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第十九話 運命

その朝はひどい雨が休みなく降り続いていた。雨は皮膚に刺さるほど細かく、音を立てて草葉を震わせていた。地面が泥状になっていた。濡れた土はどろりと崩れ、足を置くたびにぬるりと吸い込まれるようだった。灰色の薄い霧が地面のすぐ上を漂っていた。遥か東の方から雷鳴が聞こえた。


息をするたび、湿った土と血の匂いが喉の奥に貼りついた。ウィルはコーマの頭部を抱きかかえていた。騎竜コーマの頭部と胴体は引き裂かれ、頭部の上顎とその歯の部分が失われていた。一方の眼窩には眼球が収まっていて、まぶたは優しいカーブを描いていた。ちょうどウィルがコーマの喉元に触れた時のように。もう一方の眼は石を押し込まれたように歪んだ穴になっていた。濃淡の赤銅色をした竜鱗が美しく並び、一枚だけが闇色をしている。ウィルはその闇色の部分に触れた。その場所がコーマの逆鱗だった。


コーマは竜の不死性によって、やがて再生するだろう。だがウィルと過ごした記憶は失われ、まったく別のコーマになるのだろう。それがコーマの運命だった。


騎竜コーマは、ウィルの両親が設けた簡素な竜舎で生まれた。ウィルの両親は時にマヒズ(トウモロコシ)の畑を育て、時にマヒラ(キャッサバ)を採集して過ごしていた。家は粘土で作られていて、天井の木の梁は樹脂の匂いがし、雨の日には甘い香りが濃くなった。床は乾いたマヒズの茎で柔らかく敷かれ、コーマはいつもそこに腹をつけて眠った。老いた祖母がコーマを見守ってくれた。


家族は、マヒズの畑を育て、ユカーハを掘って食卓をつくった。煮えたキャッサバのかすかな酸味のある蒸気。焚き火にくべた木が割れる音。雨のあとの土の匂い。


仲間達も似たような生活をしていた。誰もが竜を飼い、竜と共に生きていた。騎竜はそのように人間の生活に組み込まれた竜の一族であり、どの竜もおとなしい性質をもっていた。


コーマは特に大人しい騎竜の子供だった。めったに自己主張をしなかったけれど、太陽の正しい時刻に日光を浴び、水を舐めることをした。同胞の騎竜に深い愛情を示し、知らない竜が近づくと、すぐに構えの姿勢をとった。本気で怒ったときには強い声を発した。自分の強さを心得ていて、暴力を示すことは決してなかった。兄弟たちと取っ組み合いをするときには牙ではなく硬いひたいの部分を用いた。幼いコーマの主目的は食べることだった。


そして、いつからか天使を自称する者たちが現れた。彼らのうわさは良いものではなかった。長老曰く、天使たちは部族が受け継いできた畑や漁業の場所を独り占めにしている、とのことだった。そして長老は、火を噴く筒を用いて部族の同胞を殺した、とも言った。


ウィルは部族の暮らす土地に天使が現れる様子を見た。彼らは両手両足が白鱗で覆われていたから、すぐに判別ができた。


その事態に対応する間もなく、疫病が広まった。その疫病はすさまじかった。竜も人間も瞬く間に死んだ。だれもかれもが白い鱗に似た結晶に皮膚全体が覆われ、呼吸器官までも白鱗に覆われ窒息して死んでしまった。


生き残りはウィルとコーマだけだった。なにも分からないまま、恐怖に駆られてウィルは幼いコーマを抱きかかえてやみくもに走り続けた。それから奴隷商に捕まり、予防接種をうけた。コーマを取り上げられそうになり、無我夢中でコーマを取り返して逃げ出した。


それがウィルとコーマの物語だった。


そうして今、運命の果てにコーマは仮死状態に陥っていた。竜は不死身であり、必ずコーマは再生する。だが同時に思い出を失った別のコーマになる。それがコーマの運命だった。


激しい雨は霧雨に変わっていた。湿った冷気は、皮膚の下まで沁みて離れなかった。ウィルの内側で暗い決心が沸き上がった。コーマを失うことはできない、と思った。たとえ何があろうとそんな風に自分の友達を失うことはできない。とても耐えられない。


ウィルは分厚い雲を見上げた。このまま雨が止まればいいのに、とウィルは思った。一時間でもいい。そうすれば別の考え方が出来るのに。


ウィルはついに行動することを決めた。コーマの逆鱗を剥ぎ取る。ナイフを鞘から取り出す瞬間、鈍い金属音が鳴った。刃の部分をコーマの逆鱗に押し当てた。その音がやけに大きく耳の内側で響いた。竜鱗を一枚ずつ剥がし、肉を少しずつ削いでいった。ウィルの唇は動いていた。見えない祖霊に、両親に、レインに、カイネに、自分の行動の意味と責任を説明しようとしていた。


雨が降り止まないんだ、とウィルは呟いていた。

耐えられないんだ、と言葉を重ねていた。


そうしてウィルがコーマの遺体から逆鱗を取り上げた時に、視線を感じた。見上げた先に甲冑を纏う女性がいた。たしか、メアリと言う女性だった。雨粒が金属を伝い、顎から落ちる瞬間だけ、淡い光が弾けた。


メアリはウィルの視線を受け止め、深呼吸をした。

「私はここを離れる。一緒にくるか。」

メアリはそう言い、ウィルは頷いた。ウィルは両手でしっかりとコーマの逆鱗を握りしめた。ウィルの全身はコーマの肉体から溢れる血で濡れていた。


血と雨が、腕を伝って地面に落ちた。その赤黒い滴の一粒一粒が、これまでの生活を断ち切る音のようだった。


ウィルの血塗られた旅が始まろうとしていた。



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