20話 魔物賞金首ミドルポイズントレント①
空をどんよりとした黒い雲が低く覆っていた。
月が変わり6月。梅雨の季節に入り、雨の降る日が増える。
4人組で初めてカラオケに行ってから2週間が経った。
ツシマとライルは変わらずインバー沼で狩りをしている。
チームは組まず、かと言って別々に行動するわけでもなく、友人として一緒に行動している。
2週間の間で、2人には幾つも嬉しい出来事があった。
1つ目。ツシマが早々にDランク猟師に昇格した。
Dランクの魔物を100体猟師組合に納品して、素行の良さも申し分なく、昇格手続きはアッサリとしていた。
ツシマの担当になりつつある知的金髪受付お姉さんが、
「おめでとう。“ソロプレイ”でのDランク昇格最速記録は歴代5位よ。凄いわね」
と祝辞をくれる。
ちなみに、歴代3位はツシマの母ユリ。父イサムは初期からチーム活動していたのでソロランクは関係ない。
これは本人のやる気だけではなく、アイテムBOXの有無が大いに関係しており、初めから良い装備を持っている方が断然有利。
1位と2位と4位は一流猟師の2世や3世である。つまり、幼い頃から狩りの英才教育を受けて、装備も高ランクの物を与えられて猟師になったのだから、記録を持つのは当然なのだ。
昇格した次の日、お祝いとしてライルからカブトムシをかたどった可愛いヘアアクセサリーをプレゼントされた。男にヘアアクセサリー? と微妙な贈り物であるが、カブトムシは大好きなので不快ではない。
自宅でも、ヨモギが夕飯でツシマの好物ばかりを並べてささやかに祝ってくれる。伯父ユージとヨモギは、成長するほど離れて行くであろうツシマに複雑な想いを抱きながら、猟師を続ける事を否定はしない。その気持ちが嬉しい。
2つ目。ツシマの愛しいバイオクワガタ幼虫が蛹になった。
ある朝目覚めると、幼虫はその体をまっすぐに伸ばして前蛹になっていた。これは蛹の前段階であり、前蛹の後、頭がパッカリと割れて蛹が現れる。
朝に前蛹となり、夕方狩りから戻ると蛹になっていた。
残念な事に、神秘の瞬間は見逃してしまったのだ。
ツシマは喜びと悔しさと、ごっちゃになって涙を流した。
「くっそ! 嬉しいけど、悲しい! 蛹、超可愛い! こいつはなにクワガタだ!」
本棚から図鑑を取り出して、クワガタの種類を調べる。
クワカブは、幼虫の段階で種類を特定する事が大変難しい。
例えば、オオクワガタ属とミヤマクワガタ属程の違いがあれば、専門家なら分かるだろう。けれど、オオクワガタの幼虫とグランディスオオクワガタの幼虫を見分ける事は出来ない。
ヘラクレスオオカブトの幼虫とヘラクレスリッキーの幼虫を見分ける事も出来ない。種類の近しいものは、幼虫段階では見分けがつかないのである。
しかし蛹になれば話は別。近縁の亜種やメスでない限り、種類を特定する要素は蛹の段階で十分に表れている。
ツシマはバイオクワカブ図鑑の蛹一覧を食い入る様に、目を皿にして調べた。
「こ、コイツは、タランドゥスオオツヤクワガタだ!」
「なになに、タランドゥスオオツヤクワガタは、黒く光沢のある体を持った大型のクワガタです。大顎による攻撃もさることながら、幾つもの魔法も使いこなす強力なクワガタです。レア度星4つ。だって! やった〜!」
バイオクワカブのレア度は星1〜星5で分けられ、星の数が多い方が強いクワカブである。ちなみに、星5の種類は存在しない。星4のユニーク個体が星5のクワカブである。
「ここから成虫になるまで約3週間。1週間の成熟期間を経て、餌を食べ始めたら戦いに連れていけるのか〜」
クワカブには、成熟期間と後食というものがある。
蛹から羽化して成虫になっても、すぐに大人になるわけではない。外見が整っても内臓は未成熟であり、全ての準備が整うまでを成熟期間。餌を食べ始めて成熟完了の合図が後食である。成熟期間の間、弄くり回してはいけない。出来るだけ刺激を与えず、じっくりとその時を待つのだ。
