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第二十八話 狂気

メアリは変わった。声を以前より低く用いるようになった。純白のローブと豪華な装飾品を纏うようになった。装飾品は夕陽を受けて鈍く光り、動くたびに金属細工がかすかに触れ合う。メアリは指導者として適切にふるまおうと努力していた。


それを感じ取ったのか、ウィルもまた戦闘集団を従える騎士として毅然とした態度を示すようになった。


ウィルはメアリに従順であろうと努力していた。どんな場面でも揺らがぬ隊長であろうと努めていた。いつも彫刻の刻まれた上質な兜と銃士の衣服を纏い、メアリの言葉に騎士の儀礼で応えるようになった。兜は冷たい光を反射し、銃士の衣服は革の匂いを強く放つ。動くたびに硬い革の擦れる音がした。


メアリには、新しい秩序を作ろう、という覚悟があった。

ウィルにはアメリンド族のやり方が通用しない、という感覚があった。


月が欠けるように、少しずつ二人は自らの形を変えようとしていた。


メアリはどんな強固な信仰者にも火のようにぶつかっていった。だが回数を重ねるごとにその『話し合い』は次第に変質をきたし始めた。それはある意味では必然だった。信じる神の問題なのだ。妥協点など見つかるはずもない。閉じた部屋の中に人いきれと湿った木材の匂いがこもり、熱気と怒声が絡みつく。


メアリは次第に焦り、ウィルの力に頼るようになった。ウィルは一瞬苦しく目を伏せて、それから決然としてメアリの懇願こんがんに応えた。


ウィルは必ず複数人で囲むような形で『話し合い』の準備をした。石床に響く足音、人々が椅子を引くぎしりとした音、それが『話し合い』の始まりを告げる。集団で問題ある人物を囲み、そのうえで『話し合い』を行う。その内容はメアリのような次元の高い信仰上の議論ではなかった。ただ相手の人格をこきおろし否定するだけの劣悪なものだった。それを一日、時には数日間ぶっ続けで行うのだ。


相手の人格を麻痺させ、そうして信仰を捨てさせる。信仰を守ろうとする者の声が枯れ、その瞳から色が抜け落ちるまで続ける。部屋の中には汗の臭いや小便の臭いが充満し、ときに全身が弛緩してしまい大便を漏らす者もいる。そのような状態になっても、ウィルは『話し合い』を止めなかった。


修道士からウィルによる『話し合い』の実態を聞かされても、メアリはウィルを信じた。ほかに代替案がないのだ。だから、メアリはウィルの『話し合い』を黙認した。この方法で秩序が守れるならば必ずしも悪ではない、と信じてもいた。


そしてウィルの用いた暴力の効果は絶大だった。天使教団の伝統主義者。人間の民族主義者。竜人の體母信仰者。そのような者たちがひと月もしない間に従順になっていた。メアリはそれを異常と思う余裕さえなくなっていた。


毎日、食事の度に三貴神を尊ぶ祈りの儀式がある。

休日、全員でメアリの創作した偽典を朗読する時間がある。


いつのまにか、メアリは他種族の群れる集団の中心人物になろうとしていた。運命の力はメアリを新しい信仰の教祖に変質させようとしていた。


教会周辺も変質を遂げようとしていた。ウィルが竜狩りを成した、という噂は島中に広まっているようだった。その結果、様々な者たちが教会付近で暮らしを立てるようになった。織物屋が織機の木枠を軋ませ、染物屋が草木を煮る匂いを滲ませるようになった。農夫たちが背の高いコーンを植え、井戸掘り人は石を割る光景が見慣れたものになった。小屋造りの大工達が削りたての木肌の香りを運び、製鉄業者が鉄を焼く煙を立ち昇らせることが日常となっていた。


彼らが根付くたびに新しい秩序が必要になり、新しい法律が必要になる。その源泉として、新しい神話が必要になる。それが、三貴神、という新興宗教を立ち上げた者の責務だった。メアリは、自らの欺瞞を現実の拡大と成長によって補わねばならなかった。


そうして日々を過ごすうち、恐れていた事態が訪れた。


暗い雲が切れ目なく空を覆う日だった。メアリはその日、その森にウィルを連れ出した。森が時折、水滴を落とす。粘土質の土の香りがした。メアリはたわむれに枯れ枝を折ると、乾いた小さな音が森に吸いこまれていく。ウィルがその様子を見守っていた。

「天使教会が、」

メアリは、ついに要件を切り出した。

「私たちに目を付けたようです。」

メアリはそう言った。


ウィルが微かに眉を動かした。その動きさえ、森の薄光の中では影の揺れのようだった。


メアリは、天使教会から手紙が来たことをウィルに話した。そこには製造した弾薬を納めること、天使教会の教えを一切歪めないこと、その二点を誓うように書かれていた。


「まさに恫喝どうかつだな。」

ウィルはそう呟き、少し笑って見せた。


その不意の仕草に、メアリは寂しく微笑んで応えた。それから深呼吸をして、ウィルを見つめた。

「彼らの要望を拒めば、おそらく天使隊が現れます。かといって、彼らに従えば、人間は再び居場所を失うでしょう。」

メアリは曇天を見上げて、吐息を零した。

「ウィル。どうするべきでしょうか。」

メアリは心からウィルに問いかけていた。


メアリの問いに、ウィルは少し目を伏せた。

「天使隊に勝つことは出来る。だが、そうすれば今度は旧大陸から軍隊が現れる。逆に、条件を呑んで耐えてもおなじことだ。人間は皆、害獣として駆逐されていくだろう。今までずっとそうだった。」

ウィルはそう言った。すまない、と小さく言葉を零していた。


ウィルの言葉に、メアリはそっと頷いた。鳥が遠くに二度、鳴くのが聞こえた。

「今までの貴方の苦労——、」

それ以上、メアリは言葉を紡ぐことができなかった。うつむいたメアリの許にウィルが歩み寄り、そしてウィルがメアリを抱きしめていた。三年間。ウィルの肉体はたくましく成長していた。汗の匂いがあり、衣服の革の匂いがあった。

「すまない。」

ウィルがそう言って、メアリを強く抱きしめていた。


ウィルの声には怯えが含まれていた。瞬間、メアリの胸の奥で何かが静かに崩れた。私たちは罰を受けたのだ、とメアリは悟った。ウィルの肉体を全身に感じた。そこには騎士の着用する革の衣服と、血のめぐる肉体が存在していた。ウィルはメアリを抱きしめていた。それでいてウィルは震えているようにも思えた。罰を受けたんだ。メアリはウィルの背中に手をまわし、そして抱きしめた。


いずれ天使教会からさらなる要求があるだろう。破滅は目前まで迫っていた。


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