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幕間 アルフォンスの独白

夜の帳が下りた王立学園は、音のない石の森だ。

誰もいない講師室で、私は一人、揺らめく蝋燭の灯りを頼りに、一通の手紙を読んでいた。


差出人は、“名無しの令嬢より”。

顔も知らぬ。声も聞かぬ。

ただ、このインクの滲み、折り目正しく綴られた文字の連なりだけが、鋼鉄の鎧のように硬くなった私の心を、少しずつ解きほぐしてくれる。


“あなたの信じる正義が、いつか誰かを傷つけたとしても、その痛みを知るあなたならば、きっと正しい道を歩めます”


……なんと不思議な言葉だろう。

それは励ましでも、慰めでもない。まるで、罪を分かち合う共犯者のように、私の心の最も暗い場所を見つめて語りかけてくる。


この手紙を読むたび、私の脳裏にはもう一人の令嬢の姿が浮かぶ。

――ミシティア・ド・ラフェーレ。

学園では“氷の悪女”と噂され、その傲慢な言動で誰をも寄せ付けぬ、私の義妹。

だが、私は知っている。あの氷のような眼差しの奥で、決して消えぬ理想の炎が、彼女自身を焼き焦がすほどに燃え盛っていることを。


あの日、講義の終わりに彼女が放った言葉が、今も耳から離れない。


「義兄上。お忘れなく。正義という名の剣を最も高く掲げる者こそ、その足元に最も多くの血溜まりを作るということを」


教室の空気が凍りつく中、私は何も返せなかった。

怒りでも、屈辱でもない。彼女の静かな声には、あまりにも厳しい真実の重みがあったからだ。まるで、私が目を逸らし続けてきた正義の“影”の部分を、白日の下に晒されたような気がした。


……もしも、だ。

もしも、あの気高い令嬢が、別の運命を生きていたとしたら。

もしも彼女が、誰かのために涙を流し、不器用に笑うような人間だったとしたら――

私は、きっと抗えぬほどに惹かれていただろう。


だが、それは騎士にあるまじき、愚かな幻想に過ぎない。

ミシティアはミシティア。冷たく、美しく、そして誰よりも孤高を愛する。


その一方で、“名無しの令嬢”は違う。

彼女の言葉には、柔らかな陽だまりの暖かさがある。私を罰するのではなく、赦してくれる。


……おかしなことだ。

二人の声が、時折、頭の中で重なって聞こえるのだ。

ミシティアの突き放すような叱責と、“名無しの令嬢”の包み込むような肯定が。

まるで、一つの魂が持つ光と影のように。


ミシティア。

お前のような人間を、心の底から憎むことができたなら、どれほど私の道は楽であっただろう。

だが、私は――お前を誇りに思っている。

その歪んだ在り方でさえ、誰よりも“真っ直ぐ”だからだ。


そして、“名無しの令嬢”。

この国のどこかで、私と同じ月を見上げているであろう君へ。

願わくば、その優しさを決して失わないでくれ。君の言葉だけが、私の救いなのだから。


一方は、私の心に傷を刻む戒めとして。

もう一方は、その傷を癒す希望として。

この二つの存在がなければ、今の私は立っていることさえできないだろう。


……だから、今日も私はこの手紙を読む。

蝋燭の炎が、私の胸の奥に宿る誰にも見せぬ“焔”を、静かに照らし出している。

そして明日もまた、私は教壇に立ち、揺るがぬ声で正義を語ろう。

この身が燃え尽きる、その日まで。

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