我々は癒されたのだ。
我々はみな羊のように迷って
おのおの自分の道に向かった。
主は我々全ての者の不義を彼の上におかれた。
彼はしいたげられ、苦しめられたが
黙っていた。
屠殺場に引かれる子羊のように
毛を切る者の前にうなだれる羊のように
口を開かなかった。
彼は暴虐な裁きによって取り去られた。
その代の人のうち、誰が思っただろうか。
彼がわが民の咎のため打たれて
生ける者の地から絶たれたのだと。
しかも彼を砕くことは主のみ旨であって
主は彼を悩まされた。
彼は己の魂の苦しみにより、光を見て満足する
義なる我が僕はその智識によって
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
しかも彼は多くの人の罪を負い
咎ある者のために、とりなしをした。
地は悲しみ、衰え、世はしおれ衰え、
我が魂は夜、あなたを慕い、わが心は切にあなたを求める。
しかし見よ。
あなたの死者は生き、彼のなきがらは起きる。塵に伏す者よ、さめて悦び歌え
メロウは朗々と詩編を歌い上げ、そして自らの解釈を加えた。
第一に、『我が僕は栄える、彼は高められる』とは多文化主義者に神聖王として高められたウィルを指している。
第二に、『侮られて人々に棄てられる』とは多文化主義者に見捨てられた神聖王ウィルを指している。
第三に、神王ウィルは銃殺という『暴虐な裁き』を受けたが、『屠殺場に引かれる子羊のように』口を開かなかった。それだけではない。逃げる者たちが無事に逃げ切れるように時間稼ぎをした。苦しく、つらい戦いに身を投じ続けた。逃げる者たちを逃げるに任せるだけでなく、その身を案じ続けた。この真実は『すべてを背負い、悲しみを担って殺された』という預言と整合している。
第四に、これらはすべてが『主のみ旨』であり、運命である。
第五に、神王ウィルは『彼は咎ある者たちのためにとりなしをした』犠牲の王である。
第六に、詩編は『あなたの死者は生き、彼のなきがらは起きる。塵に伏す者よ、さめて悦び歌え』と歌っている。これは神王ウィルの再臨を予言している。
メロウは流れるように言葉を紡いでいた。
村人たちは少しの間ささやき合い、そして次第に熱っぽく頷く様子を示した。拍手が起こった。その拍手はさざめきのように広がった。そのようにして、村人たちは全力でメロウの言葉を受け入れていた。
メロウは村人たちの拍手に笑顔で応じた。しかし、その内面は冷めきっていた。村人たちの考えが手に取るようにありありと分かった。だれもが二年前の殺戮を忘れようとしている。だれもが自分を正当化する理論を欲している。
昔、信仰に燃えていたころには誰もが自分を無視し、あざけっていたのに。信仰を失った今、自分の言葉は拍手をもって肯定されている。
メロウの内面は空虚だった。村だけが拡大を続けていた。




