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第十六話 覚悟

夜が白む頃にレインはカイネの住み家に戻った。カイネは帰ってこなかった。東の空がまだ群青を帯びている。風は白く湿っていて、草の露を揺らしていた。木々の葉がかすかに擦れ合い、外には朝のざわめきがあった。


窓を開けると、豊かな夏の風があった。湿り気を帯びた空気が木々の葉を擦り合わせ、低くざわめいていた。


まだ朝食の時間にもなっていない。レインは扉を開き、外の情景をただ眺めていた。この場所はかつて軍事的な拠点だったという。木枠に薄板を貼った灰色の家屋が、風に軋みながら整然と並んでいた。金属の留め具が朝の光を反射して白く光っていた。


ふと、遠く焚火を囲んだ広場に十数人の竜人と天使たちがいる様子が確認できた。ただ群れている、という様子でもない。規律正しく何かの訓練を行っていた。


レインは胸騒ぎを覚え、広場に向けて歩き出していた。近づくと、グラントと部下の竜人二人が集団にあれこれと指示を出している様子が確認できた。全員が銃剣の付いた長銃を携えている。グラントは集団から少し離れた場所にいて、長銃の構えかたや撃ち方を指導していた。


レイン、とグラントが手を上げた。それからグラントは少し速足でレインに近づき、重い口を開いた。

「レイン。俺はもう一度あの場所へ向かうことにした。大型竜を相手に総力戦をやることにしたよ。この銃に触ってみろ。」

グラントがそう言い、レインに長銃を一丁手渡した。


長銃は重かった。銃床と持ち手の部分が木製で、バレルや引き金、機関部分が硬質の鋼でできていた。金属の冷たさが掌に沈み、木製の銃床は汗に湿った感触を残していた。

「銃の本体だけで4kgある。弾薬や照準器、スリングを付けると4.5kgまで重くなる。だが威力があるし、後送式でボルトを前後に動かすと弾丸を連発して撃てる。これを使って竜の動きを止める。そうして手榴弾で逆鱗を破壊する。そういう作戦だ。」

グラントがそう言った。グラントの両眼はうつろで、何度も目を瞬いていた。


レインはグラントの疲れが分かるような気がした。レインは目を瞬いて、ついに口を開いた。

「彼らは竜と戦うのは初めてだろう。あの大型竜に臆せず銃を扱えると思うか。つまり、竜に臆せず弾丸を薬室に送り込み、薬室を閉鎖して構えて狙い、そして撃つ。そんなことできると思っているのか。」

レインはグラントから視線を外し、二十歩ほど離れた場所で意気軒高に騒ぐ竜人と天使たちに視線を移した。そこでは竜人と天使たちが銃を持ち上げ、ぎこちなく構え、乾いた空砲音を響かせていた。


硝煙の匂いが風に混ざり、金属粉のような苦い味が舌の奥に残った。

「グラント。言いたくないけど、彼らには無理だよ。それに竜は——」

銃では倒せない。レインは寸前でその言葉を呑みこんだ。


グラントは一度、ゆっくりと頷いた。

「わかっている。俺達は死ぬよ。だが逃げたくても他に行く場所がないからな。お前と同じだよ。」

グラントは目をしかめて、そして笑った。まるでレインに遺言を託すような、不思議な笑みを浮かべていた。

「根本的な話として、耕地を拓いて最低限の生活をする方法もある。だがそうすれば、穀物の貯蔵庫に侵入してくる雑食性の小型竜との戦闘は避けられん。俺がかつて住んでいた里は、そうして滅んだのだ。」

グラントが服の裾に触れるしぐさをした。煤と油で黒ずんだ指先が、布地に染みを残した。

「つまり、どうやって生き延びるかは問題じゃない。肝心なことは、居場所を守るには竜と戦うことが必要、ということだ。」

グラントはそう言い、会話を打ち切るようにレインに背を向けていた。その背の向こうで、天使や竜人たちが空砲を撃ちあって遊んでいた。それは訓練というより、恐れを紛らわせるための笑いであるようだった。


