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第十七話 魔弓

誰もなにも言えないまま朝食は終わった。レインは皿を片付け、夕飯に備えて乾燥したカイコ肉を小さな石臼で挽いて粉にした。石臼の回転が軋み、粉の摩擦で空気が温かくなる。

挽きたての香ばしい匂いが立ちのぼり、喉の奥にほのかな渋みを残した。


ウィルはコーマの背にまたがって、振り落とされないようにする遊びをしていた。裏庭は太陽に照らされて輝いていた。朝露を吸った草の匂い、地面から立ちのぼる湿った土の匂いが感じ取れそうなほどだった。コーマの蹄が土を蹴るたび、乾いた砂が飛び散り、ウィルの頬に細かい粒が当たる。ウィルの表情は必死だった。そうすることで今すぐに大人になろうとしているみたいだった。


レインはウィルとコーマを見つめていたから、カイネがそばにいることに気が付かなかった。ふと感触を感じた時、カイネはレインの腕に寄りかかっていた。衣擦れの音とともに、冷えた皮膚の温度が服越しに伝わる。カイネがレインの唇に唇で触れた。一度。それから二度。カイネの唇は人形のように薄かった。ひんやりとして、けれど芯に熱を含んでいた。


レインがカイネの頬に触れると、そこには優しく弾む感触があった。


「君に渡したいものがあるんだ。一緒に来て。」

カイネはそう言って、レインの手を取った。人より少し太い四本の指。血のめぐる皮膚層の薄い感触。脂肪層の柔い感触。骨の硬い感触。


レインはカイネの手を包むように握り返した。カイネは少し感電したように深呼吸をした。吐息に先ほど食べたカイコ肉の良い匂いが混じっていた。それからカイネは、キッチンの奥から延びる地下階段にレインを誘った。


レインはずっとその場所を避けていた。そこはカイネの寝室だったし、その場所からは、かすかな血と臓物の臭いがした。それは以前よりずっと強いものになっていた。湿り気を帯びて喉の奥がざらつく。空気の重みで耳が詰まるような感じがした。


カイネはそのような場所にレインを誘おうとしていた。


階段は踏むたびに硬い石の音が低く響いた。地下室は旧文明の混凝土コンクリートを組み上げて作られていて、太い木材で天井が補強される構造で出来ていた。接着剤に松脂と木くずを混ぜたものを用いたらしい。レインが通り抜ける瞬間、樹脂のもつ異質な臭いが、ほんのわずかに鼻腔をかすめた。


カイネは金属片を擦り合わせ、ハプタ藻油から作られたろうそくに次々に火を灯した。火花が弾けるたび、油の甘い匂いと煙の苦味が混ざり合った。


地下室内に部屋は一つしかなかった。寝台があり、水を入れた樽があった。衣服を入れるクローゼットがあり、五列に並んだ薬棚が地下室の半分を占めている。瓶の中から薬草の乾いた香りが漏れ、地下室に香草の匂いが滲んでいた。


そして地下室の最奥にテーブルが設けられていた。その上に、異形の弓が置かれていた。


その弓は伸縮を繰り返していた。グリップ(持ち手)からリム(持ち手から上下に延びる部分)が、生物の頸椎から尾椎に至る椎骨で形成されていた。つるの部分が細く何重にも束ねた筋繊維で形成されていて、弓との接合部分はけんで強く接着しているようだった。


カイネの眼から溢れた涙が頬を流れ、そして弓に落ちた。

「私たち竜人に生殖能力はないんだ。性愛もない。生殖は造竜黄泉と體母冥蘭が一元的に行うもので、」

カイネがテーブルに手を置き、吐くような姿勢になった。

「私たち竜人はそれを助ける働きはたらきばちにすぎないんだ。それを思うとなんだかもう、キミを想うと私はもう、壊れていく。」

カイネがそう言った。


レインはカイネに寄り添い、抱きしめてカイネの背中をさすった。カイネは震えていた。熱い息と涙でレインのシャツが濡れた。地下室に降り立ったウィルが立ちすくんでいた。レインはカイネを抱いたまま、ウィルに、大丈夫だ、という意味を込めて頷いた。


出発の時が迫っていた。下水遺跡は狭くて逃げきれない。逃げ回ることもできない。十中八九死ぬだろう。レインはカイネから身体を離し、異形の弓を手に取った。


——くたばるわけにはいかないんだ。


勝負は一瞬になるはずだ。長銃を一斉に斉射して動きを止め、手榴弾で逆鱗を破壊する。あるいは、竜の咆撃によって殺される。相手も勝負は一瞬だと分かっている。


だが、この異形の弓があればそのような戦いに不確定要素を持ち込める。


レインは矢筒を手に取り、そうして地下室の出入り口に視線を向けた。ウィルがまっすぐにレインを見つめていた。

「ウィル。」

それ以上、なにも言えなかった。ウィルは真剣にレインを見つめていた。レインは腰に吊り下げていた魔剣を外し、ウィルに押し付けた。レインにできたことはそれだけだった。



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