30話 反省回
ナカムラ一家にとっては、いつもより早い帰還であった。
ツシマを気遣い、旧ホームセンター防壁都市へ帰る。
猟師組合出張所でその日の報告と素材換金をおこなうと、おばさんが「無事に帰ってこれて良かったね」と労ってくれて、ツシマは申し訳ない気分になった。
「ツシマちゃんよ」
「はい、パパさん」
「初めてあったばかりで説経はしたくないんだが、ちょっとお茶でも飲みながら話そうや」
「……はい」
太郎パパは、帰りはナリタンの街まで送って行くからバスは気にするなと言う。他人であるが、先輩猟師としてアドバイスしたいと言う。
そうして旧映画館の中にある、喫茶店へと一同は入店した。
1つのテーブルに太郎パパと花子ママ、向いにツシマと三葉。一郎と双葉とみっちゃんは別のテーブル。
ツシマと双葉は紅茶と生クリーム添えシフォンケーキ、他は珈琲を頼んで、太郎パパの有り難い話が始まった。
「ツシマちゃん、レベルと装備を教えてくれ」
「……はい」
ツシマは落ち込みながら、シフォンケーキを小さく分けて生クリームをつけて口へ運ぶ、そして答える。
レベル22。ボディーアーマー3型。AA12、散弾、専用小型榴弾。コルトガバメント。鋼のバット。手榴弾。解体用ナイフ。各種魔法回復薬。
「なるほど、ゴブリンダンジョンに挑むなら十分な装備だな」
「ナリタンの猟師組合で、道具屋のおじさんにアドバイスをもらって揃えました」
「そうか、それはいい事だ」
「……はい。ぱく、ぱく、ぱく、ごく、ごく、ごく」
落ち込んでも食欲は止まらない、狩りの後はお腹が空くのだ。シフォンケーキと生クリームと紅茶の組み合わせ、神である。
「今日、死にかけたのは何故だと思う?」
「はい、弾薬をケチったのが悪かったと思います。初めから、AA12の専用小型榴弾を惜しみなく使っていれば勝てました」
「そうだな、それも1つの手だ。他には?」
「手榴弾も使うべきでした、費用対効果ばかり考えて使用を躊躇しました。その結果があれです」
太郎パパは腕を組んで難しい顔をした。
花子ママも真剣な顔をしている。
ツシマは答えを間違えたかと、不安に思う。
「他にはないか? それだけか?」
「他ですか? えっと、」
三葉が言葉に詰まるツシマを心配する。少し体を寄せて、肩を付ける。そして、テーブルの下で手を握った。
「あっ、」
「ん? なんだ?」
「いえ、なんでもありません」
「ツシマちゃんはわからんか? 猟師に大切なアレを思いつかないか?」
「大切な、アレ?」
太郎パパが珈琲に口をつけた。少し冷めたそれをゴクゴクと飲み下し、カップを置く。
「逃げる事だ。猟師は常に逃げる事を考えなければならん。どんな時も、生きて帰る事を考えて、退路を確保しなければいかん。それが出来てこそ、本物の猟師だ」
逃げる。その言葉を聞いて、ツシマに生まれた感情は否定だった。
逃げて良いのなら、何故両親は死んだ?
逃げて良いのなら、何故あの日、仕事を断らなかった?
逃げて良いのなら、何故自分の下へ逃げ帰ってこなかったのか?
