工場の扉の先の異世界〜何でも屋の初仕事〜
久々に書いた短編です。
是非お読み頂けると幸いです
ある日突然、伯父が亡くなった。
突然の事でバタバタしている葬式の席で、遺言書が読み上げられた。
そこで突然、28歳の俺が伯父の後継に指名されてしまったのだ。
俺の名前は四海正宗。
ものづくりは好きだが、まさか町工場の社長になるなんて考えた事もなかった。
「正宗はものづくりが好きだから、オジサンの工場で働いてみたらどうだ?」
と言われて、大学の時アルバイトをはじめ、そのまま就職して、まだ6年目。
確かにオジサンの会社で働いているのは親族の中で俺一人だが、荷が重過ぎる。
でも、辞退しようとしたら親族から「社長は正宗しかいない」と押し切られてしまった。
俺が継ぐ事になった会社は祖父が起業し、伯父が継いだ。
現在は工場が2箇所ある。
第一工場は小さく、社員は30人で町工場の様相を保ち、古くからの社員が多くアットホームだ。
ここに本社を置いているが、小さな事務所しかない。
それに比べて道路を挟んで向かいにある第二工場は規模が大きく、社員は200人いて、ここに経理や総務などが入るビルもある。
仕事は主に大手の下請けだが、オーダーメイドの機械も受注生産しているかなり大きな会社だ。
「伯父さんの一人娘のユズキ姉ちゃんが後を継ぐんじゃなかったのか?」
オヤジに聞いてみる。
「ユズキちゃんは15年前から行方不明なんだよ。もしも見つかったら今頃は35歳だ。どこでどうしているやら。行方不明の人に工場は託せないからな」
「まあそうか。確かにいない人に託せないな」
「ユズキちゃんがいなくなったのは大雨の日だった。20歳の誕生日を迎えてすぐだったよ」
「確か、大学の工学部に通っていて、剣道部だったのは覚えているよ」
「あの時、政宗は13歳だっから覚えているだけでも偉いよ」
「忘れないよ。綺麗でかっこいい姉ちゃんだった」
ユズキ姉ちゃんは、アイドルみたいな可愛い顔をしていて、大学のミスコンのファイナリストだった。
そんな見た目から想像できないくらい強くて、剣道は有段者、インターハイではベスト8に入っていたし、他にも空手をやっていたのも記憶にある。
俺の知っているユズキ姉ちゃんは、『この工場は私が後継ぎだ』って言っていたかっこいい姉ちゃんだったのに。
あれから15年か。
遺言の内容によると俺が引き継ぐのは工場に関わるものばかりで、それ以外はユズキ姉ちゃんが帰ってきた時のために維持して欲しいと書いてあった。
「はい。これが遺言書に入っていた手紙です。中を読んだら、この同意書にサインをお願いします」
弁護士から受け取った手紙には鍵が同封してある。
「俺もこの第一工場に勤めているんだ。責任者として施錠する事もある。鍵くらい待ってるよ」
「手紙をお読み頂ければ何の鍵かわかりますよ」
手紙を読んでみる。
〜〜第一工場に関して守らなければいけない事〜〜
この注意書きに関しては、会社を起こした四海寅之助が決めた事である。
必ず守り引き継ぐ事。
その1、宿直室にある電化製品や家具は壊れたら必ず入れ替える事。放置してはならない。また、異変がないか毎日チェックする事。
その2、宿直室の天窓はどんなに雨が降っていても台風でも閉めてはならない。
(つまり、年中開けっぱなし)
その3、勝手口と裏のシャッターは開けてはならない。ただし、どうしても開ける必要が出来た時は、宿直室の窓が空いている事を確認し、正面のシャッターやドアを閉め鍵をかけてから開ける事。
その4、勝手口や裏口のシャッターは壊れたら必ず直す事。封鎖してはならない。
その5、宿直室には、社員の人数分×5日分の非常食や水を準備しておく事。
その6、遺言時に渡した鍵は、裏の勝手口の鍵である。肌身離さず持つこと。決して紛失したり、盗まれたりしてはいけない。
この決まりごとを破り、災が訪れた場合、長く苦しい旅に出る事になるだろう。
〜〜〜〜
なんだ?この不思議な内容は。
会社の運営に関しての事は何一つ書かれていないじゃないか。
そもそも、裏口の必要性を全く感じないのに、何故裏口の事しか書かれていないんだ?
俺が引き継ぐ工場は大きな国道沿いに建っていて、二階建てのオフィスと工場があり、その二つの建物は短い渡り廊下で繋がっている。
奥行きの長い工場で、正面には大きな搬入口があり、こちらしか利用していない。
オジサンがしきりに気にしているのは、軽トラが出入りできるくらいの裏の搬入口と、宿直室から外に出られるようになっている裏口だ。
そのどちらもが小川に面しているから利用価値はない。
もしかして、じいちゃんの時代には川から何かを搬入していたのかな?
しかし、川幅3メートルくらいで水深も浅そうだから船で何かを運んだとは考え辛い。
この使い道のない搬入口の右横には、勝手口の扉がついており、反対横には宿直室がある。
何の利用価値もないから、誰も気にも止めないし、シャッターの前にも勝手口の前にもダンボールが詰んであり、もはや意味をなしてない。
それに消防に定められた避難通路は別にあるから、この裏口は本当に何のためにあるのかわからない。
「お読みになりましたか?ではサインをお願いします」
この全ての約束を守る事にサインが必要らしい。
もしも破ったらどうなるか保証ができないだなんて。
オジサンは大袈裟だなと感じたが、遺言にサインをするという事は故人との約束になる。
だから約束を守る事にした。
引き継いだ書類には会社運営に関しての事が事細かく書かれたファイルがあったし、社員は皆優秀だから助けてくれている。
経理や会社運営に関してのファイルもあったが、オジサンはいつも決算前のチェックの時、俺を同席させていたから、多少なりともわかっているし、困ったことはない。
このファイルにまとめるのは大変だっただろうが、きっとオジサンはユズキ姉ちゃんが戻ってきた時の為に、会社運営についてのファイルを作ってあったのだろう。
もちろん、あの遺言に関する細かい指示が書いてあるファイルもあった。
遺言を守って毎日宿直室のチェックをしている。
会社を継いでから初めて入ってみたのだが、驚いた。
マンションの一室が引っ越してきたんではないかと思うくらいなんでも揃っていたのだ。
宿直室だというのに、応接室と居住用の部屋とに分かれているし、トイレと風呂がある事だ。
トイレなら、工場にもあるのに。
応接室には大航海時代のような地図が掲げてあり、調度品は古代文明の出土品のような物が並べてある。
それとは全く雰囲気が違うのは。居住用の部屋だ。
こちらにはおしゃれな家具屋にあるようなダイニングテーブルや、ソファーが置いてあってリビングさながらだ。パーテーションに仕切られてベッドまである。
キッチンは普通の家庭並みの広さで、家電は全て揃っているが、どれも真新しく、使った形跡がない。
全ての家具がキングサイズなので、身長168センチのオジサンが何故こんなに大きなものばかりを揃えてあるのか不思議でたまらない。
初めのうち、誰も使用していない部屋を毎日チェックするのは馬鹿みたいにだと思ったが、芝さんが俺を見て「寅之助社長の姿に重なるなあ」と言った。
芝さんは爺ちゃんの時代から社員として働いており、この会社の生き字引だ。
年齢は72歳。
とっくに引退してもいい年齢だが、機械設計に関しては発想力が人並み外れているから、今でも在籍してもらっている。
「爺ちゃんの時代からここに宿直室が?」
「あったよ。ずっとこの場所だ」
「オジサンも毎日点検を?」
「ああ。もちろんだ」
芝さんはニヤッと笑った。
「なんで毎日チェックする必要が?」
「さあ、俺にもわからん。もしかしたら、経理の塚辺さんなら知ってるかもなぁ」
塚辺さんというのは、やっぱり昔からいる経理のおばさんだ。
