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第十話 英雄

巨竜との対決後、拠点におけるレインの立ち位置は変わった。『竜狩り』の二つ名で呼ばれるようになった。拠点内の設備を見学できるようになった。拠点内の談合や寄り合い参加できるようになった。交易商人と独自に契約を結び、情報を得ることが可能となっていた。


レインはこの機会を利用して、つぶさに拠点内を見学して回った。


北方には川辺で採れるハプタ藻を絞ってハプタ藻油を生成する天使スカーがいた。ハプタ藻油を分留することで灯油と重油を作り出せる。工房にはいつも藻の湿った匂いと石鹸の匂いが漂っていた。搾り台の木目をなぞると、藻油が指にぬるりと残る。スカーはいつも一人で働いていた。

「レイン。いいこと教えてやるよ。もし一つだけ願いが叶うなら、俺の願いは親父が俺の勇気を認めてくれることだ。俺は俺の意思で天使隊の暴力に加担することをきっぱりと拒否した。俺は恥ずかしかった。正しいことをすることが恥ずかしかった。それでも俺は、きちんとまっとうなことをしたんだぜ。だけど親父は俺の行動を認めてはくれなかった。恥さらしをするな、天使隊に戻れ、それしか言わないんだ。」

天使スカーはそう言った。スカー(傷痕)は彼が天使隊から受けた傷痕だった。その傷は今でも彼の心を傷つけていた。


北東には家禽に与えるカラス豆に精霊の祝福(発酵)を施す天使の司祭クレナドールがいた。豆を藁で囲み、優しく蒸すことで発酵を促す。藁束の温みを素手で確かめ、むせる蒸気の中でクレナドールは作業をしていた。


司祭クレナドールはシーラ教について深い知識を有していた。

「シーラ教は厳密な二元論とシーラ教独自の救済論によって成り立っている。実際、天使である私たちは病と無縁で生きてそして死んでいく。天使化によって邪霊と融合した人間も同じだ。じきに天使のように四肢に白鱗が生じる。膨大な人間が死に、わずかな人間は天使化して邪霊と融合し生き延びていく。」

クレナドールは首を振ってそのようなことを言った。

「つまり、じきに人間は滅んでいくか、天使化して消滅していくほかないんだ。これはすごいことだ。バッファローは待つ。ただ静かに待つんだ。事の始まりから終わりまで。」

クレナドールは目を瞬いて言葉を重ねていた。


東には芋の澱粉に精霊ワイズマン(アセトン発酵菌)を宿らせる天使の戦士ウォーターがいた。屋根裏で梁が湿ってきしみ、甘い澱粉の湯気が喉の奥に張り付く。彼の工房からはいつもデンプンの甘い蒸気が屋根裏から漏れだしていた。

「ここの天使たちはどうして暴力に対してそんなに反対なんだろうな。」

天使ウォーターはそう言った。

「自分たちが弾丸作りで生き延びていること忘れてんじゃねーの。誰が自己正当化できる。誰が自己正当化を許されるっていうんだ。」

ウォーターはそう言って首を振っていた。


南東には旧文明の下水に溜まった硫化物から妖精セルファータ・アシド(硫酸)を捕集する工房があった。黄色い煙を洗い落とす大きな水槽が特徴的だった。その工房には六人もの竜人が交代で働いていた。その工房の主人である竜人こそ、逆鱗を剥がして見せたあの竜人の頭目グラントだった。

「レイン、仕事が欲しくなったらいつでもここに来てくれ。下水の探索者が切実に必要なんだ。礼は弾むぞ。」

竜人グラントはそう言っていた。


南には妖精ニトラ・ヒドロ(水酸化ナトリウム)を捕集する工房があった。石灰の粉が皮膚の油を奪い、指先が軋む。この場所からは灰汁と石灰の匂いが滲んでいた。工房の女主人、竜人ノーネームは公用語で歌っていた。

「A-Tisket,A-Tasket,a green and yellow basket.」

ノーネームは歌っていた。ノーネームの名前は誰も知らない。彼女自身さえ名前を憶えていない。

「I wrote a letter to my love, and on the way I lost it.」

ノーネームは歌っていた。歌うことで失った自分を取り戻そうとしていた。


南西のはずれには撥霊器(発電機)や騒霊器モーターを作る竜人の工房があった。そこは若い竜人クロードがいて、ジャンクとなった機械を修理する作業に没頭していた。

「これしかできることがないんだ。」

クロードがそう言った。

「ほかに出来ることがないんだ。」

クロードはそう言っていた。


北西部分に居住区画があった。居住区の西側に灯油の灯台が設けられていて、夜になるとほの白く居住区を照らしていた。


旧大陸から入植した聖職者たちが天使隊を組織して武器と弾薬を欲していた。

先住民たちが土地を守るべく武器と弾薬を欲していた。


そしてこの拠点は、そのどちらにも弾薬を提供することで拠点の維持を可能としている。死の商人。レインの暮らす拠点は、罪業によって成り立つ場所であるようだった。


ウィル以外に一人だけ人間の青年もいた。人間の青年で、竜人たちは彼のことを単にジャックと呼んでいた。ジャックは天使化による死を免れた青年で、体の左側にやけどのような醜い痕が残っていた。その火傷のような傷痕から、天使化の兆候である白鱗が生じていた。