声に出さずとも、顔に出る。
「不満か? 納得いかないか?」
「いえ、そんな、」
「いい、答えは人それぞれ、絶対はない。ただ、無謀と勇気は違う。それはわかって欲しい」
「……はい」
「女の子がソロ猟師やってんだ、深い事情があんだろう、これ以上は止めとくか。なあ、お前」
「そうだねお前さん、遅くなる前に帰るかね。ツシマちゃんのご家族が心配するよ」
◇◇◇◇◇
帰りの車内。気分の晴れないツシマに、太郎パパが運転しながら言う。
「俺達は月曜から金曜までゴブリンダンジョンで狩りをしている。ツシマちゃんにやる気があるなら、旧ホームセンター防壁街からの送り迎えを毎日しても良いぞ」
「え? そんなの、悪いです」
遠慮するツシマに、三葉がぎゅ! と、抱き着いて、
「悪くないよ! そうしなよ! 私、ツシマちゃんとお友達になりたい!」
「わ! ちょ、ちか、妊娠しちゃう!」
「「妊娠! なんだそりゃ!!」」
一郎と双葉の声が被り、笑い出す。
「え! だって、女の子とくっついたら妊娠しちゃいます! 大丈夫なのは家族だけでしょう?」
車内が「どっ!」と笑いに満ちた。
「ひーひー! お、女の子同士も大丈夫だよ、安心しな」
と、一郎。
「ツシマちゃん、俺と手、繋ぐ? 妊娠する?」
と、双葉。
「双葉あんちゃん、最低! 死んで!」
と、三葉。
「お前ら仲良いな。まあ、ついでだ。時間を合わせられるんなら、乗って行け。そうしろ」
「はぁ、はい」
「そうだ! ツシマちゃんは魔導ガラケー持ってる? 電話番号交換しよう!」
「魔導ガラケー、持ってない」
「ないの? なんで!」
「だって、使わないから。友達いないし」
「うそ〜! こんなに可愛いのに友達いないの!」
「いや、今はいる。たぶん、友達だと思う。ライルって奴と、そいつの妹のシャクティちゃん。あと、従姉妹は友達になるのかな?」
「その話、詳しく!」
信号も交通渋滞もない道路である。ナリタンの街まですぐに着いてしまう。短い時間であったが、会話は弾んでいた。
そしてナリタンの北側大門の前。
「また明日ね、ツシマちゃん! 魔導ガラケー買ってね」
「「明日もよろしくな、ツシマちゃん」」
「はい、今日はありがとうございました。一郎さん、双葉さん、三葉ちゃん」
全員が下車して別れの挨拶をする。
夏の陽は高く、未だ明るいが、門の魔導投光器は既に辺りを照らしている。
3兄妹はすっかりツシマを気に入って別れを惜しみ、三葉などは手を握って体を寄せ、既にお友達距離であった。そんな様子をほっこりと眺めるパパとママ。
「ツシマちゃんの家は魔工技師のヒラタ工房だったのか。前に一度、整備を頼んだ事がある」
「良かったらまた、整備を任せて下さい。伯父さんは良い仕事しますよ!」
「ははは、そうしよう。ユージさんは評判が良いし、前の時も感じが良かった」
「じゃあまた明日ね、ツシマちゃん」
「はい、ママさん」
「戦って死にかけると、案外ストレスになるんだ。今日の事はご家族に話して吐き出した方がいい。そうすれば心が軽くなるし、それが家族ってものだから」
「はい、そうします。ありがとうございました」
どうせ明日も会うのだ。挨拶もそこそこにして、ナカムラ一家は帰って行った。ツシマは走り去るM113が見えなくなるまで手を振って見送る。結局、性別の誤解は解けないままだった。
自宅に帰り、心配していた家族に出迎えられて、夕食の席に着く。今夜のメニューは鎧猪の生姜焼き。
「おう、ツシマ。初めてのダンジョンはどうだった?」
伯父ユージの問いに、ツシマはその日の出来事を包み隠さず告白した。
「と、言う感じで、ナカムラ一家に助けられました。明日以降もお世話になります」
「馬鹿野郎、油断し過ぎだ。パパさんの言う通り、何でもかんでもとにかく逃げろ」
ユージの言葉にヨモギもライルもシャクティも賛同する。
猟師は危ないとか、1人は危ないとか、ツシマを心配してくれるのは理解出来るが、猟師業に否定的な言葉は聞きたくない。その話題は反論せずスルーする。
「M113のナカムラ一家なら覚えてる。確か5年前に一度うちで整備したんだ。その時はパパさんとママさんと長男だけだったな」
「凄く良い人達だった。末っ子の女の子が三葉ちゃんて名前で、俺と友達になりたいって言ってくれた」
「女の子!」 ガタッ!
ライルが立ち上がる。視線が集まる。そして座る。
「兄ちゃんに女の子の友達か〜、私も会ってみたい」
「私も会いたいです! ヨモギお姉ちゃん、良いですか?」
「俺も! 俺も確かめたい!」(何を?)