「猟師組合の道具屋でクワカブゼリーを買っておかないと、うふふ」
3つ目。ツシマ、ライル、ヨモギ、シャクティの4人は日曜日のたびに集まって遊んだ。
最初は顔合わせのカラオケだった。
次の日曜日はツシマの家へ招待して、声が枯れるまで沢山おしゃべりをした。ヨモギとシャクティは女同士、ヨモギの部屋で何かをしている一幕もあったが、大体ツシマの部屋で語り合った。それだけで楽しかった。
この前の日曜日はゲーセンとカラオケ。レディース割り引きのためにツシマは再びゴスロリ女装。似合い過ぎてむしろそちらが本当の姿ではないかと思う。ツシマも嫌々ながら、ライルの事情を知ってしまった手前、嫌とは言えない。3割引きは大きいのだ。
今や4人は大の仲良し。友達とは、こうも一緒にいるのが楽しいものかと胸が弾む。
最後。ライルがついに防具の重要性を理解して、ボディーアーマー2型を新品で購入した。トカレフ拳銃とボディーアーマーとで、ようやく最低限の装備を揃えたわけだ。加えてDランク昇格も間近に迫っていた。
ツシマはライルとチームを組まない、当然協力して戦う事もない。ただし、友達として別の協力は出来る。
ツシマはアイテムBOXを持っている。お陰で荷物の持ち運び問題から解放されている。なので、誰かの荷物を持って帰れる余裕がある。
ライルの事情を知ったツシマは次の日から協力を申し出た。使わなくなった自分の大型リュックを渡し、その分の素材は自分が運ぶと言うのだ。
アイテムBOXを持たない猟師のネックは荷物の運搬である。時にはトンに達する魔物素材をどう運ぶのか、それが大問題になる。猟師組合に回収を依頼する手もあるが、その場合は高い手数料を取られてしまう。
ライルの場合も、せっかくインバー沼まで来て、1日の収入は自分で運搬可能な重さまでと制限が掛かってしまう。それは狩れる魔物の最大数よりずっと少なく、多数の新人猟師がDランクに昇格するのに時間が掛かる理由でもある。
ツシマは今まで、自分のアイテムBOXが一杯になると先に走って帰っていた。けれど今は、ライルの大型リュック2つが一杯になるまで待ち、2人で一緒に武装野バスに乗って帰り、猟師組合で換金する。その甲斐あって、ライルの収入は倍に増え、防具も買えて、シャクティの入学資金も現実味を帯びて来た。
友達の目標が実現する。それはまるで、自分の喜びの様でもあり、ワクワクするのである。
◇◇◇◇◇
「ライル〜、雨が降りそうだからそろそろ帰ろうぜ〜」
ツシマは葦原を掻き分けて、ライルの陣地へ声を掛けた。
空には黒い雨雲が、今にも雨を降らそうと待ち構えている様に見えた。インバー沼は湿地帯が多いので、雨が降ると危険度が増す。時間的にも夕方近く、ライルの大型リュックも一杯になる頃合いだろう。こんな日に長居は無用、雨にやられる前にバス停に避難したい。
耳を澄ませば周囲の戦闘音も無くなっている。
他の新人猟師達も雨が降る前に切り上げたのだろう。
「待たせて悪い! 荷造りは終わった、行こう!」
ライルが葦原を掻き分けて、子犬の様な笑顔でツシマの下へ。ツシマは笑顔を返し、リュックの1つを受け取りそれを背負った。
「少し降ってきた。ライル、急ごう」
「ああ、天気予報通りになった。ナリタンの魔法天気予報士は優秀だな」
ポツポツと、雫が葦を叩く。
ツシマのヘルメットのバイザーにも雫が垂れる。
数分後には本降りとなるだろう、急がなければ。
そう考えた時、ツシマはインバー沼の方角に奇妙な木があるのに気が付いた。
高さは5メートル強、頂上部に緑の葉が良く生い茂り、幹から2本の枝が伸びて、先端にだけ葉を茂らせている。
おかしな事に、木の大きさに対して枝は2本だけ。
それはまるで人の腕の様で、下半分は葦原に遮られて見えないが、言い様のない違和感を感じた。
昨日まで。いや、さっきまで。あそこに木があっただろうか、と?