芝さんの話によると、備品の管理などもしているから、宿直室の備品を経費処理する関係で知っているだろうと言われた。
しかし、聞いてみたが「さあ。知らないわ。宿直室には社長しか入れないし、備品も社長のポケットマネーで買ってたのよ」と言われた。
謎は深まるばかりだが、バブル崩壊もリーマンショックも乗り切って不況知らずなこの会社の礎を作ったのは爺ちゃんだ。
その爺ちゃんが決めた朝のルーティンは開運のためなのかもしれない。
深く考えずに行おう。
こうやって何事もなく穏便に半年が過ぎた。
そんなある日だった。
仕事中に突然雪が降り出したのだ。
普段から雪が降らない地域で雪への備えがないのに、溶けずに降り積もっていく。
窓の外を見ると、強い風で雪が激しく舞っていた。
「工場を止めて帰宅するように」
季節外れの大雪か。
全員に通達を出して、俺はこれからの天候の変化に備えることにした。
ここでふと、宿直室の開けっぱなしの窓が気になった。
オジサンの遺言には窓は閉めちゃいけないとあったが、この大雪だ。
流石に開けっ放しはまずい。
そう思いながら、事務所に行くと、古株の芝さんと、溶接が得意な33歳の駒沢さんと、アルバイトの大学生の二石くんが何やら話している。
全員が家まで30分以上かかるから、この雪の中帰るのが怖いという話をしていた。
「正宗、この雪じゃ俺たち帰る前に事故にあっちまう。しばらくここで様子を見させてくれ」
芝さんが言う。
通常で30分かかるなら、この天気だと1時間はかかるだろう。
「事故ったら元も子もないから、しばらくここにいればいいよ」
「帰れないし、暇だし正宗の仕事を手伝おうかな」
駒沢さんが言った。
「やる事はないよ。工場の暖房は切ってしまったから冷えてきたな。みんなで事務所でも行かない?」
俺の提案に皆難色を示す。
「事務所を汚すと経理の塚辺さんがうるさいだろ?他のところにしようぜ」
駒沢さんがそう言って、皆が同調した。
とりあえず喫煙室に移動する。
しかし、パイプ椅子ではくつろげないが、雪は先ほどよりも激しく降っているから、確実に帰れない。
「コンビニでも行ってくるか。食いもんもないし」
「確かに、なんかあったかいもん食いたいな。電気ポットはあるけど、他に暖を取る食べ物はないからな」
「カップ麺でも買ってきますよ。欲しいものありますか?」
一番若い大学生の二石くんが名乗り出てくれたのだ。
マジ凄い。
「この寒い中行ってくれるなんて有り難い」
二石くんに希望を託して、皆で事務所の出入り口まで来た。
「うわ!40センチは積もってる!どうなってるんだよ」
駒沢さんの言葉で二石くんの心がボキッと折れた。
「俺、無理です。雪の中なんて歩いた事ないし、この吹雪じゃ5分先のコンビニ行く前に遭難しますよ」
全員項垂れながら中に戻る。
「これは、宿直室に行くしかないか」
俺がボソッと呟くと、
「宿泊室って何?初めて聞いたぞ」
駒沢さんが食いついてきた。
「駒ちゃん知らないの?初代の頃から宿直室があるんだよ。ワシは、歴代の社長が入っていく姿しか見た事ないから、中には何があるのかは知らんがな」
芝さんが、昔を思い出すかのように遠い目をする。
「そんな部屋があるなら早く案内してくれよ」
駒沢さんは震えながらキョロキョロした。
「ところでどこにあるの?」
俺は三人を案内することにした。
遺言には『誰も入れてはいけない』とは書いてなかったから大丈夫だろう。
そもそも、宿直室はいざという時に使う物なはずだ。
「じゃあこっちです。注意事項を先に言いますが、窓は閉めない事。遺言で閉めてはダメだってなってますから」
「それじゃ寒いじゃないか」
「併設された応接室は窓がないし、ドアを閉めればきっと暖かいですよ」
「わかった。それなら早く連れてけよ」
震えながら駒沢さんが言ったので、皆を連れて工場の奥へと向かう。
避難通路としてしていされている非常口の前を通り、さらに建物の奥へと進む。
古いオフィス用品が収められている倉庫の横にあるのが宿直室の扉だ。
「こんなところに宿直室が?入り口から遠すぎませんか?なんのためにあるんすか?」
二石くんの言葉に駒沢さんも頷いた。
「ここは単なる倉庫だと思ってたから入った事なかったよ。芝さんは知ってたんすか?」
「もちろんだよ、駒ちゃん。この先に入った事はないけどね。だから、正宗、さっさと開けてくれ」
部屋に入って電気をつける。
「おおー!すげえな」
駒沢さんは、早速ソファーに座った。
「ここ、本当に誰も使っていない部屋なんすか?俺ここに住みたいっすよ」
「おいおい、二石ちゃん。ここから大学に通うには遠すぎでしょ」
「そうなんすけど、誰も使ってないんすよ?勿体無い」
みんなの会話を聴きながら、俺は大きな違和感に襲われた。
上を見ると、この宿直室の天窓は空いている。
つまり外気が入ってきているのに寒くない。
外は雪で吹雪いているし、この部屋はまだ暖房も使っていないから、凍えるくらい寒いはずだ。
でも、全く寒くないのだ。
「窓は閉めちゃダメだって話でしたけど、今日は例外という事で閉めちゃいましょうよ?」
二石くんが、天窓の開閉システムに手を伸ばした。
「それは絶対ダメ。今寒くないからいいでしょ?開けておいても。それに何があっても窓は開けておく事っていうのがオジサンの遺言なんだ」
「社長はマジメですね」
「そうだよ。正宗は真面目だよ?だからこの若さにして次期社長に指名されたんだよ」
芝さんがニヤリと笑う。
そんなやりとりを聞きながらエアコンをつけて、キッチンのシンク下の収納扉を開けて、やかんを出す。
「非常食にカップ麺があったはずなんで食べますか?」
「お!非常食まであるのか?」
「オジサンの遺言で、全社員×5日分準備してあるんですよ。寝袋も沢山ありますよ」
押入れのように見える扉を開けて室内を見せる。
そこには金属の棚が設置してあり、種類別にダンボールに入った非常食と水、そして寝袋が並べられていた。
「初代社長の時から宿直室はあったんですよね?だって棚の上に『米』とか『味噌』とか書かれてますもん。昔、何か災害があって、この部屋を作ることにしたとか?」
「いやー。ワシは初代社長の頃から勤めているが、そんな話は誰からも聞かなかったぞ。それに初代社長の時から、この部屋は社長しか入ってはいけなかったからなぁ」
二石くんと芝さんの会話を聞いて、駒沢さんが笑う。
「みんな考えすぎ。ただ単に、心配性だったんだろう?とりあえずカップ麺出そうぜ?腹減りました」
駒沢さんは倉庫のダンボールからカップ麺を人数分出して部屋に戻り、テレビをつける。
ちょうど大雪のニュースが流れてきた。
「しかしすげー雪だな。俺、33年間生きてきて、こんな雪降ったの初めてだよ」
「駒ちゃん、この街の出身だから雪あまり見た事ないんだね。50年くらい前にばーっと降った事は記憶にあるけど、こんなに積もった経験はないなぁ」
「芝さん70年くらい生きてきて初めてなら、相当レアですね」
ラーメンを食べながら他愛のない話をしている時だった。
ドンドンドンドン
鍵を開けてはいけないと言われている勝手口を、外から誰かが叩いている。
みんなの動きが止まった。
「この後ろって小川しかありませんよね?」
「わざわざこの大雪の中、会社の裏口まで誰かが入って来れるか?」
「そりゃ無理だよ。きっと倉庫の屋根雪でも落ちたんだよ」
二石くんと駒沢さんが驚いている中、芝さんは冷静だった。
ドンドンドンドン
話している最中にも音がする。
そしてドアノブがガチャガチャと動いた。
「雪じゃないよ。誰かいるんだ!この寒い中、なんでこんな場所に?」
大きな工場の裏で、この先は川幅3メートルの小川しかない。
もしかして小川が雪で埋まってしまってたどり着いた人がいる?
