最終話 指輪
冬が終わり、春が過ぎそして初夏がやってきた。
「先日行われた専門医認定試験の結果が出ました。
フェローシップは全員会議室に集まるように」
院長の招集に、佐々木と王は緊張した面持ちで医局を出る。
「自信はあるか?」
「全力は尽くしたけど、どうだろう」
佐々木の答えに王はにやりと笑って、
「毎晩ミナと勉強してたんじゃないのか?
ベッドの中でさ」
と茶化す。
クリスマスイブの告白の一部始終を、佐々木は翌日
申し訳なさそうに屋上で王に報告した。
「で、受けたのか受けなかったのか、佐々木は?」
酷く真剣な顔で問われ、佐々木は俯いて受けた。と答える。
いつものようにぐしゃぐしゃと髪をかきまわされるのを覚悟していたが
しばらくまっても王の手が近づく気配はない。
恐る恐る顔を上げると、王は佐々木に背を向けたまま一言
「ミナを、頼むぜ」
とだけ言って足早に階下に去って行った。
二人の間でこの事はこれで終わった。王はその翌日だけ酷い二日酔い状態で
出勤したが、後は今までと変わることなく恋人となった
ミナと佐々木に接してくれる。唯時折きわどい冗談を佐々木にだけ言うようにはなったが
それは仕方のない事だろう。
会議室に入ると、すでに内科のフェローシップ達がやはり緊張した面持ちで
座っていた。
さりげなさを装って佐々木がミナの隣に腰を下ろすと、彼女の汗ばんだ手が
指先に触れた。やはりミナも緊張しているようだ。
この試験に受かれば、アメリカ国内だけとはいえより高度な医療行為が許され
日本に大手を振って帰れるが、落ちてしまっていたら、今までの研修は
すべて無駄になってしまう。
王に話したように、自分の実力の限界まで出し切った実感はあったが
やはり言葉の壁は厚かった。
「では、まず内科から発表します。すごいわ、全員合格で
しかも主席で合格した者がいるわ。おめでとう、ミナ・ハーカー先生」
拍手に包まれて、ミナは頬を上気させて専門医認定証を受け取る。
口々にかけられるおめでとうの声に、ありがとうと答えている姿を見て
佐々木は目を細めた。春が近づくころから、内科のスタッフ達と院内で
ミナが楽しそうに談笑している姿が見られるようになり、彼女の嗜癖が
過去の物になりつつあるのが実感できる。
「つづいて精神科の方を発表します。こちらも
嬉しいことに主席合格者がいます。その人は最後に回しましょう」
次々と呼ばれていく名前に、佐々木の名前はなく
やはり取り残された王と不安げに視線を交し合う。
「それでは、主席合格者を発表します。王 陰月」
やった、と王がガッツポーズを取って、しかしすぐに
はっとしたように佐々木のほうを振り返った。
「おめでとう、王」
親友でもある同僚に、佐々木は心からのお祝いの言葉を述べる。
残念だが、これが自分の実力だ。しょうがない。
「そしてもう1名。佐々木兵衛」
どうやって自分をアメリカに送り出してくれた上司に報告しよう
と考えていた佐々木は一瞬自分の名前が呼ばれた事に気付かなかった。
ミナにつつかれて、ようやく院長を含め全員の視線が自分に集まっている事に気付く。
わきあがった拍手に戸惑いながら、佐々木は院長の前に立った。
「二人共主席合格おめでとう、特に佐々木先生、言葉の壁と心の傷と
その二つを良く乗り越えましたね。私は、貴方を誇りに思いますよ」
「ありがとう、ございます」
穏やかで優しい院長の口調に、胸を熱くしながら
佐々木は紙であるはずなのに、限りなく重く感じる専門医認定証を受け取った。
※
「おい、佐々木。これは一体何の冗談だ」
足音荒く王が佐々木のデスクにやってきたのは夏が終わり、秋が過ぎ
再びクリスマスを迎えようとしていた日の事。
乱暴に机に叩きつけられた封筒に、佐々木は苦笑した。
「ああ……内緒にしておきたかったんだけど」
「内緒にしておきたかっただと?どういうつもりだ
国境なき医師団に入団って、お前は日本に帰るんじゃなかったのか」
噛みつきそうな形相でそこまで言って王はハッとしたように口を閉ざす。
「まさか、あのテロの一件が原因か?」
その言葉に、佐々木はもう一度苦笑する。
「それもあるけど、小児精神科専門医は数が少ないから
ずっと募集をかけていたらしい。なりたての俺でも
もろ手を挙げてきてくれと言われたよ」
「だからって、精神科医が戦場で何をする気だ
そしてなんでお前が行く必要がある」
「戦場じゃないよ。行くのは戦争終結地域だ。
ほら、この間軍隊が完全撤退したあの国だ。