レインは手渡された長銃を抱いたまま、何も言えずにいた。かつて大型竜と戦った時を思い出した。銃身の冷たさが掌に食い込み、腕の筋肉がじわりと軋んだ。

かつて大型竜と戦った時の感覚が蘇った。熱を帯びた鱗の匂い、血の鉄臭さ、硝煙の苦み。

あの時、竜の叫びと竜鱗が砕ける音が入り混じっていた。そうだ。天使化症を待てばいい。天使化症はすさまじい。基本的には天使から発した飛沫によって人間や竜に感染し、発症すれば、竜も人間も数時間で死んでしまう。天使は人間ではない。人の形をした災いだ。


問題は、天使化症は無敵ではないことだ。種痘によって簡単に予防できることであって——。


そこまで思考を紡いだとき、ふと、アメリンドの人間達の恨みのこもった眼を思い出した。


レインは首を振った。あの目は知っている目だ、と思った。どういう経緯かわからないが、アメリンドの族長は種痘の方法を知り、それを実践した可能性が高い。そうして天使化症を生き延びた可能性を否定できない。


その場合は、戦うしかない。


抱きしめた長銃が重くなったような気がした。レインは、朝食を食べよう、と思った。長銃を抱きかかえて、レインは広場を後にした。




家に戻ると食事用のテーブルにカイネが座っていた。


ウィルがレインを見て、そしてレインの抱える長銃を眺めた。それから、ご飯だよ、と声を発した。ほとんど叫ぶような声の発し方だった。その声に不安と幼さが同居していた。


カイネはどこに行くというふうでもなく、どこに行っていたというふうでもなくレインに視線を向け、そして頷いた。温めた鍋がテーブルの中心にあり、陶器の皿に厚切りにした家禽の肉が入っていた。皿から湯気が立ちのぼり、脂の膜が光を反射して揺れていた。スープから塩と肉の良い匂いがした。


レインが食卓に着くと、裏庭から水を含んだ布切れを重ねて千切るような異様な音がした。レインがその音に方向へ視線を移すと、すっかり成長したコーマが裏庭でものすごい食欲を発揮していた。コーマは鋭い歯で肉を裂き、奥歯で骨を砕いて家禽三羽分の肉と骨をほとんど丸ごと平らげていた。コーマの吐息は熱く、獣の臭気を感じさせる。やはりコーマは竜であり、獰猛で強力な性質を備えているのだ。それを忘れてはならなかった。


それでもウィルがコーマを信頼しているのは、コーマが人間との共生を選んだ竜の末裔だからだ。数万年以上前から、ウィルの一族は竜であるコーマの一族と共に生活してきた。オオカミが犬になるためにすさまじい選別を受けたように、コーマの一族も小型で大人しいものだけが選別されてきた。コーマには竜としての頑固さはほとんどない。その意味ではコーマは竜ではない。ウィルを中心とした人間生活と調和できる能力——大人しさを手に入れた『騎竜』とでも表現すべき別の生物と呼べる存在でもあった。


そのように思考を巡らせてから、レインは目をつむった。右手の拳を左手で包むようにして、聖天使シーラに祈りを捧げた。

ウィルは両手を組み合わせてアメリンド族の祖霊に祈っていた。

カイネは片手で軽く額、唇、胸に指先で触れ、造竜黄泉と體母冥蘭に祈りを捧げていた。


それぞれが短い祈りを受け継ぎ、それぞれの物語を紡いでいる。


——くたばるわけにはいかないんだ。


レインはそのように考え、一度深呼吸をした。それから匙を使って澄んだ色のスープを啜った。最後の食事になるかもしれない、そんなことを思った。スープは脂が浮いていて、そして旨かった。それなのに神経が昂っていて、味を楽しむことができなかった。


カイネが透明な視線でレインの眼をじっと覗き込んでいた。そこには真剣な透明さだけがあった。行き場のない透明さだ。レインはその視線を受け止めることができなかった。レインはテーブルに目を伏せた。


そうしてレインは、戦いに行ってくるよ、と言った。



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