いや、現実的じゃない。
ここは工業団地だから、小川の向こうは、物流会社の倉庫になっている。
鍵を開けてはいけないと言われたが、これは例外なはずだ。
『勝手口を開ける時は、正面玄関とシャッターの鍵をかける必要があり、この天窓も空いている必要がある』
オジサンの遺言の条件を満たしている事を確認して、勝手口の鍵を開け、ドアを開いた。
ドアの前には女の人が立っており、その後は、一面の野原だった。
何だこれは?
「実は俺たち死んじゃってここは天国だとか?」
駒沢さんの声は震えている。
「まさか、ユズキちゃんそっくりな天使がお迎えにくるとはな」
芝さんはちょっと嬉しそうだ。
「待ってくださいよ。天使なら、なんで半分鎧の服着てるんすか?服は完璧に二次元のアニメみたいで好感もてますけど、僕のイメージする天使とは違いますよ」
二石くんがぼやいた。
俺には、ユズキ姉ちゃんがジーンズを履いて、半分鎧の服を着て立っている姿にしか見えない。
髪は腰まであり、毛先から20センチくらいは金髪だが、それ以外は真っ暗だ。
最後に見たユズキ姉ちゃんは、金髪のボブヘアーだった。
という事は、そこから髪が伸びたのか?
「芝さん、お久しぶりです。私の顔覚えてくれてて嬉しいですよ」
女性はニコッと笑った。
「本当にユズキちゃん?って事はここは天国?」
感慨深く語る芝さんの言葉に被せるようにして、
「違います」
とユズキ姉ちゃんは答えた。
「ここは、ウチツクニと呼ばれている。まあザックリ言うと異世界だよ。空には時折りドラゴンが飛んでいて、うさぎの掘った穴には意地悪なタンドタ人が住んでいて。街には狼族や闇族なんかもいるよ」
当たり前のように説明しているけど、全く当たり前じゃない!
「やっぱここって天国ですよね?ユズキさんって駒沢さんより年上なわけでしょ?でも、大学生くらいにしか見えない」
二石くんの言葉にユズキ姉ちゃんは笑い出した。
「時間の流れが違うのよ。ここの1年が、そっちの5年。私は3年この国にいるから…そっちでは15年経っているのよ」
「何?その二次元設定」
「私が決めたわけじゃないわ。そういう時間軸なの。で、私は芝さんしか知らないけど、他の人は?」
「俺は、従兄弟の正宗だよ。覚えてないかもしれないけど、ユズキ姉ちゃんがいなくなった時、俺は13歳だった」
「正宗!!ちっちゃくて大人しかった正宗!うわー」
「俺は、駒沢といいます。この四海工業の社員です」
「僕は二石。ここの大学生バイトです」
「私は四海柚月。そっちの世界の年齢でいくと35歳。ここの世界の年齢だと、23歳。ここでは狩人というか何でも屋をしているわ。ゲームの世界と違うから、冒険者なんて職業はないの」
「ユズキ姉ちゃん、言いにくいんだけど、オジサンが……」
「何よ?父さんなら、こっちに住んでるわよ?」
「はぁ?そんなはず…」
「ある日ね『仕事に疲れて引退したくなった。あとは正宗に任せる』って言って、こっちに来たの。父さんそっくりの人形を準備するのは一苦労だったわ」
「あのご遺体は、人形?」
俺たちは驚いて顎がはずれそうになった。
「この世界の人形師にお願いしてね。生身の肉体みたいだったでしょ。ほら、時間軸が違うから、お願いした時と、出来上がった時の父さんの年齢が違うでしょ?だから。父さんの髪型や体型を予想して発注するのは大変だったわ」
「どう見ても社長の亡骸だったぞ」
「ワシを呼んだか?」
そこにひょっこり社長が顔をだしたので、芝さんの腰が抜けそうになる。
「ワシは今からドワーフ村に旅立つ。そこで主任として働く予定だ。出発前、最後に工場を見ておきたいと思ってな。ここに来たら、電気がついていて、カップ麺の匂いもしたから誰かいると思ってな」
「工場の姿って?」
「天窓を開けたままなら、外に出ても大丈夫だぞ?」
そう言われて俺たちは外に出た。
そして振り返ると、そこには『四海工場』と書かれた、会社の小川に面した部分が大きな岩から突き出ていた。
勝手口と天窓、それから裏口のシャッターはかろうじて原型のままだが、他は岩にめり込んだように見える。
周りを見渡してみると、広い緩やかな坂道の草原がどこまでも続いており、丘の下には沢山の家がある。
そして遠くには海まで見えた。
「なんだこりゃ?」
あまりの非現実っぷりに言葉が出ない。
「宿直室の天窓を閉めると、このせり出した部分は現実世界に戻ってしまうから、絶対に天窓は閉めてはならないんだ。見つけられなくなる」
オジサンはそう言ってユズキ姉ちゃんを見た。
「私は3年前、天窓を開け忘れて、外に出てしまったのよ。窓を閉めて、勝手口も閉めてしまうと、空間が断絶されるみたいで。それでウチツクニから戻れなくなったの」
「つまり15年前だよね。この扉が異世界と繋がっていたのは知ってたの?」
オジサンと姉ちゃんは頷いた。
「何故、引き継ぐ時に教えてくれなかったのさ」
「正宗の父親である、ワシの弟はこの扉の事を知らないんだ。だから、もしもユズキのようなミスをして、正宗がいなくなったら、探しようがない」
「じゃあオジサンはユズキ姉ちゃんをこの世界で探したの?」
「ああ。行動力のある娘で困ったよ。冒険の旅に出たと言われてね。『一年は戻らん』と言われたら、元の世界じゃ5年を指す。本当に苦労した」
そんな話をしていたら誰かが丘を登ってきた。
身長2メートルくらいの屈強な男だ。
手には大きな四角い金属の箱を持っている。
「おーい。キミヒコ、ここにいたのか。ドワーフの村に行かずにここに残ってくれよ」
「そう言われてもなぁ。ドワーフからずっとスカウトされてたんだ」
「ところでその箱は?」
「これはジャガイモの皮を剥いて切ってくれる機械だ。数年前、キミヒコが作ってくれたが、毎日1000個以上のジャガイモを処理していたら壊れたんだよ」
「わかった。そのくらいなら直すがね」
「この街は、キミヒコが来てから凄く便利になったんだ。だからずっといてほしいんだ」
体が大きい割には、気弱で優しそうな人だ。
そのギャップに笑いそうになる。
みんなも同じだったようで、俺たちは肩を震わせて我慢した。
「キミヒコはこの国1番の技術者なんだよ。そりゃドワーフにスカウトされるけど、俺たちはキミヒコにこれからも指導してもらいたいんだ」
大男は膝をついてワンワン泣き出した。
オジサンはニヤリと笑うと、こっちを見た。
「ドルグ、そこにいる四人は俺の甥っ子と、教え子と、先輩だ。その四人がたまにここに来ると約束してくれたら、ここに残るよ」
いきなり矛先が向いて俺たちは顔を見合わせて後退りした。
何か大変な事に巻き込まれる!