弱者は弱者を見逃さない。レインの感性は、ジャックの狡そうな薄笑いや上目づかいを見逃さなかった。ジャックの相手の表情を窺う仕草に、レインは自分と同じ心の弱さを感じ取っていた。


間違いない。因縁がある。レインはそんな予感がした。レインはジャックに接近し、硝石回収の仕事を一緒にしないか、と提案した。ジャックはレインの提案を薄笑いでごまかした。次の日も、その次の日も似たような反応だった。


竜人の頭目グラントがその様子を見ていた。グラントはレインに、ジャックには関わらないでやってくれ、と忠告した。


レインは、なぜ、とグラントに問うた。グラントは何度かためらうように視線を泳がせ、ついにジャックの過去について教えてくれた。


すべては天使隊の暗い暴力が原因だった。旧大陸から入植してきた天使たちは、入植すると瞬く間に先住民である人間たちを虐殺した。それは実に峻厳仮借ない暴力だった。先住民には竜と心を通わせる不思議な資質がある。だから天使にとって先住民は敵だった。天使たちは人間に暴力を加えることを『仕事』だと信じていた。


生き残った人間はごくわずかだった。人間の生き残りは、天使隊に加担した裏切者たちだけだった。


ジャックはそのような裏切者の一人だった。この青年は人一倍臆病な性質を持っていて、天使隊に脅されただけで天使たちに屈服してしまった。ジャックの仕事は、同胞の先住民に熱湯をかけることだった。その拷問の目的は他の人間達を狩り出すことだった。熱湯をかけることで人間に苦痛の呻きをあげさせ、救出しようとする他の人間達を狩り出すことだった。


そこまで説明して、グラントはため息をついた。

「ここの先住民たちは、天使に向かって毅然としていた。決して神聖な土地と祖先の教えは捨てない、と言った。ジャックの仕事はそんな人間達に熱湯をかけることだったんだ。」

竜人の頭目グラントがそう言って目を伏せた。


天使レインは罪悪感に耐えきれず、ついに首を振った。

「天使たちの暴走を聖シーラがお許しになるはずがない。暴力を教会が許すはずがない。」

レインがそう言い、グラントはその無知を憐れむ様に笑った。

「教会だと。教会こそ、天使隊の上部組織ではないか。」

グラントはそう言い、レインは沈黙してその言葉を受けとめていた。




それから数日後に、レインは心の晴れる光景を見た。ジャックが喉を鳴らし、幼竜コーマを撫でている光景だった。コーマは朝になると長い散歩に出かける。レインはそれをただの散歩だと思っていたが、その散歩はこの男に会うためであったのかもしれない。

「君は竜と会話が出来るんだね。」

レインがそういうと、ジャックは急に黙り込んでしまった。何がジャックを不快にさせたのかはわからない。ジャックはあまり話したがらなかったが、レインの懇願するような態度を受けて、ついに自分の生い立ちを少しずつ話し始めた。


ジャックは本名をナバといった。ナバはたどたどしい天使の言葉で、自分はドラグナー(竜に乗る者)の一族に生まれた、と話した。

「竜にも大人しく臆病なものがいて、そのような竜は自力でなわばりを維持できない。そうした竜と心話を重ねて、一緒に暮らすことをするのが集落では最高の栄誉だった。」

ナバはそのように言葉を重ねた。やがて天使が来て——と話しかけて、ナバは口をつぐんでしまった。


レインは小さく頷いた。ナバの心の傷をいたずらに触れる気にはなれなかった。レインは、硝石を集めるために手伝いが欲しいのだ、とだけナバに告げてその場を立ち去ろうとした。


祈っていた、とナバが言った。その言葉にレインが振り返った。


ナバは、みんなは炎に包まれながら祈っていた、と呟いていた。




神はいるのか。その疑問を振り切るように、レインは硝石の回収作業に没頭した。灯油のランタンで周囲を照らし、レインが硝石を砕く。つるはしの衝撃が肘に抜ける。ウィルが硝石を回収してカイネのもとまで運ぶ。そしてカイネが硝石を選別して仮置き場に集め、少しずつ拠点に持ち帰る。


神はいるのだろうか。ウィルにとって硝石の持ち運びはつらい作業だ。あと一人いてくれるだけで、随分と作業が楽になるのに。そんなことを思いながら、レインはつるはしを振るうことしかできなかった。


神はいるのか。ある日、洞窟内で小型竜と遭遇した。レインは魔剣を引き抜いた。けれどその時、ウィルが喉を鳴らして小型竜と心話を試みた。


何が起こったのかはわからない。しかし、小型竜は踵を返して撤退してくれた。


ウィルは澄んだ目で世界を見ていた。

ウィルは少し身長が伸びたようだった。


ウィルは、心話を用いて実際の危険を退けていた。


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