第二十七話 晩餐
「約束はまだ有効? 割り箸も持ってきたし
今日だけは大目に見てくれたらすごくうれしいんだけど」
笑みを浮かべようとして失敗した表情で早口に言いきった
ミナに、佐々木は少し驚きながらも
「いいよ、どうぞ」
と彼女を招き入れた。
「お母さんと過ごさなくていいの?」
「その、つもりだったわ」
ミナの一瞬だけ浮かべた寂しそうな表情は、すぐに
佐々木の一番見慣れた、暴言を吐く寸前の攻撃的な
それになる。
「でも帰る途中で電話で母と大喧嘩して、もう帰ってくるなと
言われちゃったわ。望むところと思ったんだけど、
感謝祭の料理を買っていた事を、電話を切った後で思い出したのよね。
一人じゃ食べきれないし、捨てるのももったいないし、
よかったら、手伝ってくれない? 夕飯まだでしょう」
「ああ、そう言う事だったら喜んで付き合うよ」
苦笑しながらも佐々木は頷いた。
「よかった、断られたら陰月の家に行くつもりだったけど
いくら親しいとはいえ、感謝祭に他人の家の食卓にお邪魔するのは
気がひけるわ」
「……」
僅かな間とはいえ、『家族』の一員として迎えられた家庭を
「他人」と言ったミナの心中を思うと佐々木は胸が痛んだ。
「あ、そうだ。私に言われても嬉しくないでしょうけど」
そこで一度言葉を切り、ミナは照れたように頬を紅潮させて
「誕生日おめでとう」
と続けた。
「知っていたの?」
驚く佐々木に、ミナは小さく頷く。
「一応ね。プレゼントまでは用意してないわよ」
「今更欲しがる年でもないよ」
もう一度苦笑を浮かべた佐々木を、ミナは軽く睨んだ。
「嘘でも残念だというものよ。がっかりするじゃない」
「なら、先生も『私に言われても嬉しくない』なんて言わないでよ。
俺はとてもうれしかったよ」
返された答えに、ミナがますます頬を赤くする。
「どうしたの?顔が赤いよ、風邪?」
「……ばか、料理を並べるわ、手伝って」
「う、うん」
なんで馬鹿と言われなければいけないんだろうと
内心で首をかしげながら、佐々木はミナが紙袋から取り出した
ミモザ色のテーブルクロスを受け取った。鮮やかなそれに
室内の明るさが増す。
かぼちゃのパイに、ハーフサイズのシチメンチョウ、そして
トウモロコシの粉で作られた薄パン。
一人では広すぎるテーブルに次々と並べられていく美味しそうな料理の中で
一番端にぽつんと置かれた割り箸の入った袋だけが違和感をはなっていた。
「まだ、自信がないの。目の届く所に置いておいてもいい?」
「かまわないよ、遠慮なくへし折って。
バトワイザーなら買い置きがあるけれど、飲む?」
佐々木の言葉にミナは少し考え、首を振る。
「やめておくわ。お水があったらもらえるかしら」
「じゃあ俺もやめておくよ、ペリエがあるからそれでいい?」
「ええ、ありがとう」
前には考えられなかった穏やかな会話。
笑みを交わし合いながら二人は食卓に着いた。
このテーブルで誰かと一緒に食事をするのは初めてだ。
「今日は食べる前に感謝するの。誰でもいいから」
「そう、じゃあ。ご馳走を持ってきてくれたハーカー先生に。感謝を」
そう言って「いただきます」と両手を合わせた佐々木に
ミナは「日本の風習?」と尋ねる。
「そうだよ、食べ物に感謝するんだ」
「素敵ね。生まれた国に誇りを持てそう。
私を治してくれた佐々木先生に、感謝を」
ミナがさらりと続けた言葉に、佐々木は顔が熱くなった。
「喧嘩の原因を、聞いてもいいかな」
佐々木が遠慮がちに尋ねたのは、料理があらかた
なくなって、程良くお腹が満たされた頃。
「母が、結婚しろって言ったのよ」
口元にこそ寂しそうな笑みを浮かべていたが
いつものようにきびきびとした口調でミナは答える。
「それはまた、急な話だね」
「そして、仕事を辞めて家庭に入って子供を産め
ですって。今まで散々自立しろ、手に職をつけろって
いっておいて今更よね」
「うん、それに相手がいないとどうしようもないだろう
……、まさか、王としろってこと?」
ミナは首を振った。
「母は実家、……王の家を嫌っているからそれはないのよ。
義父の部下にいい人がいるんですって。十も年上の、笑っちゃうわ」
なるほど、その手で来たか。
と佐々木は思った。
自分の意のままだった娘が急に反抗するようになって
母親はさらに娘をかんじがらめに縛りつけようと考えたのだ。
その為に、娘は未知であり、自分は知りつくした領域
「妻として母として夫を支える家庭」に娘を引きずりこみたい。
その上でアドバイスという名の命令を出し続ける。恐らく、一生。
「ハーカー先生は、どうしたいの?」
佐々木は尋ねた。二か月前のミナだったら不満があっても
それを押し殺して母の言うとおりにしただろう。だが、今はきっと。
「私は仕事を辞めるつもりはないわ。それに結婚なんて今は
考えられない」
「それで喧嘩したんだね」
予想通りの答えに、佐々木は安堵する。もうミナは母親の操り人形ではない。
自分の意思をちゃんと言葉にできるようになった。
でもね」
ちょっとひどいいたずらをしてしまって、叱られるのをまつような
子供の表情で、ミナは続ける。
「これで、いいのかしら。母を。専業主婦でずっと私を育てた母を
裏切ってしまったような気がするの」
「ハーカー先生の人生は、ハーカー先生だけの人生だよ」
ナイフとフォークを置いて、佐々木は穏やかに語りかける。
「お母さんが笑っていても、その下で貴方が泣いていては
どうしようもない。と俺は思う」
「そうよね、ありがとう。ずっと迷っていたの。
ここに来てよかった。」
そう言って今度は晴れ晴れとした笑顔を見せたミナに
佐々木もまた、嬉しくなった
続く