「本当か?」
ドルグはこちらを向いた。
2メートルのイカつい大男の前で、俺たちは怖くて身動きが取れない。
「お願いします。たまにこの街に遊びにきてください」
ドルグは泣きながら、土下座のような格好で懇願してきた。
あまりの気弱ぶりにまた笑い出しそうになる。
「たまに来るくらい、いいんじゃないか?正宗」
芝さんが言った。
「そうですよ、僕賛成です」
二石くんはドルグさんの格好に興味津々だ。
「俺も楽しそうだからいいよ。鍵を持っているのは正宗だから、お前が決めないとな」
駒沢さんに言われて、俺は苦笑いした。
逃げられない。
「わかりました。たまに来ます」
俺の決断で、ドルグさんがさらに大泣きをする。
「ありがとう、本当に」
泣きじゃくる大男は立ち上がり、俺の手を握った。
握手のつもりだろうが、握りつぶされるのではとヒヤヒヤする。
こうして、奇妙な異世界を行き来する生活が始まった。
雪も止み、また日常が戻っ後、休みの日はこちらに来るようになったのだ。
俺たちは暇さえあればここに入り浸っている。
唯一の既婚者は芝さんだが、いつも一緒だ。
「カミさんは実母の具合が悪くて、今実家に帰って看病中だし、子供は都会に出ていっているから暇でな」
と言っては、酒を持ち込み、現地の人と酒盛りしたり、機械を直してあげたりと楽しんでいるようだ。
本当に別世界で、雪の国や、氷の国などがある。
妖精や、想像上の生き物が沢山いて、多種が混在して住んでいる。
夜は月が2つ出て、星は本当にウインクをし、波は歌うこの世界に来るたびに、ファンタジーってなんだろうって思う。
もう正解がわからない。
「夢の国も真っ青なくらい、すごいな。ネズミのキャラクターや、カーボーイのオモチャが生命を持って動き回るなんて、可愛らしいフィクションだ」
「確かにね」
海には人魚や海賊がいるし、森には蝶と一緒に妖精が飛び回っている。
この世界に来て、一番初めにあったドルグさんが、毎日1000個ジャガイモを剥くって言ってたけど、こちらのジャガイモは可愛くない。
土から掘り起こす時、暴れるのだ。
日光にあてるとおとなしくなり、そのあとは大丈夫なのだが、『いきのいいジャガイモ料理屋』という店はすごい。
こちらは夜掘り出して、暴れるジャガイモを料理するお店だ。厨房からジャガイモの叫び声が聞こえてくるが、これがびっくりするくらい美味い。
今までいた世界とは全く違うので、皆は休みの日のたびに来るのを楽しみにするようになった。
街の人から依頼が来る商品を作ったり直したりしながら、異世界を楽しんでいる。
そんなある日、ユズキ姉ちゃんが、無理難題を持ってきた。
この日は、オジサンが来て、芝さんと将棋を打っていて、あまり俺たちの会話には加わらないので、三人で持ち込まれた日用品を直していた。
「あのさー。1つ頼まれて欲しいのよ」
ユズキ姉ちゃんが歩いて丘を登ってきた。
「今ね、人魚姫からの依頼がきたんだけどさ」
ユズキ姉ちゃんは、なんでも屋も営んでいる。
「人魚姫ってマジでいるわけ?」
駒沢さんが興味津々で聞く。
「いるわよ。めっちゃ美人なの」
ユズキ姉ちゃんは俺たちが座っているパイプ椅子の一つに座り、そこにあるポテチを食べた。
「久しぶりに食べたけど美味しい!コンソメ味って最高!次はのり塩が食べたいわ」
「人魚姫の頼み事って何?」
ポテチに夢中な姉ちゃんに話しかける。
「魔女から、人間の足が生える薬を買ったらしいのよ、声と引き換えにね。でも、困ったことに、下半身の鱗やヒレが完全に乾かないと足にならないんだってさ」
「へえ!それは知らなかった」
「それでね、10時間待っても乾かないんだって。喉は乾くし、陸地に上がって10時間しか持続性がない薬だから、結局足を見る事なく海に戻っちゃうのよ。だから、まだ足を実感出来ないんだって」
「ハハハ。なんだそのオチ!」
俺たちはポテチを食べながら笑い合う。
「それでね、人魚姫の相談事なんだけどね。この足の生える薬って、飲んでから一ヶ月しか効果が続かないから、ヒレを速乾させて歩いてみたいんだってさ」
「オッケー。ドライヤーで乾かしてあげればいいでしょ?」
「そう。それは私も思いついたのよ。でね、彼女の願いはそれだけじゃないの。足の裏に風を感じて見たいんだって。あと、ネオンなんかを見てみたいらしいの。この世界は、危険な小人や、小さい魔物なんかいて、足を見せることは出来ないのよ」
「って事は、俺たちの世界に連れてくのか?この世界の住人は目立ちすぎて無理だよ」
「大丈夫。人魚姫は、足さえあればどこからどう見ても北欧系美人よ」
全員で歓声を上げる。
「北欧系美人か!」
「そりゃ願いを叶えてあげないとな」
俺たちは色めきだった。
「とりあえず人魚姫のところに連れて行ってよ」
駒沢さんがいうと、ユズキ姉ちゃんは、まだ開封していない炭酸のペットボトルとスーパーの袋に入った沢山のお菓子を抱えて立ち上がった。
「これ、もらうわね。久々に食べるスナック菓子って、マジ美味しい。じゃあ案内するけど、人魚姫、薬と引き換えに今は声が出ないから、身振り手振りで会話するからね。薬が切れたら声も戻るらしいから今だけだけどね」
それでよく、依頼を受けられたなって思うけど、ユズキ姉ちゃんは謎が多い。
「歩くと遠いからさ、この前自転車を持ってきたんだよね」
俺たちは宿直室から自転車を出した。
「芝さんが行かないっていうなら、芝さんの自転車借りようかな」
「ユズキちゃん、ワシは遠くまで行くつもりがそもそも無かったから、自転車は持ち込んどらんよ」
芝さんが次の手を考えながら言う。
「そうなの?じゃあ正宗のママチャリの後ろに乗せてよ。他の二人はマウンテンバイクでしょ?」
「正しくはロードバイク」
「なんでもいいわ。とりあえず行きましょう」
俺が自転車に乗ると、ユズキ姉ちゃんは後ろに乗って、俺の肩に手をかけた。
ママチャリの二人乗りっていつぶりかな?
まぁ、どんなに記憶を辿っても男二人でのニケツだが。
「じゃあ行くよ」
勢いよく地面を蹴って乗って丘を下る。
風が髪を揺らし、日向にいたせいで少し暑くなった体を冷やしていく。
「うわー楽チン」
ママチャリの後のユズキ姉ちゃんは楽しそうにはしゃいでいる。
子供かよ。
でも、一人でこの国を周り、そして生計を立てているんだから凄いよな。
無邪気に笑う姉ちゃんの見えない部分を想像して、俺は尊敬を覚えた。
「あと、お願いがあるんだけど。私、ジーパンこれしか持ってないのよ。こっちの服はゴワゴワして着心地が悪いからさ、買ってきてよ。ついでに下着とかさ、おばさんにお願いして買ってきてもらって?」
「えー?なんで俺が!」
「小さい正宗くんは、姉ちゃんのいう事は『はい』と聞いてたのよ」
「子供の頃の話だろ?」
「父さんにお願いしたけど、結局恥ずかしがって買ってきてくれなかったんだもの」
「じゃあ自分で買いに行けよ」
「やだ。その間に仕事が舞い込んできたら困るじゃない」
「たくましいなぁ!じゃあ、ネットでポチったら?」
「実物見ないと買えないわよ。何言ってんの?洋服や下着よ?」
「今はみんな、そんなの気にせずにポチってるよ」
「変よ!」
「いや、普通だよ。姉ちゃんは時間が止まっているからなぁ」
俺が笑うと、姉ちゃんも笑った。
今まで歩いていける距離しか移動したことがない。
現実世界の一日が、こっちの5時間だ。
