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第一話 虐殺

ジェム川の潮が満ち引きする時刻だった。汽水の匂いと、干潟から立ち上る温い霧が草の根元から滲むようだった。折れた杭列と崩れた赤煉瓦の塚が、蔦にのまれて膝ほどの高さで連なっている。巨大産業文明の遺跡はあちこちにあって、崩落した施設がツタに包まれていた。遠くには大きな川の合流域が平たく光り、葦の切れ目からアオサギがゆっくり舞い上がっていた。


レインの所属する天使隊は少し込み入った構造で形成されていた。天使は三名で一班を作る。この班を三組あわせたものを下士官一名が束ねる。その下士官たちを騎士官が規律する。そのような天使全員を竜人の技師官二名が協力して補佐をする——それが天使隊の基本的な構造だった。


そして天使隊には常に大型自動車両とトレーラーが与えられる。天使と竜人はトレーラーで苦楽を共にして部族的な紐帯を形成し、強大な竜に立ち向かう。これが『竜』と戦う際に最も有効な組織構造であったからだが——この新大陸では事情が違う、というのが、天使レインが仲間から受けた説明だった。


事情通の仲間曰く、この新大陸では天使隊の主な任務は『人間』の『移動』である、ということだった。『移動』が特別な意味をもっている、ということは仲間内でしきりに噂されていた。竜狩りの本質は竜ではない。上の連中にとってみれば竜なんてどうでもいいんだ、と仲間たちはささやき合っていた。大切なことは、旧文明人が取りつくした銅や鉛や亜鉛を回収することだ。それら卑金属が大量に死蔵されている土地から原住民を『移動』させることになるんだ、というのが、仲間たちの共通の認識だった。


そういうとき、レインは心を固くして聞かなかったふりをしていた。そんなことは起きるはずはない。任務は人間の移動なんだ、と信じようとしていた。


すくなくとも、天使レインは任務をその言葉通りに受け取っていた。


レインらが到着した時には、すでに別の小隊が任務を完了していた。騎士官と天使隊が50人の人間を集めて縄で繋いでいた。子供や赤ん坊もいた。

レインはちらりと天使の別動隊たちの装備を盗み見た。彼らは鉄の胴当てと革のバフコート、モリオン兜を着装し、竜人の作り出したボルトアクション・ライフルを装備していた。背後には竜人の自動車両が止まり、木製車輪と鉄の履き板が葦の根を踏み潰していた。


「全員降車。」

という下士官の怒声でレインは我に返り、天使隊としてとりあえずまっとうに働こう、と決めた。あとは下士官が細かな命令を下すだろう。


レインが整列した瞬間だった。何事かを必死に叫んだ先住民の男が真っ先に撃たれた。


湿地の空気を裂いて短い連射がはじけ、葦が震え、オスプレイが川面から撥ねた。


レインはそれに驚いて身をすくませた。移動させる、という話だった。そうだったはずだ。移動させる話はどうなったんだ。


騎士官が撃ちまくっていた。彼に従う天使たちもそれに続いてライフルを連発していた。


下士官が何かを叫び、仲間の天使たちがそれに続いてライフルを連射していた。


数秒のうちに人間たちは一気にたおれていて、レインはへたり込んでいた。


耳に金属の甲高い反響と、濡れた泥に血が混じる鈍い音が響いた。ジェム川からの風がそよぎ、塩と鉄の匂いあたり一面に充満していた。


すべてが終わった後で、騎士官が、ウジ虫が、と言ってレインに近づき、思いきり蹴り上げた。レインは湿った地面に倒れ込んだ。顔の前に潰れたカラスノエンドウの匂いがした。


それから天使たちは残った人間達を全員、穴倉に押し込んだ。穴倉は蔦に飲まれた赤煉瓦の地下貯蔵庫――壁の目地から塩が吹き、天井からは黒い根が垂れている。そうして白燐手榴弾を投げ込んだ。樹皮を焦がす甘い臭気が湿地に広がり、川霧と混じって白くゆらいだ。


悲鳴は爆発の時と、それから燐が燃え上がった時で二回起こった。二度目の悲鳴はずっとひどかった。


それに度肝を抜かれてレインは耳をふさいだ。仕事どころじゃない、と思った。それでレインはへし折れてしまった。職務放棄。軍紀違反。呼吸が出来なかった。


集落は焼け落ちて、士官候補生としての天使レインのキャリアはそれで終わりだった。レインはその場に放置された。


夢遊病者のようにたたずむレインを、自動車両の整備士らしき竜人の娘がじっと見ていた。その竜人がレインのもとに近づき、私はカイネ、と自己紹介をした。

「君は、なんでそんな勇気ある行動ができたの。」

と竜人の娘カイネがレインに言った。レインは何のことか分からなかった。集落は燃えていた。誰一人助けられなかった。

「『仕事』を拒否したじゃないか。ちゃんと見てたよ。」

レインは首を振った。拒否したのではない、できなかったのだ、と説明しようとした。

「同じことだよ。」

とカイネが言った。


ジェム川の水面が、灰の雪を運んで流れていく。

レインは首を振った。できたことは何ひとつなかった。葦の穂先だけが、彼の震えと同じリズムで揺れていた。


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