「ツシマよ、明日パパさんに伝えてくれ、うちに戦車を持ってくれば代金は勉強させてもらうってな」
「うん!」
それから話題は魔導ガラケーへと移る。
「そういう事で、魔導ガラケーを買おうかと思う」
「え〜、いいな〜、私も欲しい! シャクティちゃんも欲しいよね?」
「欲しいですけど、お金が」
シャクティがチラリとライルに視線を向けた。
「ヨモギとシャクティちゃんの分は俺がお金を出すよ、いくらくらい掛かるのかな?」
魔導ガラケーは、最近急速に普及している携帯型万能端末である。メインは電話機能なのだが、カメラを筆頭に様々な機能が搭載されてとても便利な魔導具なのだ。ただし、電波の届く範囲が短く、高い障害物があるとすぐに途切れてしまう。平地における通信範囲は精々半径30キロ。
「家族割とかあるらしいよ? 魔導ガラケーも型落ち品なら無料になるのもあるって」
「ヨモギ、詳しいな」
「まぁね、友達で持ってる子多いし、欲しいと思ってたから」
「そうだったのか。伯父さん、どうして買ってあげなかったのさ」
「馬鹿野郎、家に電話があるだろう。そんな玩具みたいな物は自分の稼ぎで買うもんだ」
「は〜、私が家事手伝いをしてるのは、親に家事能力がないからなんだけど、友達は皆、何かしら仕事をして稼いでるのに」
「おう、それは、それだな、」
「私、来年で16歳だよ? 成人したら就職しないと、そしたら家の事はどうするの?」
「は、あ、それは、その、アレだ! 事務だ! 家で事務をやれ! 必要だったんだ! それが良い!」
「私、服装関係の仕事がしたいんだけど、子供の夢を親の都合で潰すのかな?」
「うぐっ!」
ヨモギは巧みに話題をずらし、誘導して、ユージから魔導ガラケー代を絞る取る事に成功した。その際、家族割を強調してシャクティの分のお金も確約させる。
ツシマは、そんな事をせずとも自分が全額出すのに。
と、考えたが、ヨモギの気持ちとしては、家事は立派な労働であり、月々のお小遣いは報酬とは呼べない。従ってユージはヨモギに対して給料を支払うべきで、これはその前哨戦なのである。と。
食事が終わるとそれぞれバラけてくつろぎタイム。
ツシマはライルと共に、自分の部屋で昼間の戦いを振り返っていた。男同士、そして猟師として死線を経験した者同士だから通じる話もある。
ツシマはベッドで可愛い系キャラクターのクッションに頭を乗せてうつ伏せで寝そべり、ライルは隣に座る。ジュースと軽くお菓子を食べながら、床ではみっちゃんがクワカブゼリーを舐めていた。
「だからさ、あの時突っ込まずに一旦引いて、戦術を練るべきだったんだ。あそこのダンジョンはそれが出来るんだからさ」
ツシマは逃げるという行為に、自分なりの折り合いをつけて納得しようと努めていた。本人が明確に意識していなくても、過去の出来事は両親を奪った理不尽な収奪として強く心に影を落としている。ただ逃げるのは許されない。そう考えないと、両親が自分を軽視して逃げなかったと感じてしまうから。
「勝てる装備があるなら確かにそうだ。でも、相手の戦力がよく分からないなら、逃げるのが1番かもしれないな」
「逃げて? その結果、誰かが死んだらどうする? 家族とか」
「それは、なんとも言えない、分からない。ミドルポイズントレントの時も、ツシマは逃げずに俺を庇ってくれた。だから、こうして生きている。すぐに答えは出せないな」
「だろ、猟師は逃げたら駄目なんだよ。俺達は魔物から人を護る戦士なんだから……」
クッションに顔を埋めてダンジョンでの戦いを思い出すと、ブルリと体が震えた。あの時、コンマ数秒の差で死んでいたかもしれない。ゴブリン達に押しつぶされ、引き裂かれて、最後は胃袋に収まる。
その後、家に帰らない自分を、家族はどう思うのだろう。
数日経って死亡認定されて、それからヨモギや伯父はどうなるのだろうか?
やはり、悲しむだろうか?
涙を流して、自分の名を呼ぶだろうか?