気をつけないと、現実に戻る時、大変な事になってしまう。
歩いていける距離は街の入り口までだ。
本当の街中まで行ったことがない。
「自転車って早くていいわね。こっちの世界でも流行らせてよ」
「多種多様なサイズを作らないといけないから、元は取れないね」
「そうなの?じゃあオーダーメイドで」
「手のひらサイズの一寸法師サイズ用とかさ、強度を考えると小さいのは作れない。それから、大きいのになると、タイヤが彼らの体重を支えられないよ」
「それもそうね」
そんな話をしていたら、だんだんと景色が変化してきた。
煉瓦造りの建物が並び、露天では見た事ない果物が売っている。
まるで19世紀から20世紀にかけての外国映画の中に入り込んだみたいだ。
なんだか気分が上がる。
舗装されていない道路には、古い型の車が数台走っていた。
「俺たち意外にも異世界人がいるわけ?」
びっくりして、ユズキ姉ちゃんに聞いた。
「そんなに驚かない。あれはウチのじいちゃんが車を一台持ち込んだわけ。きっと安く買った戦前の車よ。それを元にドワーフ達が金型を作って、量産したわけ」
「ガソリンがあるのか?」
駒沢さんがつっこむ。
「ないわ。マテリアルオイルで走っているの」
「今時の車に入っている半導体とかでは動かすことが出来ないのかもな。俺たち、スマホちゃと動かないもんな」
「見れば見るほど不思議ですね。タイヤもゴムではなさそうだし」
二石くんが興味深そうに言った。
「確かにゴムはないわね。でも似た物質があるのよ」
街を見ているだけでもワクワクしてくる。
大通りを抜けて、沢山の家の間を通り、少しずつ木造の家が増えて、ビーチパラソルが見えてきた。
「海だ!」
二石くんが叫ぶ。
「白い砂浜〜美人の人魚〜」
駒沢さんは自作の歌をご機嫌で歌い出す。
「人魚は岩場にいるの。砂浜にはいないわ。じゃあその道を右に曲がって」
言われた通りに曲がるが、舗装されていない上り坂をのぼってく事になってしまった。
「二人乗りはきちぃ。電動自転車が欲しい!」
「もしかして電動自転車ってメジャーなの?」
「当然!今、地方都市なんかのレンタル自転車はみんな電動だよ」
「うわー。私、元の世界に戻ったら生きていけないわ。って、ほら、あの岩場よ」
姉ちゃんに指を指された先を見ると、金髪や赤毛の美しい女性たちが笑い合っていた。
もちろん、足元はヒレがついているから人魚だってわかる。
「マジで美人!あれで人間に恋するんでしょ?」
駒沢さんの独り言を聞いて姉ちゃんは笑った。
「それは御伽話だけよ。人魚にとって人間は、たいして潜れないし、たいして泳げないし。泳げない人は暴れてわめくし。しかも大半がセイレーンに騙されるから、恋愛対象になんかならないわよ?」
「じゃあ、半魚人とかが恋愛対象なわけ?」
「一番人気は、海の神々の末裔。ほら、ギリシャ神話なんかに出てくる人達の末裔ね。あとは、地底人とか。まあ半魚人も恋愛対象らしいわ」
「地上人はダメ?」
「とうぜん」
駒沢さんも、二石くんもがっかりしているが、二人にはお構いなく、ユズキ姉ちゃんは自転車を折りた。
「◯※◇×*」
ユズキ姉ちゃんが謎の言葉で人魚に話しかける。
すると人魚たちは姉ちゃんと楽しそうに会話を始めた。
俺たちは何を言っているのかさっぱりわからない。
時折り、こちらを見て、そして指を指している。
それに対して、人魚達は頷きながら返答していた。
悪口じゃないといいな。
しばらくして姉ちゃんが戻ってきた。
「話はまとまったわ。戻りましょう?」
途中、ビールを買って休憩した。
しかし、俺は工場からの帰りが車だから飲めない。
羨ましくてみんなをじっと見るがおかましなしだ。
仕方ないから、木の実のジュースをもらう。
お金は、金属製品の修理代をもらっているから、食事するくらいはある。
「腹減らない?その串焼き四本お願い」
駒沢さんが屋台で肉を買って、みんなにわけてくれる。
「この肉、何か知ってるの?」
ユズキ姉ちゃんが驚いて聞いてきた。
「知らないけど。美味しそうだからいいんじゃない?」
「そう。これって、巨大タランチュラのお尻よ?」
「タランチュラ?まじで?」
「ええ。巨大タランチュラは時々、人間の子供も狙うから、街に降りてきたら駆除して食べるの」
「ぼっ僕、そんなにお腹空いてないかな〜」
二石くんの言葉に、姉ちゃんはニヤッとする。
「そんなんじゃこの世界の食べ物はほとんど食べれないよ?ほら、頑張って食べな?美味しいから」
凄い迫力なので、俺たちは「食べたくない」ということが出来ずに、恐る恐る串焼きをかじる。
「ウマイ!タランチュラの尻、ウマイ!!!」
濃厚で、口の中でとろける肉に、夢中になった。
皆で、美味い美味い言いながら食べる。
「でしょ?脚は毛むくじゃらで不味いけど、お尻は美味しいのよね」
「ユズキさん、何でも知ってて凄いな」
駒沢さんは感心しながらビールを飲み干した。
「じゃあ急いで帰りましょ?もう時間がないんじゃない?」
言われてスマートウォッチを見る。
これだけは、日本時間を正確に教えてくれるのだ。
デジタルはこの世界に親和性がないらしい。
「やばい!早く帰らないと」
時計はすごい勢いで進んでいる。
約5時間弱で一日なのだから、時計のスピードが半端ない。
俺たちはチャリを飛ばして丘の上まで戻った。
「やっぱ次は電動自転車だな」
三人でぼやきながらチャリを漕ぐ横を、ユズキ姉ちゃんが走って登って行った。
早い!
勝手口の前までついた時には、全員息が上がってまともに話せない。
「という事で、次回、人魚姫を連れて向こうの世界にいくからね。必ず、車、持ってきてね」
それだけを言うと、丘を降りて行ってしまった。
「なんか俺たち、いいように使われてないか?」
駒沢さんの言葉に二石くんが笑う。
「確かに。でも可愛いから従っちゃいますよね。この世界についての先輩でもあるし」
「二石くんの言う通り、この世界の先輩だから従うしかないんですよ」
俺が言うと、芝さんがこちらを向いた。
「そういや、車がどうのって言ってたな」
「ワシにも聞こえたぞ」
将棋の片付けをしながらオジサンも口を出してきた。
「できれば、今時の自動制御の半導体が使われていない古い車があったらいいんですけどね」
俺は工具などを片付けながら言う。
「あるよ。うちの車庫に。バッテリー交換してガソリン入れれば動くぞ」
オジサンが鍵を投げてきた。
「俺のお宝のスペアキーだ。小さいのが車庫の鍵で、大きいのは車の鍵だ。遺言通り、家は維持してあるよな?」
「もちろんだよ」
「じゃあ車庫の中にカーカバーを被った車を見てみるといい」
社長の車に興味が湧いてきた。
「帰りに見に行こうぜ」
工場の点検をして施錠をする時、駒沢さんが言う。
「ワシも、社長の持っているオタカラとやらを見てみたい。それに古い車の整備なら任せとけ。若い頃、よく車いじりをしていたんだよ」
オジサンの家は工場から車で15分の距離にある。
皆で車庫の鍵を開けた。
オジサンの家は、シャッター付き駐車場になっていて、車が4台停められる。
手前には普段乗っていたミニバンがあり、その奥には、軽トラが置いてあった。
「この軽トラ使えそうですのね?ウチツクニで、荷物の運搬などに使えますよ。工場の敷地に移動しておけばいつでも使えるんじゃないですか?」
「二石ちゃん、賢いね。さすが現役大学生!」
芝さんが無駄に褒めている。
さては酔っているな?