「ライル、あれ、あの木、変じゃない?」
「ん? どの木、あの木、なんの木?」
「ほらあれ、あの木、さっきまでなかった様な?」
「まさか、勘違いだろう。……まて、おかしいぞ、あの木、少しずつこっちに近付いてないか?」
「は、はぁ? 本当だ! こっち来る!」
「あ、あれ! まさか!」
「ライル、やばい、あれは!」
「「ミドルポイズントレント!!」」
2人の声が被る。
その悲鳴を合図にするかの様に、魔物賞金首ミドルポイズントレントが本性を現した。
「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ!」
「ツシマ、逃げろ!」
「ライル、こっち!」
2人は逃走を試みる。決して戦おうとは考えない。
何故なら高さ5メートルを超え、幹の太さが直径1メートルを超える生木を破壊する武器を持っていないから。
生木とは、人間の想像以上に頑丈であり、拳銃弾では表面を削る程度しか出来ない。勝てない敵とは戦わない、それが猟師の鉄則。
逃げの一択しかない。だが、
「雨で足が滑る! ツシマ、手を繋げ!」
「荷物が重い! いったん捨てよう!」
魔物素材が詰まったリュックと降り始めた雨が、2人の脚を鈍らせた。対してミドルポイズントレントは根の部分が脚となり、高速でこちらへ近づいて来る。その距離、既に至近。
後ろから「べっ!」と、何かが射出される音がした。
ライルが音に反応してしまう、足を止め振り返る。
「ぐぁぁ!!」
ライルの肉体を液体の塊が直撃した。衝撃で吹き飛ばされ、地面に叩き付けられて全身がずぶ濡れになる。ミドルポイズントレントの特殊技能〈毒液飛ばし〉である。幹上部にある、口の様な大きなウロから射出されたのだ。
「ライル、しっかり!」
ツシマが荷物を捨てて走り寄る。ライルの右腕を引いて立たせようとした。しかし、
「がっ! がっ! がふっ!」
「ライル!」
ライルは口から泡を吹き、痙攣していた。
ミドルポイズントレントの毒は皮膚からも吸収される、2型ボディーアーマーでは防ぎきれないのである。
ツシマはコルトガバメントを腰から抜くと、迫り来るミドルポイズントレントへ向って撃った。パン! パン! と連続して発射された弾丸は、幹表面の皮を削り、破片が周囲に飛び散る。しかし、それだけ。トレントの進撃は止まらない。
荷物が邪魔なのだ、それがなければ引き摺って逃げられる。
ツシマは急いでライルからリュックを剥がすと、首根っこを掴んで葦原の中にライルを引き込み身を隠した。
お互いに、目と音で獲物を探知しているのである。生い茂る葦の中で伏せていれば、やり過ごせるのではないか、ツシマはそう考えた。
案の定、ミドルポイズントレントはツシマ達を見失い、腕を滅茶苦茶に振り回して葦原を荒らし回っている。この隙にライルの治療をしなければならない。ツシマはライルのヘルメットを脱がした。
「がふっ! がぁ! ごふっ!」
ライルは白目を剥いて、意識も不明瞭であった。とても自力で毒消し薬を飲めそうにない。
「くそ! 待ってろ、すぐに飲ませてやる!」
ツシマは毒消し薬を自らの口に含む。
ライルの頰を両手で包む様に固定すると、そのまま唇を合わせた。
「ん、ん、ん」
「ふ、ふ、ふ」
「ぷはぁ〜、ライル、死ぬな!」
唇を離す時、テロンと糸を引いた。しっかりと飲ませるために舌を入れたので仕方がない事なのだ。口元をグイッ! と手で拭う。
「うがっ! げほ、げほ、げほ!」
「ライル! 大丈夫か!?」
「はぁ、はぁ、ツシマ、俺は一体?」
「ミドルポイズントレントの毒液飛ばしにやられたんだ。毒消し薬を飲ませたから安心しろ」
「そうか、また助けられたな、悪い」
「まだ終わってないぞ、礼なら後にしろ」
「ああ、わかった」
2人は伏せながら荒れ狂うミドルポイズントレントを観察した。2人を獲物認定したトレントは、周囲を荒らして探し回っている。どうやら諦めるつもりはないらしい。
「このまま伏せていてもいずれ踏み潰されるな。俺が囮になる、ツシマは逃げろ」
「馬鹿言うな馬鹿、絶対にライルを見捨てない、2人で生還するんだ」
「だが、俺達は雨のせいで速く走れない。トレントは脚の構造が違うから速いぞ、2人一緒だとすぐに追い付かれる」
「わかってる、でも嫌だ。いよいよとなったら俺が囮になる。ライルが逃げろ」
「馬鹿、ツシマ! お前の方が大切だ! 馬鹿!」
「馬鹿、馬鹿、言うなばーか! シャクティちゃんを悲しませるつもりか!」
「ツシマこそ、ヨモギちゃんが悲しむぞ! バーカ!」
「バーカ! バーカ!」
始まってしまった馬鹿戦争。その声で、ミドルポイズントレントが2人の位置を特定する。
「やばい、馬鹿!」
「ツシマのせいだぞ、馬鹿!」
「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ!!」
ミドルポイズントレントの脚は複雑に分岐した無数の根が、ワシャワシャと激しく動いて高速移動を可能としている。肉体のバランスは非常に安定しており、雨でぬかるみ滑る地面も物ともしない。一呼吸の間に距離を詰めたトレントは腕を振り、下から掬い上げる様に2人を薙ぎ払った。
「ツシマ! ぐぁぁ〜〜!!」
「くぅぅぅぁ〜〜〜!!!」
ライルが咄嗟にツシマの体を抱き締める。
その状態で空中に投げ出される2人。
放物線を描き、やがて重力に引かれて2人の体は数メートル先の地面に叩き付けられた。ライルを下にして。
「かはぁ! あ、はぁ!」
「ライル! ライル! ライル!」
「に、逃げろ、ツシマ」
「いやだ!」
ミドルポイズントレントが、腕を振り上げて再び迫る。
ツシマは拳銃を構えてトレントを撃った。
マガジンが空になるまで撃ち、再装填、射撃、再装填を繰り返して予備マガジンが尽きる。それでもトレントは止まらない、ダメージもほとんどない、ツシマはライルをギュッ! と抱き締めて、死を覚悟した。