戦争後遺症で苦しんでいる子供達がたくさんいる。
それに、俺は家族がいないから、誰かが行かなければいけないのなら
一番適任だろう。日本にはもう話をしてある、しぶしぶだけど
後二年まってもらえたよ」
「ミナはどうする気だ!そろそろ将来の事も話し合うつもりだって
この間彼女から聞いたぞ」
佐々木はごめんと小さく口の中で呟いた。
「彼女には、まだ話していないんだ。ぎりぎりまで黙っていてくれないか?」
「佐々木……お前、なんで」
呆然とする王に、佐々木は少し苦しそうな表情を向けた。
「俺はどうしようもなく怖がりで、卑怯者なんだ」
「だから何を怖がるんだ」
「ミナと過ごした日々は本当に楽しくて、心が安らぐ日々だったよ。
でもいつまでもこのままと言うわけにはいかないだろう。
もうお互い遊びの恋愛をする年じゃない……でも」
佐々木は酷い傷痕の残る子供のように小さい手を胸の前で
ぎゅっと握りしめる。
「俺はどうしてもその先に進めない。家庭を、持つことが怖い」
「どうして、佐々木とミナだったらきっと幸せな家庭を築けるよ」
「幸せの家庭ってどういうものだ?俺は知らない。そしてミナも
知らないんだよ」
佐々木の言葉に王は黙り込んだ。
「だからこれが一番いい方法なんだ。俺が黙って姿を消せば
ミナはきっと怒って俺を軽蔑して、そして忘れてくれるだろう?」
「……お前って奴は」
「こんなことばかり頼んで悪いけど、俺がいなくなった後ミナを支えてあげてくれ。お願いだ。」
「他人の恋のしりぬぐいなんてやってられるか、大馬鹿野郎」
声高に叫んで足跡荒く去っていく友人を、佐々木は黙って見送った。
※
「えっと、買い物リストはこれでいいのかな」
メモ用紙にずらりとかかれた品物を、もう一度見返して佐々木は呟いた。
アメリカを去る日まで二週間をきった。
ミナには色々な理由をつけてあっていない。
王ともあれっきり挨拶すら交わしていない。
「……最低のことをしているから、当たり前か」
数年間、親身になって付き合ってくれた友人とこんな形での別れはは寂しかったが、
すべては自分の選択の結果だ。だれも責めることはできない・
今は色々考えるより、目先のことを考えていこう。
そう思ってドアを開け、そこに立っていた人影にぎょっとして立ちすくんだ。
「……ミナ」
「王から聞いたわ」
アーモンド形の瞳を久しぶりに怒気できらめかせて彼女は佐々木をにらみつけた
「ごめん」
うつむく佐々木の手から、ミナはすばやく買い物リストを取り上げる。
「ちょっと」
「うん、足りないわよね。全然足りないわ」
と呟きながら、ポケットから出したボールペンでなにやら色々書き足していくミナに、佐々木は慌てた。
「何するんだ」
「追加分を書いているのよ。これじゃあどう見ても一人分だから」
「一人分って」
うろたえる佐々木の眼前に、1枚の紙が突きつけられる。
「内科医も募集してて良かったわ。今日届いたの。
私も入団したのよ。国教なき医師団。赴任地もいっしょ。
婚約者って書いたのが効いたのね。きっと」
「ミナ!!」
「なによ、黙って一人で悩んで、一人で勝手に去っていこうとして。
私はなんだったの。貴方に頼り切ることしか出来ない女だと思ったの」
「ミナ、俺は」
「一年付き合っても、貴方は私の事を全然わかっていなかったのね頭にきた。
貴方が逃げても私はどこまででも追いかけるわ。
なによ、今のままの関係がいいならずっとそれでも構わないわよ。
結婚なんて所詮紙切れ一枚の契約にすぎないわ」
勢い良くそこまで言って、ミナは佐々木の胸に顔をうずめた
「私が嫌いになったならはっきり言いなさいよ。こっちから消えてあげるから。」
佐々木はその体をあいかわらずぎこちない動作で抱きしめる
「そんなんじゃない。好きだよ。大好きだ」
「なら、私はついて行く。駄目だって言われても勝手についていくから
それに、貴方の奥さんとの約束を勝手破らせないで」
「約束?」
ミナは頷いた。
「ずっとあなたを好きでいる約束」
「ああ、もう」
盛大にため息をついて、佐々木は再びミナの手からメモ用紙とボールペンを取り上げる。
戸惑いとほんの少しの怒りと、そしてそれらをすべて覆い隠すほどの嬉しさが体の奥から
こみあげてきた。
「わかった、君がその気なら俺ももうコソコソと逃げるのはやめた。
婚約者ならいざという時に立場が弱すぎる。
泣いて嫌だと言ってももう知らない。これを持って俺と一緒に来い」
乱暴にリストの一番最後に何かを書き足すと佐々木はミナの手をとって階段を下りた。