今日は俺の運転だから、まあいいか。
「あの銀色のカバーがかかった車だね」
俺は勢いよくカバーをめくった。
真っ赤なピカピカのオープンカーが出てきて俺たちは歓声を上げる。
70年代の外国の映画に出てくるような派手な外車だ。
「見てくれよ?シートは革張りだ」
「こんなのいつ買ったんですかね?こんな地方都市を走っていたら、噂になりますよ?」
「確かに誰も見た事ないよな」
とりあえずカバーを戻してその日は全員を送り届けた。
そこからの1週間は皆、ソワソワしながら過ごした。
「金曜日の夜に車を移動させよう」
そう決めて、芝さんに修理をお願いしたが、バッテリー交換と、ガソリンを入れるだけで動くようになったらしい。
オジサンはちゃんと整備をしてあったようだ。
そして、待ちに待った金曜日、工場は社長命令で残業禁止にした。
それから、工場内を車が走れるように広い道を作る。
機械の配置などを見ながら、走行ルートをあらかじめ決めて、資材を片付けておいたのだ。
いよいよ、車庫から出す瞬間、皆で歓声を上げた。
それから、工場までの運転手をじゃんけんで決める。
「二石、マニュアル運転できるのか?」
じゃんけんの前に駒沢さんが聞くと、様子が変わる。
「あっ!運転…出来ません」
ここで二石くんが脱落した。
「ワシは、人魚とのドライブに興味はない」
芝さんの一言で、工場までの運転手が決まった。
「じゃあ芝さん、ここは譲ります」
駒沢さんは紳士的な態度を見せたが、それがまたコミカルで、芝さんは大笑いした。
「おっ、面白いね駒ちゃん」
駒沢さんは古株の社員にすごく可愛がられている。
それはこんなところなのだろう。
ブルルルン
エンジンの低い音が車庫に鳴り響く。
古い車特有の排気ガスの匂いがして、ゆっくりと前進する。
「さすが昔の高級車だ。ギアもハンドルも何もかも革張りだ」
芝さんの声が弾む。
車庫から車を出すと、軽快なエンジン音で進み出した。
ギアを変える時の音も軽快で、芝さんは鼻歌を歌い出した。
「外車のエンジンは馬力がすごいから、男四人乗っても余裕だね」
「芝さん、さっきから運転しながら演歌口ずさんでません?こんな時は、ス◯ラーとか歌うべきでしょ」
「何歌おうと勝手だろ?」
「ジャクソンのスリ◯ーも、演歌も違いますよ。ここはヒップホップでしょ」
カーステレオはカセットテープしか使えないから音楽はかけられなかった。
さすが古い車だ。
夜とはいえ、外車の真っ赤なオープンカーに男四人は目立つ上に、運転手は大声で演歌を歌う老人だ。
だから、信号待ちで止まるたびに注目の的で、恥ずかしさを隠すのに必死になる。
あまり景色を楽しめないまま、工場に到着した。
シャッターを開ける。
「あの機械を避けて、この資材の横を曲がるんですよ?」
「わかった。さあ、進むぞ」
マニュアルの低速は難しいが、さすが年の功、スピードを落とさずに難なく裏口のシャッター前まで車を走らせた。
俺たちは割れんばかりの拍手をする。
「裏のシャッターを閉めた事を確認しろよ?そこが空いた状態で、裏口を開けて、異世界の生き物がこの世界に入り込んだら一大事だからな」
「確かに。トロールとか迷い込んだら一大事だよ」
駒沢さんの注意に、二石くんが答えながら扉やシャッターの鍵を確認する。
「俺たち、誰もトロールとは戦えないからな」
「そんな時は、ユズキ姉ちゃんを呼ぶしかないね」
ここからトロールの話になる。
俺たちは、想像上の生き物に、初めてあったのがトロールだった。
想像より大きくてグロテスクだった上に、襲われそうになったのだ。
その時、トロールを一撃で倒したのは、ユズキ姉ちゃんだった。
「女の子に頼るなんて、男としてはどうかな?とおもうけど、可愛い顔して剣道と空手の有段者なんでしょ?」
「インターハイではベスト8で、インカレにも出場しているからね」
姉ちゃんの強さに誰も何も言えない。
そんな誰も逆らえない姉ちゃんからの注文品が入ったダンボールを宿直室に運び込み、車の荷台にはサーキュレーターやドライヤー、発電機などを詰めて、準備は整った。
俺たちは何だか大きな仕事を終えた気分になり、宿直室で酒盛りをして、倉庫にある寝袋を使い眠った。
朝、扉を叩く音で目が覚める。
「なんだよ?早すぎだよ、ユズキ姉ちゃん」
「あんた達が荷物を持ってくるのを楽しみにしていたのよ」
と言いながら、ダンボールに直行して、中を漁りながら、この世界についての説明を始めた。
「今は明るいけど、もう2時間くらいしたら、突然暗くなって、そこから3日間、ずっと夜なの。今日は月が1つの日だけど、明日は2つになるのよ」
その説明を聞いてもさっぱりわからない。
「とりあえず人魚姫のところに行くか」
「ワシは留守番だ」
あくびをしながら芝さんが言う。
俺たちは、シャッターを開けた。
「左ハンドルだし、エンジン音を聞くだけでアガるねー」
駒沢さんが車を発進させ、外に出した。
明るいところでこの車を見るのは初めてだ。
「やっぱ、かっこいいなー」
感嘆しながら二石くんがシャッターを閉めた。
赤いボディーに青空が反射する。
「こりゃドライブ日和だ」
俺たちを乗せて、車は坂を下っていく。
この世界にも車に似た乗り物があるので街中には信号があるから、ちゃんとルールは守る。
「交通ルール守らないとどうなるわけ?俺たちこの世界の免許ないけど」
「わかんないけど大丈夫じゃない?」
道ゆく人の注目の的なので、俺たちは恥ずかしいが、ユズキ姉ちゃんは色々な人に手を振って話しかけている。
「街頭演説でもしてるつもり?」
「違うけど、みんな驚いているでしょ。だから手を振るの」
本当に自由な人だ。
途中、ビーチパラソルの海で休憩をする。
「道が舗装されてないから疲れたよ」
運転していた駒沢さんが、屋台で焼き貝を食べながら言う。
「その貝の毒、人間は消化出来たかな?」
ユズキ姉ちゃんの言葉に、全員の手が止まった。
「マジで?」
真剣な顔で全員を見て「ウソ」と笑いだしたから、みんなで笑った。
そのあと、駒沢さんと二石くんは、パラソルの下で長椅子に寝転び、しばしの休憩を取る。
姉ちゃんと俺はレモネード屋台で、喉を潤しながら他愛もない話をした。
もっと責任感があって、芯のしっかりした人だったのになぁ。
かなり適当な人だよな。
「俺、子供だったからかもしれないけど。姉ちゃん、人格変わった?」
「変わったわけじゃないのよ?自分を押さえつけて無理してたの。本当の自分をさらけ出せなくて。でも、あのままでもいる事が出来なくて」
「葛藤があったんだね」
「息抜きにコッチに遊びに来てたんだけどね。ある日ヘマをして、天窓を閉じたままこの世界に来て、帰り道を見失ったの。戻れないならいいやって、旅に出たのよ」
「じゃあ工場を継ぐって言ってたのは?」
「責任感とかじゃなくて、単純にこの世界の出入り口を誰にも渡したくなかったの。息抜きの場所だったから」
一人娘である姉ちゃんは、後継者としてのプレッシャーや、諸々の責任感の重圧が凄かったんだろう。
確か、いなくなった時、中高大と、剣道部のエースでキャプテン。成績優秀で、責任感が強いって言われていたな。
「姉ちゃんも大変だったんだね」
「実際に会社を継いだのは正宗だから。結局、今一番大変なところ押し付けちゃったけど、楽しくやってるみたいでよかった。一緒にこの世界に来ている全員や、お父さんも、アンタの事大好きだもの」
「俺もみんなが大好きだし」
周りの人に恵まれたのは確かだ。
姉ちゃんはフッと笑って、小さい声で何か言ったが聞き取れなかった。
「何?」
「早いとこ人魚のところに行こうって言ったのよ」ジュースを飲み干して立ち上がり、車の方に走って行った。
車には沢山の人が群がっている。
「乗せて欲しいって?有料だよ?」
姉ちゃんが商売をしている声が聞こえてきたが、無視して二人を起こした。
「そろそろ行こうよ」
「そうだな。時間にも限りがあるし。急がないと暗くなるんだろ?」
車に乗って風を感じる。
オープンカーは風が通り抜けるので暑さを感じない。海風は気持ちよく、海岸の景色も最高だった。
岩場になり、人魚たちの姿が見えてきた。
あまり前に進むと、道が無くなるので、Uターンできるスペースのあるところで車をとめる。
「ここから荷物を持ってくの?遠くない?」
文句を言う姉ちゃんを無視して、荷台から台車を出すと、発電機と、サーキュレーターやドライヤーを載せた。
「その段ボールもお願い」
「これって姉ちゃんの物が入っているんじゃないの?」
「まあそうだけど。でも必要なのよ」
俺たちはため息をついて段ボールを発電機の上に置く。
緩やかな舗装されていない上り坂を、俺たちは台車を押しながら登った。
ユズキ姉ちゃんは軽やかに走って行くと、先に人魚と話しはじめる。
俺たちが岩場に到着した頃には、沢山の人魚が集まっていた。
「来た来た!そのダンボール頂戴」
ダンボールを持って人魚のところに戻ると、中を漁りながら会話を続けている。
「あの箱の中身、二石くんが準備したんだよね?」
「大学の女友達に頼みました。リサイクルショップに勤めてる子なんですけどね、『夏物女性服を沢山調達しなきゃいけないんだ。水着や服、アクセサリーや靴も含めて詰めれるだけ詰めてほしい』ってお願いしたんですよ」
「なんて理由にしたの?」
「知り合いが写真家で、売り出し中のアイドルの写真を撮るって。水着や服は彼女たちに選んでもらうからこだわりはないって」
「かなり無理があるね」
「ええ!無理がありました。でもこの言い訳しか思いつかなかったんですよ。僕、ヘンタイだと思われたかもしれません」
俺と駒沢さんは、落ち込む二石くんの肩をポンポンと叩いた。
「準備頑張ろう」
そうとしか声をかけられなかった。
「二石ちゃん、自分が着ると思われたのかもしれないね。女装似合いそうだし」
コソコソと駒沢さんが言う。
確かに、二石くんは、エラのないツルンとした顔をしていて、細いから女物は着られそうだが、流石に水着はないと思う。
俺は何も答えずに発電機を動かした。
作戦はこうだ。
まず、テントを建てる。
数台のサーキュレーターで風を送り込み、その中に人魚姫に入ってもらう。
ヒレが乾くところを見たいが、ユズキ姉ちゃんに「絶対ダメ」って言われたので俺たちは我慢することにした。
何故ダメなのか理由は教えてもらえていない。
「準備完了!」と言うと、姉ちゃんは人魚姫をお姫様抱っこして海から上がってきた。
人魚姫は、泳ぎやすくするためか、ひっつめ髪で、確かに北欧系美人だが、真面目そうだ。
その人魚姫を横抱きしている姉ちゃんは、足首までのスパッツと、長袖のラッシュガードを着ていた。いつも履いているジーンズでは、濡れて重くなるからだろう。
何故かレオパード柄で、関西のおばちゃんみたいだ。
「まじ逞しい」
「豹柄に尾びれって、ヤンチャな漁師みたいだな」
俺たちのコソコソ話が着替えたのか、ジロッと睨みながらテントに入って行った。
「冷風は寒いから温風にしてよ」
「了解」
サーキュレーターの風と共に、セラミックファンヒーターの風も送り込む。
中から、姉ちゃん一人だけの声で謎の言語を話しながらキャッキャ言うのが聞こえて来た。
相手は声が出ないのに、どうやったらはしゃぐ内容を会話できるんだ?