遺体のないまま葬儀を上げて、それから沢山時間が流れて、自分がいない世界。もし恐ろしい魔物が襲って来たとして、皆はその後……
死ねば、何も分からない。
伯父ユージが、ライルに言った言葉が脳裏を過ぎる。
◇◇◇◇◇
思考が沈む。眠くなって来る。
その時、ライルの手が肩に置かれた。
ツシマは顔を上げて、コロンと仰向けに直り、ライルと目を合わせる
「疲れたのか?」
「んーん、別に」
「考えすぎじゃないか、俺は一回死んだけど、特になんともないぜ」
「確かに平気そうだな。三途の川とか、見た?」
「ああ、何かを見た気がする。とても言葉で表現出来ない綺麗な何かを見た」
「なにそれ、こわ! 詳しく!」
「言語化が凄く難しい、俺の頭じゃ無理だ、でもツシマの香りとあの時見た綺麗なモノは似てる」
「やめろ、怖いだろ」
「ちょっと、嗅がせてくれ」
「あっ、こら!」
ライルはベッドに寝そべるツシマに覆いかぶさって、耳の匂いを嗅いだ。両手をツシマの両手に上から重ねて、動けない様に束縛する。
「ちょ、くすぐったい、やめ、あ、」
「ツシマの匂い、凄く甘くて好きだな」
耳たぶへ唇をつける。軽く噛んで、舌を這わせる。
「はぁ! ちょ、まじ、やめ、あぁ、はん、あ、」
「こっちはどんな匂いかな?」
次は首筋。匂いを嗅ぎながら、何度もキスをする。
「だ、め、だって、やめ、ろ、キモ、キモ、い、ば、かぁ〜!」
ライルの大人ライルが、ツシマのくびれたお腹にグイッ! と押し付けられた。
それは小柄なツシマには凶器であって、おへその溝にグイッグイッ! と何度も圧迫を受ければ暴力である。
だがそれは、深い想い故の暴力。
そして、ツシマが拒否をしない暴力。
「いった、お腹、当たってる」
「悪い、でも、我慢出来ない」
「我慢って、なに?」
「キスするけど、いいよな」
許可を求めているフリをして、実際は唇がほぼゼロ距離。
ツシマの口が半分開いて、拒否の言葉を紡ぐ。
とても無意味で嘘に満ちた拒絶。
「やだ、気持ち悪い」
「うん、俺は変態だから」
「するの?」
「する」
「あ、」「ん、」
唇が触れ合う。
最初は優しく、撫でるように。
徐々に激しく、舌も入れて、互いの口内で絡み合う。
「ふ、ふぅ、ん、ん、はぁ、ん、」
「ふぅ、う、ツシマ、ふ、ん、ツシマ、」
「ら、らいるぅ〜♡」
◇◇◇◇◇
「と、言う事に、今はなっているはず!」
「流石です! ヨモギお姉ちゃん!」
ヨモギとシャクティは、ツシマの部屋の前で妄想を膨らませていた。そうだったら良いのにな、と期待を込めて、これから突撃するのだ。
「遊びに来たていで、部屋に飛び込むんだよ。あくまで無邪気に、なにも知らぬ風に」
「はい! コーチ!」
「ノックはしない、相手に隠蔽の隙を与えては駄目!」
「はい! コーチ!」
「いざ! ゆかん!」
「はい! コーチ!」
ヨモギがドアノブを握り、勢い良く扉を開ける。
目の前にはきっと、捗る光景が広がっているはず。
「ばーん! 兄ちゃん! 皆でトランプしよ〜!!」
「お兄ちゃん、御用だ〜!!」
2人は特殊部隊並の素早さでツシマの部屋へなだれ込んだ。そこに目当てのものがあると信じて。
強襲とは、相手に反撃の余裕を与えてはいけない。
最初の衝撃で意識を停止させなければいけない。
目的を達成するために、躊躇してはいけないのだ!
「あ、ヨモギちゃんとシャクティ」
悲しいかな、そこには2人の求めるモノはなかった。
ベッドの上には、うつ伏せでキャラクタークッションに顔を埋めて寝落ちしているツシマ。ベッドの下では床に座り、お菓子を食べながら漫画を読むライル。机の上のみっちゃんは、微動だにしないのでたぶん寝てる。
「遊びに来たのか、でも、ツシマ寝てるから静かにしてくれ」
ライルが静かに冷静に簡潔に、そう言うだけである。
「そうなんだ、兄ちゃん疲れたのね。うん、そうか。シャクティちゃん、私の部屋で遊ぼうか?」
「……はい、コーチ」
〈純氷〉の2巻を世に出すには、捗りがまだ足りない。
◇◇◇◇◇
2人が去った後、ライルは部屋を片付けて、自室に戻る事にした。いつまでもツシマの部屋にいても仕方がない。電気を消してゆっくりと休ませたい。そう、想っての事である。
ライルは部屋を出る前に、ツシマの寝顔を覗き込む。
その寝顔は、まるで幼い少女のような、見る者の庇護欲を掻き立てるような、同時に独占欲を掻き立てる。そんな表情をしていた。
「ヨダレが垂れてるな」
ツシマの口から一筋のヨダレ。
ライルはヨダレを拭かねばと思った、このままでは良くないと。そしてその方法は、アレだった。
熟睡するツシマの唇に、自分の唇をそっと近付ける。
舌を出して、ペロリとヨダレを舐め取る。
「ん、んぅ、」
「……ツシマ」
そのまま唇を重ねて、キスをした。
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それは、犯罪です!
ライルはヨモギやシャクティの想像を遥かに超える、禁断のステージに脚を踏み込んでしまった。