第九話 解体
遠くでカイネが、レイン、と叫んでいた。
疲れ切ったレインは瀕死の巨竜を眺めて茫然としていた。巨竜の肉体は天使化の影響で樹状の突起物に覆われていた。その樹状組織が赫々と発光し、洞窟内の暗黒を明るく照らしていた。巨竜の呼吸は止まっていた。拳ほどもある眼球に白い靄が発生していた。
遠くでカイネが叫んでいた。
レインのもつ魔剣にも変化があった。魔剣の柄から脊柱と節足をもつ蟲のような生き物が這い出てきて、飛竜の死骸に食らいついていた。臆病な小動物のように柄から半身をさらしたその蟲は、飛竜に食いついて血を啜り肉を齧っていた。
「レイン。」
カイネがそう言って、疲労しきったレインを抱きしめていた。
魔剣から這い出た蟲が衝撃を受け、驚いたように柄の内側へ引き戻ってしまった。
疲れ切ったレインは、蟲が竜に噛みついた痕を眺めていた。レインは、魔剣から半身をさらす蟲のような生物をおぞましいとは思わなかった。異常とも認識しなかった。ただその蟲に自分を重ねていた。それは自己発見だった。レインは自分の中に異常性が存在することを知った。それは食欲に近い衝動だった。なぜかレインはカイネを想っていた。カイネの血を飲み尽くして一つになりたい、という暗く切実な感情が存在していた。カイネの肉を齧りカイネを自分の内側に閉じ込めたい、と叫ぶ肉体的な欲求が存在していた。
カイネが、心配ないよ、と繰り返し声を発してレインの瞳を覗き込んでいた。
「心配ないよ。お前に渡した魔剣は竜の逆鱗から再構築した疑似生物なんだ。ただ単に食事と排泄を必要とする。それだけなんだ。害はないよ。」
カイネがそう言ってレインを抱きしめていた。丁子油とスターアニスの良い匂いがした。柔らかい木綿とその内側の柔らかな肉の感触があった。レインはその感触でようやく我に返ることが出来た。全身でカイネに包まれている自分を感じた。
助けを呼んできたんだ、とカイネが言葉を付け足した。
カイネは拠点から大勢の天使と竜人を連れてきていた。百人近い人々が思い思いにランタンを照らし、竜を解体して復活できないようにしていた。
「たまげた。これだけ急激な天使化は見たことねえな。」
「一度もないか。」
「ああ。初めてだ。」
「これぞ新大陸だな。天使の猖獗。ここではすべての罪がフレッシュでオリジナル。原罪なんだ。」
人々は勝手なことを言いながら、竜の骸に群がるように洞窟に押し入ってきた。竜人たちが率先して手早く仕事を始めていた。手足を縛るものがいた。竜の頭部を押さえる者がいて、万一に備えて竜の口元を荒縄で縛る者がいた。
カイネがウィルとコーマを呼び寄せ、みんな無事だよ、とレインに教えてくれた。ウィルがレインに毛布を与えてくれた。
硫酸を作っている竜人は経験があるらしい。勝手がわかっていた。全員が移動できるように動線を整え、それから全体の指揮を取っていた。
「まず首の動脈と静脈を開けよう。血を抜くんだ。竜人の衆、死にたくなければ感染する前に終わらせるぞ。」
竜人たちが頭目の野太い声におずおずと従い、竜の顎の向きを変えた。喉の筋を露出し、別の竜人がそこに剣を思いきり振り下ろした。何度もそうするうちに厚い皮膚が裂け、内部の圧が弾けた。血煙と大量の血液が零れ、熱い鉄の匂いが洞窟全体を満たした。
「死というのはむかつく。」
まともに竜の血を浴びた竜人がそう言った。天使化した血液が空気に触れて淡く発光し、赤黒い煙を上げながら赤黒い色に変わっていった。
それから血抜きの作業があった。竜人の頭目が四肢を固定するよう命じ、数人の天使たちが怪力で竜の手足を押さえつけた。そうしてから竜人たちは竜の胸板に鉤をかけてロープで引いた。肋骨が軋み、心臓が押し潰されるたびに、血管の裂け口から泡混じりの血が吹きだす。竜人たちがロープを引くたびに血液が流れだしていた。淡く発光した血液が黒ずんでいく。洞窟にひどい血だまりが出来ていた。
「よし。次は鱗を剥がそう。逆鱗を見つけたら教えてくれ。表面になければ、臓器にめり込んでいるはずだ。徹夜になるかもしれん。」
頭目のその言葉で、数名の竜人が思い思いに刃物を抜いた。剣や鉈が鱗と皮膚の間に差し入れられ、竜鱗の裂ける音が洞窟の壁に反響した。竜鱗が金属的な音を立てて洞窟の床面に散らばった。売り物にする気なのか、竜鱗を回収する者もいた。そのようにして表皮から竜鱗が引き剥がされていった。
「逆鱗だ。あったよ。喉のあたり。第三節。」
若い竜人の声が鋭く響いた。頭目がのっそりと動き、若い竜人はあわてて場所を譲った。頭目は喉の付近に屈みこみ、鉈を用いて肉や骨を切断していった。頭目の手元にかなりの力がこもっていた。骨を断つ音が数回響いた。そうして頭目は、黒く濡れた板状の組織を竜の肉体から取り外して全員に見せた。
「これでいい。竜はもう再生しない。」
頭目が低く宣言し、竜の逆鱗を全員の視線にさらした。
その宣言を聞いて、レインとカイネは同時に頷いていた。
残された竜の死骸は邪魔でしかない。生石灰で処理しよう、というものがいたし、研究目的で持ち帰りたいというものもいた。アセトンの精製を生業とする天使が、竜の肉体を食料として買い取りたい、と声を発していた。
いずれにせよ、ひと段落ついた。そんな思いを全員が共有しているようだった。