オビレを完全に乾かすのには時間がかかると思っていたので、俺たちはトランプで遊ぶ事にした。
スマホはこの世界と相性が悪いから、ネットゲームでは遊べない。
ババ抜きに、大貧民、とりあえず思いつく限りの遊びをして、1時間が経過した。
気がつけば、サーキュレーター以外の機械が全部止まっている。
そして、テントから姉ちゃんが出てきた。
さっき見たレオパード柄の長袖長スパッツ水着ではなく、いつもの服装だ。
「いいですか?人魚姫のお披露目です!」
高らかに宣言した後、テント出入り口のファスナーを大きく開けた。
中から出てきたのは、波打つ金髪を胸までおろし、Tシャツに色褪せたデニムの短パン、長袖のパーカーを羽織った、絶世の美女だった。
自分でうまく歩けないのか姉ちゃんが支えている。
「どう?最高に美人でしょ?」
ライムグリーンの瞳がこちらを見て微笑む。
俺たちはあまりの驚きに手に持ったトランプの札を落としてしまった。
ここからの運転は俺の番だ。
人魚姫の細くて美しい足に、少しヒールのあるロングブーツがよく似合っている。
これが魚のヒレだったとは思えないがジロジロ見たら変態だから、視線を景色に持っていく。
「空を見て?今から日が暮れるわ。行きましょう」
「灯りのない岩場を走るのは怖いから、急いで出よう」
荷物を車のトランクに積み込んですぐに街に向かった。
日が傾いて、海風に冷たさを感じる。
助手席には人魚姫が座っていて、彼女は腕を少し出し、風を感じて楽しんでいるようだ。
夕日が金髪に反射してキラキラ光る。
後は真ん中にユズキ姉ちゃんが乗っていて、三人が今の流行りについて話していた。
すごい盛り上がっていて、みんな気が合うようだ。
車が街中に差し掛かる頃、日が暮れて真っ暗になった。
メインストリートのネオンが付き、本当に外国の映画の中にいるみたいだ。
ピンクや青の蛍光灯のようなもので描かれた看板や、店に入っていく人々。
外にテーブルを出して楽しそうにお酒を飲むカップル。
助手席側の景色を見ようと横を向いたら、人魚姫がこちらを見ていたようで目があった。
声の出ない彼女に、
「寒くない?」
と聞くと、首を横に振って、あおぐジェスチャーをした。
暑いらしい。
「暑いの?」
と聞くと、にっこり笑って頷く。
「ねぇ、このまま元の世界に行ってみない?」
まさかのユズキ姉ちゃんの提案に驚く。
「今の時間だと、元の世界も夜でしょ?大丈夫よ」
その言葉を信じて、四海工場の勝手口のところまで戻ってきた。
丘の上にあるので、街の夜景が見える。
「かなり明るいもんだね」
「元の世界に比べると大した事ないけどな」
「ってか、舗装のない道を暗がりに走ったせいで酔ったわ〜」
駒沢さんが車から降りて座り込む。
「じゃあちょっと休憩する?」
ユズキ姉ちゃんがトランクを開けて、瓶を取り出した。
「これは人魚の村に伝わる秘伝のお酒。この街でも幻と言われているのよー!」
「マジか!幻の酒?」
二石くんのテンションが上がる。
「男二人がこの状況だから、私たちここで待ってるわ。元の世界で1時間過ごしてきても、こっちでは僅かな時間にしかならないし」
ユズキ姉ちゃんに押し切られて、俺と人魚姫で元の世界にいくことになった。
シャッターを開けて車を工場に入れた。
それから周りを見回し、シャッターを閉める。
異世界の生き物が、現世界に入らないように最新の注意を払うためだ。
「今から行く世界はね、腕や足を出しても危険がないから、ブーツを脱いでも、上着を脱いでも大丈夫だよ」
人魚姫がにっこり笑って頷いたので、姉ちゃんはブーツを脱がせてあげたあと、上着を脱がせてあげる。
しかし、人魚姫は不安そうな顔をした。
「あっちの世界はもっと露出過多だから大丈夫」
にっこり笑って説明する姉ちゃんの顔を見て、人魚姫は真剣な顔で頷いた。
それから俺の顔をじっと見る。
「心配ないよ。俺がついているから」
安心させるために言ったのに、駒沢さんと二石くんはニヤニヤと笑った。
でも何も言わないので、俺もそれ以上何も言わない。
「正宗、水には気をつけてね。水滴もダメだからね」
姉ちゃんは真面目な顔をして説明したあと、念の為の防水シートを渡してくれた。
「じゃあ出発するよ」
低速で工場内を走らせる。
LEDライトの明るさに人魚姫は驚いて体を屈めた。
「怖くないよ。俺たちの世界の建物の中はみな、こんなに明るいんだ」
優しく話しかけようとした時、工作機械にぶつかりそうになり、ブレーキをかかる。
キキキキキ
すごいブレーキ音がして、人魚姫の体が大きく揺れた。
「ごめん、大丈夫だった?とりあえずシートベルト閉めようか」
シートベルトを指さすと、人魚姫は意味がわからないという顔をした。
「意味わかんないか。ちょっとごめん。近づくよ」
俺は人魚姫の体の前に手を伸ばし、シートベルトの金具部分であるタングプレートを引っ張る。
「姫を拘束するつもりか?この無礼者!」
高い声が聞こえて、デニムの短パンのポケットから帆立貝が飛び出してきた。
それと同時に俺の指に噛み付く。
「いたい!ちょっと待ってよ、俺を見てくれない?俺もシートベルトしてるでしょ?この世界のルールなの」
貝はパクパクしながら空に浮いてきた後、俺の周りを飛び回り、それから人魚姫の膝に戻った。
「姫様、確かにこの男も自分を拘束していますから大丈夫ですよ」
帆立貝に言われて、安堵した顔をしたので、俺は「ごめんね、車に乗る時は必ず必要なんだ」といいながら、シートベルトを閉めた。
それから、車を前進させて、いよいよ正面のシャッターを開ける。
車をいよいよ外に出すんだ。
異世界の喋る帆立貝を連れているのを誰にも見られませんように。
「いい?今から俺たちの世界に出る。貝や魚は喋らないし、人魚もいない。ユズキ姉ちゃんみたいないい人ばかりじゃないから、気をつけてね。約束できる?」
人魚姫と帆立貝は向かい合った。
それから、帆立はこちらを向く。
「姫様はわかったと言っています」
「じゃあ、帆立くん、今から無言でお願いします」
俺は車を出し、シャッターを閉める。
まだ陽が落ちてすぐの空はうっすら明るく、薄い三日月が白かった。
車を走らせてすぐに信号に引っかかる。
歩道を歩く人や横断歩道をわたる人が、見たことのない古い外車とそれに乗る金髪美女を見てざわつく。
「見て!映画みたい」
と言った後、運転している俺を見て渋い顔をする。
自分でもこの雰囲気に俺だけが異質だって自覚しているよ。
しかも、美女は肩に帆立を乗せている。
