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第二十九話 信仰

冬の迫る時期、メリア教会の内外で不穏な空気が流れ始めていた。冷えた風は石造りの外壁を指でなぞるように鳴り、薄暗い廊下には炭火の匂いがわずかに漂っていた。


天使教会本部から派遣された天使隊が弾圧的な税金を要求し、それがメリア教会に属する人々を不安にさせた。ウィルは戦士団と共に現場に急行し、その迫力で一度天使隊を退けた。しかし天使教団は諦めていなかった。天使隊に長銃と魔弾を装備させ、再度、ウィル戦闘団と天使隊は激突の危険をはらんで対峙した。


そのような緊迫した状態で、メアリは天使教会の使者を応接間に受け入れた。応接間には乾いた薪の匂いと密閉された空気の重さが満ちていた。使者として教会を訪れたのは天使教会の司祭長ボアネエルという人物だった。


司祭長ボアネエルは微笑を浮かべ、メアリに指輪を差し出した。天使教会のしきたりでは、身分の高いボアネエルに身分の低いメアリは跪き(ひざまづき)、その指輪に口づけせねばならない。


ボアネエルの装着する指輪にろうそくの揺れが反射し、天使教会の権威そのものが形を持って迫ってくるようだった。だが、もはやメアリは天使教会の司祭ではないつもりだった。直立不動でボアネエルと対峙し、挑む目線でボアネエルに応えた。


ボアネエルはこのメアリの無礼を哀し気なため息で押し流した。互いに直立不動のまま、ボアネエルは吐息を零した。

「我々、天使教会は人間にも竜人にも公平であり、偏見のないように努めている。私たち天使教会はお前の活動がどれほど困難に見舞われているのか知っているつもりだ。」

ボアネエルは、一瞬、声を詰まらせてから再び言葉を紡いだ。

「少なくとも私はお前に加えられた個人的な中傷など言葉通りに受け取ってはいない。」

そう言って、ボアネエルは一度、メアリの表情をうかがった。メアリは攻撃に対する構えを解かず、ボアネエルの次の言葉を待った。


ボアネエルは目を瞬いて、言葉を重ねた。

「天使教会は、お前の努力がこの地で実ることをどれほど願っているか。お前には分かるまい。天使教会こそ、お前の努力が実ることを誰よりも願っているのだ。」

ボアネエルは青い目でメアリをじっと見つめた。

「だがお前が天使教会の教えを歪め、そうしてこの地域を守りたい、というのであれば、我々はお前に辛抱せよ、と言わねばならない。忍耐せよ、と勧めねばならない。」

ボアネエルはそう言って、メアリをじっと見降ろしていた。


メアリは一瞬、この優しい言葉に屈しそうになった。それほどボアネエルの言葉には父が娘を思いやるような優しさと愛情がこもっているように思われた。しかしメアリは気力を奮った。相手を聖職者ではなく政治家だと思うことにした。


メアリの視線をまっすぐに受け止め、ボアネエルは言葉をさらに重ねた。

「わかって欲しい。この土地でこれ以上流血の事態が起こることは何としても防がねばならない。私の連れてきた天使隊とお前の率いる戦闘団が衝突する事態は何としても防がねばならない。お前の作り上げた戦闘団は私たちに勝つのだろう。だがそのあと、どうする。天使隊本隊が直接、お前たちを全滅させようとするのではないか。それこそ、多文化主義の絶滅を意味するのではないのか。」

ボアネエルの言葉に、メアリはついにかぶりを振った。

「司祭長様。今まで私は…天使隊の惨い有様を見てきました。私が何も知らない、とお思いですか。天使教会には権限がない。天使教会には天使隊の暴走を止める能力が無いことを、私ははっきり、分かっております。軽々しく武器を捨てることはできません。」


メアリの攻撃のような言葉に、ボアネエルは哀しく、その通りだ、と答えた。メアリは、無意識に一歩踏み出していた。

「ここでは私たち天使も、人間も、竜人も平和に暮らしております。それだけではない。騎竜と呼ばれる竜さえ暮らしているのです。私たちは生きている。あなた方の助けは必要ない。天使隊を撤退させてください。」

毅然として、メアリはボアネエルに言葉を放っていた。


ボアネエルは、お前の言うとおりだ、と再び答えた。

「だが、旧大陸から来るであろう天使隊の本隊をお前はどうするつもりだ。」

悲しげなその言葉に、メアリは目を伏せた。

「戦うより、他ありません。天使隊は人間に惨い扱いをする以上は、戦わねばなりません。」

メアリの言葉に、ボアネエルが目を伏せて指をさすった。

「今ならば人間達は小さな忍耐で済む。本隊が迫れば、人間はことごとく全滅だ。」

ボアネエルの言葉に、メアリはかぶりを振った。

「今のままでも全滅です。司祭長様、問題は天使隊の狂暴性をだれも抑えられないことなのです。」

メアリの言葉に、ボアネエルが沈黙した。


燃え尽きる火が最後に輝くようにボアネエルが言葉を紡いだ。

「天使隊の本来の使命は天使教会の教えを遍く土地に広めることだった。しかし、私たちは気が付いたのだ。そこには侮れぬ力を持った先住民が棲み、独自の宗教と神話を持っていることを。だから、力を用いることにしたのだ。お前たちと同じように。」

ボアネエルは哀しくメアリを見ていた。


——お前たちと同じように。その言葉がメアリを崩した。この男は知っている。自分とウィルがどのように三貴神信仰を強制したのか。そのことを知り抜いている、ボアネエルの目はメアリを告発も嘲笑もせず、ただ静かに受け止めていた。


ボアネエルがさらに言葉を重ねた。

「武力や暴力の行使はシーラ教の本質から、天使教の本質から外れることも私たちは知っている。いつか報いはくるのだろう。だが私は天使隊に力の行使を止めさせはしないだろう。」

ボアネエルは、まるで呟くようにそう言った。


メアリは、むなしい気持ちでボアネエルを見上げた。

「そこまで見切っていて、なぜ。なぜ私たちはこのように争っているのでしょう。」

メアリの言葉はもう、言葉になっていなかった。


ボアネエルは哀しく目を瞬いた。

「それは、多分。私たちの世界が愛ではないからだ。現実は政治であるからだ。」

ボアネエルは、メアリを見下ろした。

「三貴神の司祭メアリよ。私は天使隊を今一度引き上げさせる。それが私にできる精いっぱいだ。私はいつも。お前のために祈るだろう。」

天使長ボアネエルはそう言い、教会の応接間から退室した。


メアリにはボアネエルを見送る義務があったが、その力がメアリには残っていなかった。深く、応接間のソファに座り込むことしかできなかった。革張りのソファが冷たく背中に触れた。冬の空気が室内を侵食し、世界をも凍てつかせているようだった。


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