第十八話 崩壊
拠点は文字通りさく裂した。鼓膜を裂く轟音が、空気をねじ曲げているようだった。雨と白竜の咆撃がぐしゃぐしゃに混じり合っていた。硫酸の施設が爆発を繰り返して燃えていた。竜の咆撃は雨によって全く鎮火しなかった。逃げ惑うウィルの喉に湿った空気と焦げた油の匂いが滲み、肺の奥に焼き付くような痛みが走った。
白竜は特殊な咆撃を用いていた。プラスティグロメート砂礫と、気化したハプタ藻油が混じり合うとそのような消えない炎の材料になる。白竜は体内にそのようなどろどろの液体を保持していて、咆撃に用いたのだ。砲弾のようなその一撃は強力に地面に穴を開けた。そこにすさまじい炎のシャワーが巻き上がった。あらゆるものが燃えて爆発した。
白竜の破壊は徹底的で、そして緻密だった。拠点の北方には川辺で採れるハプタ藻を絞ってハプタ藻油を生成する工房があった。竜の咆撃が文字通りこの施設を爆散させた。藻の脂と竜の炎が混じり、青白い炎の波となって壁を這った。炎が工房を完全に包んでいた。東には芋の澱粉に精霊ワイズマン(アセトン発酵菌)を宿らせる工房があった。竜はこの工房に咆撃を加え、それがアセトンに引火してものすごい爆発を引き起こした。工房はその一撃で崩れ、甘い刺激臭が風を裂いていた。
竜は自身が炎に包まれても決して攻撃を止めなかった。拠点南東には旧文明の下水に溜まった硫化物から妖精セルファータ・アシド(硫酸)を捕集する工房があった。ここも竜によって完全に破壊された。工房内で瓶が割れ、木床から可燃性のある妖精ヒドロ・ケイト(水素)が大量に発生し大爆発を繰り返していた。爆発のたびに青白い閃光が走り、ウィルの鼓膜の奥まで震える衝撃波が突き抜けた。南にはニトラ・ヒドロ(水酸化ナトリウム)を捕集する工房があった。床にこぼれたニトラ・ヒドロが反応熱を発して工房全体が焼け付くほどの熱を発していた。
ウィルは魔剣を抱いたまま、居住区画の入り口付近に辿り着いていた。崩壊する拠点を眺めながら、呼吸をすることしかできなかった。雨がウィルの擦り傷に酸のようにしみた。どこかで焼けた鉄の匂いが鼻を満たした。どこかで女の、長い歌うような悲鳴が聞こえた。白竜がまだ、どこかで虐殺を行っていた。
月が中天に存在していた。深夜の拠点に戦塵と戦火と悲鳴があった。茫然とたたずむウィルに、おなじアメリンド族の生き残りである青年が近づいてきた。ジャックと呼ばれる青年だった。アメリンド族の生き残り。部族名は確か、ナバと言ったはずだ。いつも拠点の片隅にいて、コーマと遊んでくれた青年だった。
「僕があの白竜を呼んだんだ。燃えたな。」
ナバはそう言って微笑んでいた。
「全部燃えた。」
ナバは微笑んでいた。
「やっと、」
ナバは言葉を区切って何度も頷いた。
「敵を殺した。部族の恨みを晴らした。」
ナバはそう言って自分の言葉に頷いていた。ナバの両眼に安堵の涙があふれていた。
ウィルは、その言葉を愕然とする思いで聞いた。胸の中が冷たく沈み、胃の奥が縮むような感覚がした。
ウィルは、ナバから逃げたい、と思った。そうだ。コーマを探さないといけない。コーマは体は大きくなったけれど、まだ完全に成長していない。子供の竜なのだ。ウィルとコーマは良い相棒だった。ぴったりと息が合っていた。ウィルはコーマを外に連れ出し、雨で竜鱗を洗ってあげようとした。コーマはそれを悦んだ。それがコーマを見た最後だった。そのあと、近くに竜の咆撃が直撃した。誰かの悲鳴が上がった。それは人間の悲鳴ではなかった。コーマの悲鳴だった。