なんだか可笑しいけれど、俺は全ての現実に目を瞑って運転に集中した。
人魚姫は時折笑顔を見せて、それから足をばたつかせている。
「裸足で歩いてみたい?」
俺の質問に人魚姫は嬉しそうに頷いたので、近くの公園に向かい、芝生にエスコートした。
手を握り、体を支えてあげないと上手くは歩けないようだ。
俺の支えが必要だから完全に自由に歩けるわけではないが、足で芝生の感触を確かめながら楽しそうにしている。
俺も靴を脱ぎ捨てて、一緒に素足で歩いた。
「うわ!痛ってー」
小石を踏んで痛がる俺を見て、無言で笑うので、俺も笑った。
5分ほど歩く練習をしてみると、すぐに普通に歩けるようになった。
「次は靴を履いてみようか」
頷いてくれたので、同意してくれたようだ。
しかし、ストラップ付きのウエッジヒールのサンダルを車から出すが履き方がわからないのか、ブーツ以外を見たことがないのか不思議そうな顔をして眺めている。
「じゃあ俺が履かせてあげるよ。車のシートに座って?」
嬉しそうにゆっくりと座る姿は、本当に美しい。
この車と人魚姫は古い映画のワンシーンみたいだ。
俺と帆立貝だけ異質物だなと考えながらサンダルを手に取り、片膝をついてしゃがむ。
しかし、彼女は足をあげて自分で履こうとしない。
「じゃあ足を掴むからね」
断りを入れて右足を持ち上げるとサンダルに足を入れた。
反対の足も同じようにして履かせて、ボタンを止める。
「立てる?」
人魚姫は自分の足をあげたり、サンダルをまじまじと眺めて立ち上がると、ゆっくり歩いた。
「うまいうまい!じゃあ、先へ行こうか」
車を走らせながら前方を見る。
気がつくと、三日月が空の中心にあり、高くそびえるビルのモニュメントみたいだ。
視界に入るのは、古いカーラジオと、革製のハンドルにマニュアルのギア。
それから、車に天井が無い代わりに、真っ赤な長いボンネットが視界の多くを占める。
オフィスビルの沢山の光に、目まぐるしく変わる信号。
工事現場の赤く点滅するケーブルがクリスマスツリーに飾りつけるライトみたいで、なんだか別物に感じる。
オープンカーは外の音がダイレクトに聞こえて、普段とは街の様子も違って見える。不思議だ。
隣を見ると、人魚姫が俺を見ていた。
「外の景色をみなよ。どこか行ってみたいところはある?」
しかし、声のない彼女は何も答えられない。
「行ってみたいところって言われても、この世界を知らないもんな。じゃあ、少しだけ歩いてみよう」
コインパーキングに車を停めて繁華街を歩く。
あまり歩きなれていない人魚姫のために、腕を組んでゆっくりと進む。
が、見た事もない美女がゆっくりと、別にカッコ良くもなんともない俺と腕を組んで歩いてきたので皆、チラチラと様子を伺うが、人魚姫は視線は気にならないようだ。
路地に広がる異世界とは違うネオンやガラス張りの店を覗いたり、コンビニに興味を示す。
そして出入りする女の子の服装を眺めて、自分の格好が露出しすぎではない事を安堵しているような仕草を見せる。
驚いたり興味があったりするのが、表情に出ていて可愛らしい。
「ゲーセンだ。ちょっと入ろうよ」
15分後、ウサギのぬいぐるみを抱えて店から出た。
二人で協力して獲得した景品を嬉しそうに抱える。
それから、クレープを買って食べながら車まで戻った。
夜の海沿いをドライブしながら帰る事にした。
潮の香りと、海沿いのオシャレな海の家やカフェやバーから漏れてくる光と音楽が心地いい。
俺は無言で車を走らせた。
人魚姫はずっと真っ暗な海を眺めている。
ダッシュボードに足を乗せて、足裏でも風を感じるのを楽しんでいるようだ。
足の指を動かしているのは、アシヒレを動かしているようなものなのかもしれない。
会社の前について時計を見る。
こっちの世界で4時間過ごしたがあっちの世界ではたいした時間になってないだろう。
「もう戻る時間だよ」
俺はシャッターを開けるために車から降りようとすると、人魚姫は俺の手を掴んだ。
顔を見ると首を横に振っている。
「それはダメだ。戻らないと、魔法の有効時間にも限りがあるんでしょ?」
優しく言うが、途端に表情が歪み、ポロポロと涙を流す。
その雫が足に落ち、涙が溢れた場所だけが鱗へと変化した。
「大丈夫。次に足が生える薬を飲んだら教えて?俺がまたドライブに連れて行くから」
人魚姫の涙は止まらずに、どんどんと足を濡らして、その度に鱗が現れ、街頭に照らされてキラキラと輝く。
俺は構わずに車を異世界に走らせた。
表口の扉やシャッターが閉まっている事を確認して裏口のシャッターを開けると、三人が酒盛りを初めてしばらく経ったところだった。
「どうだったー?」
楽しそうに話しかけたユズキ姉ちゃんだったが、人魚姫の様子を見て駆け寄ってきた。
「何かあったの?」
そう聞かれても人魚姫は何も答えない。
「姫様、泣かないでください。この御仁は真っ当に姫様を海へ帰そうと言ってくれているのですよ。足が生えた人魚は悪い人に捕まると売り飛ばされる事もありますが、彼は誠実な態度でしたよ?」
帆立が人魚姫を慰める。
ユズキ姉ちゃんも何やら、聞き取れない言葉で何かを話すと、人魚姫は身振り手振りで会話をした。
俺にはわからないが、何も言わず様子を眺めていた芝さんが立ち上がった。
「暗がりの舗装されていない道を走るのは正宗には無理だな。ちょっくらワシが送っていくとしよう。ユズキちゃん、道案内してくれ」
そう言って、運転席に座った芝さんは、人魚姫とユズキ姉ちゃんを乗せて、丘を下っていった。
芝さんが戻ってきた時にはタイムリミットで、俺たちは元の世界に戻った。
あれからも異世界に来ているが、ユズキ姉ちゃんから人魚姫の話は聞いていないし、あの岩場にも行っていない。
後で聞いた噂によると、人魚は一生のうちに一度しか足の生える薬を飲むことが出来ないらしい。
俺からは話題には出していないが、人魚姫とドライブをした、あれは幻想だったんじゃないかとさえ思う。
これが異世界での、壊れた物を直す以外の『何でも屋』の初仕事だった。
本編には書きませんでしたが、人間を恋愛対象としない人魚が、正宗に淡い恋心を抱いています。
声が出ないから、何も伝えられない人魚姫と、そんな気持ちが伝わらない正宗。
足の生える薬は一生に一度しか飲めない。だからまだ一緒にいたいけれど、「また足が生えたらドライブに行こう」と言われてしまう切ない人魚姫の気持ちを感じていただけたらなぁと思います。
お読みいただけたら、是非評価頂けると幸いです。