「リスト、君が持ってて。二人分の買い物はすごい量になるから」
「ねえ、この最後の言葉、日本語でしょ。何が書いてあるか教えて」
「店に行けばわかる。俺は安月給でそんなに高いのは買ってやれないけど
石がついてちゃ治療の邪魔になるだけだろう」
「だからなんなのよ」
それには答えず、ただミナの手を握り締めて佐々木は歩く。
「いいわ。たとえそれがなんであっても私はそれを持って貴方についていく」
そう言ってミナはもう一度リストを見る。
英語で書かれた長い列の一番最後、唯一日本後で書かれたその文字は
「指輪」
だった。
※
「ほんとうに馬鹿息子だよ。あれは」
日本の片隅にある小さな町、そこの病院の診察室の一つで
年を経てはいるが、なお婀娜めいた色気が残る老女が
同じ位の年の医者を相手に愚痴をこぼしていた。
「アメリカに行ったと思ったら、今度は戦場にいく、だなんて
なに考えてるんだろうねえ、本当に」
「まあ、佐々木君の事ですから深く考えた末の事だったんでしょう
見守っていてあげましょうよ、彼の人生なんですから、久代さん」
「でもね、羽場先生」
尚も不服そうに、久代は羽場医師に一枚の写真を見せる。
「こんな綺麗な嫁さんをもらったんなら、きちんと式を挙げればいいものを
写真だけとって、両親の墓参りだけしてさっさといっちまうなんて」
「三日しか、いられないんだ」
久しぶりに日本に帰ってきた佐々木は、そう言ってあわただしく入籍だ
墓参りだと妻と一緒に駆け回ると、又あっという間に旅立ってしまった。
「そうですか、やっと御両親の墓参りにも行く事が出来たんですか。
結婚もできて、佐々木君はようやく完全にガラス瓶の中から出てこれたんですね」
羽場医師が目を細めて見つめる写真の中には、ウエディングドレスを着たミナの横で
照れくさそうに笑うタキシード姿の佐々木が写っていた。
「昔、これとよく似た光景をICUの特別室で見た気がしますが……」
「そうだねえ、今度はあんな悲しい事は起こらないよ。
二人はきっと白髪の爺さんばあさんになるまで一緒に暮らすのさ」
そういって久代は大切そうにそっと写真をなでた。
※
「めずらしいねえ、こんな所に新婚夫婦でやってくるなんて」
ほこりっぽいバンのトランクに荷物をいれながら、運転手は笑う。
「新婚旅行向きの場所じゃないぜ」
「遊びに来たわけじゃないですから」
苦笑して返答した佐々木に、運転手はもう一度笑い返した。
「ちがいない。夫が精神科医で妻が内科医。頼りにしてるぜ
ちなみに俺は外科医だ。名前はエドワード。ようこそ、戦場へ。腰抜かすなよ」
「大丈夫よ。血が怖くて医者はやってられないから」
そういったミナに、エドワードは勝気な嫁さんだな、苦労するだろう。
と佐々木に問いかけた。
「そこが彼女のいいところですから」
「おっとこれはごちそうさま。乗ったか。出発するぞ」
けたたましいエンジン音を立てて車が走り出す。
車外に見える風景は、一面の廃墟。
「後悔、している?」
いいえ、とミナは首を振って同じ指輪をはめた佐々木の手を握り締めた。
「貴方といれればどこでもいい」
「ありがとう」
「おお、この歌しっているか。日本語なんだぜ。ジエータイが持ち込んで
はやらせたんだ」
大げさな身振りでカーラジオを指差すエドワード。
佐々木の耳に、久々に理解できる言葉の歌が流れてきた。
「縦の糸は、貴方。横の糸は、私。
会うべき人に出会えることを人は幸せと呼びます」
「歌詞はわからないけど、綺麗なメロディね」
ミナの言葉に佐々木は頷いた。ラジオから歌は流れ続ける。
「もう少しだ、ついたら早速働いてもらうぜ」
エドワードが指差した先に、赤い月形を染め抜いた
いくつものテントが見えた。
終り
※ 歌詞引用 中島みゆき 「糸」
この話も以前二次創作として書いたものをオリジナルに仕立て直したものです。
http://adasinogibun.web.fc2.com/index.html
二次創作版はこちらのサイトの同名小説で。
悲恋以外の恋愛小説に初挑戦してみました。
この三人のドクターは私の一番のお気に入りなので
これからも、佐々木、あるいはミナや王を主人公にした物語を
投稿していくつもりです
次回作、一度ここにUPした「desperado」の完全版を明日から
UPし始めます
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