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第九章 風の中の声

あれから、幾年の月日が流れたでしょうか。

王都の季節は何度も巡り、ラフェーレ家の罪は歴史の一頁となりました。人々は新たな時代の平和を謳歌しております。けれど、私の中の時間は、あのお嬢様が断頭台に微笑まれた朝のまま、静かに止まっておりました。


アルフォンス様は、あの日、廃墟となった屋敷で慟哭された後、王都を去られました。

騎士の位も、その名誉もすべて返上し、どこへ向かわれたのか、誰も知りません。

ただ、旅立ちの日の夜明け前、私は遠くからそのお姿を拝見しておりました。かつての騎士の鎧ではなく、質素な旅人のマントを羽織ったあの方が、胸に一輪の白薔薇を差し、灰色の空を静かに見上げておられたのです。


「彼女は、悪女ではなかった。……ただ、この世界が、彼女をそう呼んだだけだ」


誰にともなくそう呟くと、彼は背を向け、まだ薄暗い雨の中へと、一人静かに歩き出されました。その背中は、赦しを求める孤独な巡礼者のようでございました。


私は、今はもう誰も住まぬラフェーレの屋敷跡を守り、お嬢様の部屋だけを、あの日のままに残しております。

机の上には、封をされなかった一枚の便箋。

それは、処刑前夜、小箱に入れた手紙とは別に書かれた、彼女の本当の最後の言葉。涙の滲んだ跡のある、震える筆跡で、こう綴られておりました。


“――どうか、彼が、ただ生きていてくれますように”


夜風が窓の隙間から吹き込むたび、その便箋が微かに揺れます。

すると、紙の端が擦れる音が、まるで彼女の囁きのように、この老いた耳に届くのでございます。

いいえ、それは耳で聞いたのではございません。長い歳月をお仕えしたこの魂が、風に乗って運ばれてきたお嬢様の魂の囁きを、確かに感じ取るのです。


“アルフォンス。あなたの掲げた正義は、あまりにも眩しかった。

けれど、私は決してあなたを責めはしないわ。

光は、影があってこそ、より強く輝くことができるのだから”


……ああ、やはり。これは、お嬢様の声でございます。

私の胸の奥で、温かく、そして優しく響く。


私は、万年筆をそっと置き、この長い記録を閉じることにいたします。

ただ一人の騎士が、その正義の果てに何を見つけたのか。そして、ただ一人の令嬢が、その愛の果てに何を遺したのか。

その真実を、いつか誰かが知る日のために。

もう二度と、彼女を“悪役令嬢”と呼ぶ者が現れぬように、という祈りを込めて。


夜明けの風が、窓を優しく揺らします。

すると、その風の向こうから、凛、と澄んだ音が聞こえた気がいたしました。


それは、風に乗って届いたお嬢様の魂の慰めか。

あるいは、遠いどこかの地で、あの方がまだ誰かを守るために、その剣を振るい続けている音なのか。

……私にはわかりませぬ。


ただ、その清らかな音色は、この止まっていた私の時間を、再びそっと動かし始めるような、温かい響きでございました。

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