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第三十話  赦宥

「よく、思い出せたな」

硬い表情の王に、佐々木は口元に苦笑の欠片を浮かべる。

「記憶はみなどこかで繋がっているものだろう、

一つを思い出したら、後は海から網を引き揚げているような感じだったよ。

大丈夫か、顔色がよくないけれど?」

首を傾げた佐々木に、王は両手で顔を覆って首を振る。

「患者のお前が言うなよ。大丈夫だ、と言いたいところだが

……すまない、悲惨な話には慣れているはずなんだが、友人の経験となると

話は別だな。佐々木は?大丈夫なのか」

「思い出すのに手いっぱいで、

まだ感情が追い付いていないといった感じだ。

これからどうなるかは判らないけれど」

「佐々木が「ごめんなさい」という言葉を恐れ、自分の感情を

押さえつけていた理由がこれで判ったよ」

と王は開いたカルテを芯をひっこめたボールペンの先でつつきながら

話を続ける。

「「ごめんなさい」は両親の最後の言葉、そして子供だったお前は

自分の癇癪のせいで事件が起こったと思い込んだ」

「……ハーカー先生と似ているな」

「離婚と心中じゃ受けたストレスの桁が違いすぎるだろう」

王はため息をついた。

「解離性健忘が起きて当たり前だし、それが佐々木をある意味救ったんだ」

十歳の子供が受け止めるには重すぎる現実。

精神の崩壊を防ぐために脳が作り出したパンドラの箱。

だが記憶はそこに封じ込められても、感情までは忘れ去ることが出来なかった。

自分の激情が事態を引き起こしたいう、罪悪感。

目の前で死んだ両親の最後の言葉「ごめんなさい」に対する恐怖。

そして、

「俺が怒り続けていたのは、両親じゃなくて自分自身だったんだ」

ごめんなさい、僕のせいでお父さんはお母さんを殺して自殺しました。

ごめんなさい、僕はもう感情を現わしたりしません。一生僕は僕を許しません。

……だから、この現実が夢であって下さい……

ずっと叫んでいた。暗黒のパンドラの底で、子供の時のままの自分は。

両親への謝罪と自分への怒り、そして決してかなう事のない希望を。

「加えて佐々木はもう一度、大切な人との悲しすぎる離別を経験しただろう」

そのストレスで佐々木は一時期食べる事も、眠ることもできなくなった。

「その経験がさらにお前のパンドラの箱の鍵を頑丈にしたんだ。

絶対思い出させてはいけないものだと、脳が思い込んだんだろうな」

そのまま時が流れてしまえばよかったのだろう、だが、

「俺は精神医療の道に進んで、全く同じとは言えないが

治療のために似たような話をずっと聞き続けた。それは自分の体験を

追体験したいるようなものだったんだ」

「そうだな。そしてそれは解離性健忘の治療の方法の一つでもある。

パニック障害は知らないうちにパンドラの箱をこじ開けようとした事に対する

心の防御反応だったんだ」

佐々木の言葉を王が引き継ぐ。

「奥さんの記憶はダミー、というより失った記憶の代わりだったんだ。

同じような別離の記憶だしな。まるで二重底だよ、酷く珍しい症例だ」

でもこれで治療が進むなと笑みを浮かべた王に、佐々木は暗い表情を向けた。

「確かにそうだ。だが、俺はこれ以上精神科医を続けていていいんだろうか」

「……それは」

まるで罪を犯し、それを告白するような口調で佐々木は続けた。

「過去から目を背け、自分自身の感情すら持て余す。そんな俺が

人の心を治す資格があるのか」

「佐々木、その判断を下すのは俺じゃないぜ」

「そうだな、すまなかった」

深くうつむいて呻くように佐々木は呟く。

「ちょっと顔を上げろよ、佐々木」

長い沈黙の後掛けられた声に佐々木が恐る恐る顔を上げると

そこには真剣な表情の親友の姿があった。

「もし俺が心を病み治療を求める患者だったら、ブラックジャックのような

天才よりも、同じように悩んで苦しんで、それでも立ち治った医者に

治療してほしい」

「……王」

「それにな、こんな手紙が毎日院長室に届けられるんだってさ」

王がテーブルの上に広げたのは、色とりどりの画用紙。

そこにはたどたどしい子供の筆跡で

「It talks early with us, and it is Dr. Sasaki. 」

(早く僕達とお話してね。佐々木先生)

と書かれていた。その数は、1枚や2枚ではない。

「これを書いてくれた子供達から背を向けて後悔しないか?」

恐怖とは全く違う理由で震える指先で、佐々木は丁寧にテーブルの上の画用紙を

拾い集める。鼻の奥がつんとした。悲しくなくても涙がでそうになるのだと

初めて実感する。

「俺は……」

震える言葉を詰まらせた佐々木の肩を王は優しくたたいた。

「ミナと同じだ。もう許してやれよ。自分自身を、さ」

「いいのかな」

両手で顔を覆って佐々木は尋ねた。

指の隙間から、透明な滴が幾つも零れおちる。

かえってきた答えは短く、完結だった。

「あたりまえだ」


続く


※ 解離性健忘症 記憶の一部が欠落する病気、その範囲は様々で数日から数年に及ぶこともある


※ 赦宥……赦すこと




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