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第一章 転生と絶望の未来

――ラフェーレ公爵家、老執事ルネ・ド・カーミラの手記より


あのお方が、この屋敷で“二度目”の朝をお迎えになった日のことを、私は生涯忘れることはないでしょう。


ひやりと肌寒い朝の空気が、豪奢ながらもどこか物寂しい寝室を満たしておりました。天蓋付きのベッドに掛けられたカーテンの隙間から差し込む朝陽が、まるで舞台の幕開けを告げるスポットライトのように、宙を舞う埃の粒をきらきらと照らし出しておりました。


その光の中で、お嬢様がゆっくりと身を起こされました。


「……ここは」


絞り出すような、か細い声。それは私が長年お仕えしてきた、誇り高きミシティア・ド・ラフェーレ様のものではありませんでした。

絹のシーツを握りしめるその指は血の気を失い、いつも自信に満ちていたアメジストの瞳は、長くつらい夢から無理やり引き剥がされたかのように、静かな混乱と絶望の色をたたえておりました。


この国において、ミシティア・ド・ラフェーレ公爵令嬢の名を知らぬ者はおりません。

神々が寵愛したかのような美貌。誰をも寄せ付けぬ気高さ。そして、社交界の噂にのぼる――“傲慢で冷酷な悪女”という悪名。


しかし、私の目の前におられるのは、そのいずれでもない、ただ怯えるか弱い魂でございました。

お嬢様はふらりとベッドを降りると、まるで初めて見るかのように自室を見渡し、やがて豪奢な姿見の前で足を止められました。


鏡に映る、完璧な美貌を持つ見知らぬ令嬢。その顔を、まるで呪われた仮面でも見るかのように眺め、掠れた声で私にお尋ねになったのです。


「教えて、執事さん。……この世界は、私が知っている乙女ゲーム、《聖なる契約の庭》の世界……じゃないの?」


その言葉を聞いた瞬間、私の中で全てが腑に落ちました。

ああ、やはり。この御方の中には、もはや私の知るミシティア様はおられない。どこか遠い世界から迷い込んだ、別の魂が宿ってしまわれたのだ、と。


それから数日、お嬢様は狂ったように書斎に籠り、日記を書き始めました。

震えるペン先が上質な紙を引っ掻く音だけが、部屋に響きます。そこには、未来を知る預言者のごとき、恐ろしい言葉が綴られておりました。


『このままではダメ。ラフェーレ家は、奴隷売買と禁術取引の罪で断罪される。お父様もお母様も、そして私も……断頭台で処刑される未来しかない』

『でも、アルフォンス義兄様だけは違う。彼は、この家の罪を知らない。彼だけは、光の中にいなければならない』


アルフォンス様。お嬢様の義兄にして、この国の騎士団が誇る“正義の化身”。

その誠実で曇りのない生き様は、前世の記憶を持つお嬢様にとって、唯一の希望であり、救済すくいだったのでしょう。日記には「私の最推し」という、私には意味の計り知れぬ言葉と共に、彼への思慕が切々と綴られておりました。


そしてある夜、月明かりが差し込む窓辺で、お嬢様は決意を固められました。


「運命の筋書きは変えられない。だとしたら……私が完璧な“悪役”になるしかない。彼が、私を憎み、心置きなく断罪できるように。彼自身の正義の手で、この家を終わらせられるように」


そう呟かれたお嬢様の横顔は、恐ろしいほどに静謐で、美しかった。

その瞳は、覚悟を決めた聖女のように、冷たい光を宿しておりました。


私は静かに一礼し、部屋を退出いたしました。

そして、己の心に深く誓ったのです。

――これからお嬢様が、どれほど冷酷な悪女の仮面を被ろうとも、世界中の人間が彼女を罵ろうとも、私だけは真実の記録者でいよう。


この国の誰も知ることのない、たった一つの物語。

“悪役令嬢”ミシティア様が、愛する人の光を守るために犯した、あまりにも優しく、そして哀しい罪の記録を。

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