ウィルはその方向に這って行こうとした。でも陽が傾いていて、ランタンは砲撃の衝撃で吹き飛んでいた。どの方向に這っていけばいいのか分からなかった。息をするたびに煙が喉を焼き、咳と涙が止まらなかった。近くで白竜の咆哮があった。ウィルの腹まで響くものすごい咆哮だった。それからまた咆撃があった。その咆撃が拠点の何らかの施設を破壊し、その熱を直接感じた。ウィルはじっとしていることしかできなかった。
少し後でウィルは身を起こし、手で目の前の物体に触れた。そこにはたくましいコーマの翼腕があった。でもその肩から先が失われていた。肉の断面がむき出しになっていた。そしてコーマの頭があるはずの場所からぶくぶくと泡が立っていた。それはコーマの血の泡と息だった。ウィルにはどうすることもできなかった。コーマの名前を呼びながら、コーマが息絶えていく姿を眺めることしかできなかった。
それから、ウィルは夢中で避難したのだ。どこをどう逃げて居住区画までたどり着いたのか、わからない。途中で見たのは、焦げた扉、崩れた梁、そして人々の影が燃えさかる光に揺れる光景だった。カイネはいなくなっていた。レインもいなくなっていた。そして今、親友のコーマさえ失ってしまったのだ。
「どこへ行くの。危ないよ。」
ナバがそう叫ぶ声がした。
「僕と一緒に行こう。もう入植者の穢れ(けがれ)のない場所へ行こう。」
ナバがそう言っていた。
「失せろ。」
腹の底から、ウィルはナバに叫んだ。ナバはひるまなかった。煙と火の匂いの混ざった空気の中で、彼は静かにもう一度言った。
「一緒に行こう。」
ナバはそう言った。ウィルは強く首を振った。胸の中の怒りと喪失が波のように押し寄せ、目の奥が熱くなった。
「失せろ。消えろ。これ以上僕を苦しめないでくれ。」
ウィルは叫んでいた。
「君。しっかりするんだ。」
その女性の声に反応して、ウィルはゆっくりと覚醒した。乾いた土の匂いと、焦げ残った木の甘い煙の匂いが漂っていた。居住区画から工房の並ぶ中央区画まで歩こうとして、何かのガスを吸った。気を失い、地面に倒れて記憶をたどっていたらしい。夜は白み始めていた。空気がずっと澄んでいた。所々で木材が炭化して朽ちていく音がしたが、それも優しい音に変わっていた。
ウィルはゆっくりと視点を女性に合わせた。女性は膝をつくような姿勢を取っていた。天使化症の痕跡。入植者らしいシャツの上から肩当と前腕当て、小手を纏っていた。女性の背後に深緑の竜鱗があり、巨人のような逞しい(たくましい)肉体があった。騎竜。アメリンド族の用いる竜が入植者らしい女性と共にいた。
「貴女は誰だ。」
ウィルは姿勢を起こすことができないまま、女性に問うた。地面に膝をついた女性はウィルの視線を受け止めて、小さく頷いた。
「ただの剣士だ。名はメアリ。竜狩りを生業にしている。ここの責任者に会いたい。」
メアリの言葉に、ほんの小さな怒りがウィルの胸に灯った。
ウィルは姿勢を起こし、地べたに直接座るような姿勢をとった。
「誰もいない。もうみんないない。」
ウィルは血を吐くように地面に言葉をぶつけた。
メアリは静かに、そうか、と言って立ち上がった。
「私は今日一日、ここにいる。私と共に来る気持ちになったら、声をかけてくれ。」
それだけを言い、メアリは緑竜の背に備え付けられた鞍にまたがった。メアリの凛とした声を張り上げ、鞭を使って緑竜に向かうべき方向を示した。巨大な緑竜は鈍重そうに、緩慢にその指示に従って動き出していた。
ウィルはコーマのいるはずの方向に向けて歩き出した。ふと目の端に動きを感じた。
ナバだった。
去れ、とウィルは心の中で念じた。
去れ、去れ。その怒りを胸に抱いて、ウィルは立ち上がった。自分が生きている限り、誰の物語も続いている。ウィルは魔剣を抱いて歩き出していた。
焼け跡の熱がまだ足の裏を温めていた。
それでも確かに、彼は歩き始めていた。




