第十三話 共存
グラントの足取りはしっかりとしていた。そのあとにグラント指揮下の竜人二人が続き、最後尾をレインが歩いた。レインの前方を歩く竜人二人の呼吸は荒く、衣服が擦れるたびに、熱い彼らの吐息を感じた。汗腺がないために呼吸に熱がこもるのだ。
下り坂は長く、狭く、ただ靴底と岩肌の摩擦音だけが延々と続いた。時おり遠くで、水がどこかへ流れ落ちる低い轟音が響いた。しかし下り坂が終わると、空気が一変した。鼻腔の奥に腐卵臭がこもり、熱と冷気が交互にぶつかり合うような重い湿気が漂っていた。壁面には黒く押し潰された鉱脈が走り、触れれば指先にざらりとした鉱粉が付着した。
おお、おお、とグラントが声を上げた。反響は長く尾を引き、洞窟の奥で微かに低音を帯びて返ってくる。
かすかな違和感があり、レインは、グラント、と呼び止めた。グラントの動きがとまり、レインは自分が感じた違和感の正体を突き止めることができた。石灰質の洞窟全体に布切れのようなひらひらした切れ端が付着していた。視界の最奥に何か巨大な物体があった。そして視界の最奥、闇の底に、黒く巨大な輪郭があった。レインがランタンを向けると、そこには竜の鱗に覆われた巨大生物が存在していた。
レインは緊張のあまり、眼球の後ろにどろりとした血の流れる感触を味わった。竜鱗を纏ったその肉体は尾の部分が最初に見えた。それから右後ろ趾が見えた。巨人に等しい竜の体幹部分があり、その先に前趾があった。レインも竜人の弟子たちもそれ以上前進できなかった。頭部の部分はひどく損傷しているようだった。竜の貌をみるために前方に回り込む者はいなかった。竜は身動きしなかった。呼吸の様子さえなかった。ただ濃密な臭いがあった。竜の肉体は湿土と焦げた樹脂のような臭いを放っていた。
竜が死んでいる、とグラントの弟子たちが興奮して叫んでいた。レインは魔剣に手をかけたまま緊張して動けなかった。
グラントだけが冷静だった。
「阿呆ども、よく見ろ。」
グラントがそう言った。
「竜の抜け殻だ。」
グラントがそう言って、ランタンを掲げていた。その光量に照らされ、さらに異様なものが全員の視界に映った。
それは鉱質の顔料で描かれた五芒星だった。レインはその文様に見覚えがあった。
「先住民の用いる文様だ。」
レインは無意識に呟いていた。
「ここには先住民がいる。」
レインは言葉を重ねていた。
鉱脈の筋は押し潰された黒い稲妻に似ていた。その筋は洞窟の彼方まで続いていて、湿った空気の中でかすかに金属の匂いを放っていた。竜人たちは鉱脈をつぶさに調べ、爪先で岩を叩く乾いた音が連続して響いた。グラントが砕いた鉱石を掌にまぶすような奇妙な仕草をした。
「間違いない。硫化鉄だ。膨大な、量だな。」
グラントがそう言って全員を見渡し、声が湿った岩壁に鈍く反響した。
グラントのその言葉を聞いて、竜人たちはすごくほっとした表情をした。
その時、闇から生じるように一群の人々が現れた。薄布だけを纏ったたくましい裸体。五芒星の刺青。十人ほどの男女が赤黒く浮かび上がり、当惑したような眼差しでレインや竜人たちを見つめていた。
——されば人間の兵卒は焼夷弾と砲弾とを聖なる森へ撃ち放ちて来たれり。かくて天使の始祖シーラ、わが身に来るべきことをことごとく知り給いぬ。
ゆえもなく、レインは天使教団の教える聖典の一節を思い出していた。千年前、人間は天使シーラを殺そうとした。そして今現在、天使隊はあちこちで先住民を殺している。恐怖が錆のようにレインの内側で沸いて溢れた。
誰もなにもできず、何も言えなかった。刺青をした半裸の集団は、焚火の灰のような、焦げと果実の混じる臭いを放っていた。瞬間、裸体をさらす者たちの集団から醜い顔の小さな老人が現れた。
「No bat. Pih lai.」
老人はその言葉を数回、繰り返した。棘の無い優しい声の調子があった。
グラントが助けを求めるようにレインに視線を送ったが、レインは首を横に振ってグラントに応えた。
レインはしばらく躊躇していたが、やがて苦しく決断を下した。
「ウィルを連れてくるよ。あの子なら、きっとこの人たちの言葉が分かるから。」
レインはそう言い、身をひるがえして歩んできた道を引き返した。
ウィルが先住民の言葉を訳してくれたおかげで、レインは先住民たちについて様々なことを知ることが出来た。
彼らがネオ・アメリンド族という部族であること。アメリンド族は遥か昔からこの島に棲む一族であること。キャッサバを食べ、ヤシの枝葉を利用して住居を作って暮らしていたこと。
彼らは戦いを望んでいないこと。彼らのほとんどは天使化症によって死んでしまったこと。残された者たちも天使隊によって殺されてしまったこと。わずかに生き残った者たちがここで暮らしていること。
天使隊が彼らの部族にひどい暴力を加えたこと。天使たちがアメリンド族の若者たちに火をつけて歌っていたこと。
天使たちが女たちの手足を切断して歌っていたこと。部族の皆で歌おうとすると、天使たちの歌声を思い出してしまうこと。
戦争はない、そう言っても誰も聞いてくれなかったこと。
平和がある、そう言っても誰も理解を示さなかったこと。
「No bat. Pih lai——ノー・バト。ピウ・ライ。戦いは無い。平和がある。」
グラントがアメリンド族の人々を見渡し、良い言葉だ、と言った。
レインも不戦の意思を込めて、ノー・バト、と呟いた。ウィルが頷いて、ピウ・ライと言った。
部族の長である老人は、何かを言いかけて、そして止めた。老人は全員を見渡して頷き、No bat、と呟いていた。




