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第二十三話 二人

白竜の巨体は静かに大地へ沈んでいた。体温はまだ残り、触れるとぬるい熱が指先にまとわりついた。乾きかけた血のねばつく感触が掌に貼りついた。周囲には、血と焦げた鱗が混じる生臭い匂いが立ちこめていた。


白竜はもう吐息を吸い込むことも吐くこともしなかった。白竜からは徐々に生命の気配が失われようとしていた。


日が傾き、清涼な風が二人を撫でた。そこには優しい土と草の匂いがあった。メアリがウィルに向かって、貴方は勇敢なのね、と言った。ウィルは目を伏せてその言葉を受け止めた。メアリは透明な瞳でウィルを見つめ、そして話し始めた。

「私は旧大陸で生まれて、この土地に来たの。父も母も生まれた時から両手両足に白鱗症を患っていた。それを天使として選ばれた証だと信じていた。だから私たちは自分たちを『天使』と自称するの。つまり天使は全員、ただの人間よ。ただ、信仰上、自分たちを天使だと信じているだけなのよ。」

メアリは白竜の側面に手を当て、ゆっくりと深呼吸した。竜鱗に沿って少しずつ手を当てる位置をずらしていく。その動きは丁寧だった。メアリは話しすぎていたし、動きは丁寧すぎるくらい慎重だった。ウィルから見て、メアリは神経がまだ高ぶっている様子だった。

「腹にも胸にも逆鱗がない。どこにあるんだろう。母が熱病で痩せていって、骸骨のようになって。睨むように私を見ていて。きっと、父さんを取られると思ったのね。」

ふう、とメアリが息を吐いた。

「逆鱗はどこにあるんだろう。」

メアリは茫然と呟いていた。


ウィルは目を瞬き、白竜の背びれに指を這わせた。三列ある背びれには硬い弾力があった。魚の鰭のように美しい凹凸を描いていた。ところどころにひび割れと醜い焦げあとがあり、矢じりの痕跡がいくつも残っていた。背びれはすでにひどく冷たくなっていた。触れた指先にじわりと湿り気を吸うようだった。


メアリは白竜の腹から胸へ指先を滑らせた。

「母を埋葬したとき、父さんが、ようやく死んだな、と言ったの。ひどいでしょう。でも私は頷いてしまった。というのも、それは私の本心でもあったからなの。」

メアリは話し続けていた。彼女の物語は異常なほど長く、そして克明だった。メアリの指先は震えていた。Aの話題がBの話題に移り、Bの話題がCの話題へと揺らいで、そしてAの話題に戻る。ウィルは二度、ロコの様子を確かめに白竜のもとを離れた。信じられないことに、ロコはわずかに鼻先で温かい呼吸を繰り返していた。その呼吸には血の匂いが混じっていた。それでも確かな体温を感じる呼吸をしていた。それからウィルは水筒を取りに行くために工房廃墟も往復した。その間もメアリは話し続け、そして白竜の喉元に触れて逆鱗を探し続けていた。


ウィルはなんとなくメアリの気持ちが分かるような気がした。自分たちは白竜を倒した。それをどう感じればいいのか、わからないのだ。メアリが話したいだけ話させたほうがいい、とも思えたし、どこかで止める必要があるような気もした。結局、ウィルは、メアリ、と一度声をかけた。メアリは一度話を中断したけれど、またすぐにしゃべり始めていた。


魔弾の直撃した白竜の胸鱗は剥落していて、胸郭は醜く陥没していた。太く分厚い肋骨がどうなっているのか見当もつかなかった。胸の大きな筋繊維が失われていた。おびただしい血が凝固し、ハエたちがその部分に卵を産み付けようと飛び回っていた。


ウィルは逆鱗を調べ続けていた。喉の奥に金属の味を感じながら、白竜の背びれを慎重に撫でた。背びれの最も発達した部分は硬く、岩と革の中間のような質感があった。そして三列並ぶ背びれの一枚が強い熱を放っていた。

「メアリ。」

無意識にウィルは声を発していた。メアリの栗色の両眼がウィルを見つめた。その視線を受け止めてから、ウィルは頷いた。

「ここだ。」

ウィルは逆鱗に触れた。硬い。だが、その下に暖かな感触がある。死に沈んだ冷たい背びれのなかで、逆鱗だけが強く伸縮を繰り返している。それが指先へと伝わった。甲冑姿のメアリがウィルの隣に膝をつき、同じ部分に触れた。

「そうね。」

メアリがそう言って何度も頷き、そして息を呑んでいた。


ふたりの呼吸だけが、廃墟と霧の中に静かに響いていた。メアリはしばらく黙ったまま、指先で逆鱗の表面をなぞっていた。メアリの表情には清澄さがあった。ようやく落ち着いた、というように。ウィルはその横顔を確かめ、それからメアリが逆鱗を剥ぎやすいように場所を譲った。


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