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第二十六話 諦観

「王、それは時間の無駄だよ」

その提案に、佐々木は珍しくきっぱりと首を振った。

「何度治療を受けても駄目だったんだ。

それに、これだけ長い間君に治療をしてもらっても回復の兆しがないのなら

院長のおっしゃる通り転科を考えた方がいい。

専門医の資格を取る前に発覚して良かった。この年ならまだ

他の科で研修医からやり直せる」

「ふざけるな!!」

今度は王が思い切り両手をテーブルに叩きつけた。

派手な音をたててカルテを挟んだバインダーが床に落ちる。

「この三年、ブラックジャックがどれだけ努力していたか

見ていなかったと思うのか。勤務と勉強の合間を

ぬって英語を習得するだけでも苦労しただろうに、

一年もたったらお前はしっかり患者さん達との

コミュニケーションもとれるようになっていた。

『佐々木先生に診てほしい』俺は何度この言葉を聞いたと思う?

俺は恋敵としてだけじゃなく、同僚としてお前にどれだけ嫉妬したか」

「ごめん」

うつむいてぼそりと謝る佐々木。

その白衣の襟元を王は乱暴に掴み、力任せに揺さぶりながら怒鳴った。

「だからなんで謝るんだ。なんでそんなにあきらめが早いんだ。

俺に対して怒れよ。どれだけ自分を蔑ろにすれば気がすむんだ、佐々木は」

「……放せ……王、苦しい……」

身長が頭一つ違う為、首をつったような状態になってしまった佐々木の

切れ切れの言葉に、王はハッとして手を離す。

床に膝をついて激しくせき込む佐々木に、王は悪かったと呟くように謝った。

「患者が思い通りにならないからと、暴力をふるうな。

俺じゃなかったら大問題だぞ」

「だから悪かったと言っているだろう。だがな、

院長が定めた期日まであと一カ月ある。ありとあらゆる方法を試してでも

お前を治す。俺は諦めない、諦めてたまるか」

叩きつけるようにそう言って足音荒く部屋を出ていく王。

それが完全に聞こえなくなるまで、佐々木はただ部屋の中に

立ちつくしている事しか出来なかった。



             ※


「感謝祭おめでとう」

そんな挨拶があちこちで交わされるようになった季節。

王に最後のカウンセリングを受けてから一週間が過ぎて

院長から申し渡された期日まで一月を切った。

あの日から佐々木は王の治療の誘いを色々な理由をつけて

断り続けている。

ハロウィンのカボチャはいつのまにか片付けられ

かわりに色とりどりのトウモロコシやキャンドルが飾られていく。

11月の第4木曜日に設定された感謝祭は、家族が集まりすべての物に

感謝するという、クリスマスについでアメリカでは大切にされている行事だ。

しかし家族もおらず、さらに日本人の佐々木にとっては今一実感がわかず

気がついたらその日を迎えていた。

「よかったら、うちに来ないか。一人じゃ寂しいだろう」

王の誘いを

「家族で過ごす日なんだろう、俺が行ったら邪魔だよ」

と苦笑して断ると、彼は珍しく深くうつむいたまま再度口を開いた。

「なあ、あの時は暴力を振るって本当に悪かった、だから

その、諦めるなよ。まだ時間はある」

その髪をいつも自分がされているようにぐしゃぐしゃとかきまわして

佐々木は唯、ありがとう、とだけ言って医局を出た。

「宿直以外は今日は定時で帰りなさい」

という院長の命令だ。

外来も休みで、入院患者も症状の軽い者は外泊を許される。

いつもは賑やかな病室が今日はしんと静まりかえっていた。

……宿直、申し出ればよかったな……

日本で言えば大晦日のような浮き足立つ空気の中を帰りながら、

佐々木は思う。だが、王の治療を受けない口実として三日連続宿直を

こなした直後だった。

主だった商店はすべてシャッターが下ろされている。

今日は家族で食卓を囲むのが何よりも優先される。そして明日から

一斉にセールが始まり、クリスマス商戦の幕が開くのだ。

アメリカが1年で最も楽しげな空気に染まる、時期。

「よかった、開いていた」

そんな中でも行きつけのセルフレストランは店を開けていた。

佐々木はほっとして、いつものベーグルサンドを注文すると

「感謝祭、おめでとう。これおまけ」

と店主がいつもの表情で、ビニル袋の中にサンドイッチと一緒に

かぼちゃのパイを入れてくれた。

家に帰ってもまだ夕飯時には間があったので、

メールチェックでもしようと久々にパソコンを立ち上げる

ディスプレイに記された「HAPPYBIRTHDAY」の文字で

そういえば、今日が誕生日であったことを思い出した。

……すっかり忘れていた……

祝ってもらった記憶はあまりない。

久代小母さんと暮らしていた数年間、

小さなケーキに蝋燭を立ててもらっただけだ。

妻とは「今年は過ぎちゃったけど来年は一緒にお祝いしましょう」

と約束をしたが、ついに果たされることはなかった。

四〇〇通以上来ていたメールもほとんどがスパムで

纏めてゴミ箱に放り込む。これで、することがなくなった。

「掃除でも、しようかな」

部屋中にうっすらと積もったほこりを見て、佐々木は呟いた。

少し寒いが窓を開け、小さなモップで家具に積もったほこりを払う。

「……あ」

棚の一番上を背伸びして拭いていた時、モップの柄に引っかかったらしく

重要だがめったに使わない書類を挟んだバインダーが床に落ちた。

散らばったアパートの契約書や医師免許を拾い集めていると、

その中に古ぼけた写真があった。

何処かの観光地で取ったらしいそれに写っている

どことなく自分に似ている男女。自分の姿は、ない。

自分を殺そうとした父と母。

ことさら乱暴に写真をバインダーに突っ込むと

モップを放り出して、ベッドに倒れ込んだ。

ぐしゃりと髪の中に手を突っ込んでゆっくりと

記憶をさかのぼって見る。

研修医として昔患者だった病院で働いていた頃

医学生で勉強と剣道に励んでいた頃、

妻の死を忘れようと勉強に没頭していたころ。

人生で一番楽しかった妻と過ごした日々

そして、久代小母さんと暮らしていた記憶

さらに、病院で包帯を取って顔にこの傷痕を認めた瞬間。

その前は……

「だめだ」

呻くような呟きが口から漏れる。

どれほど考えても、何も思い出せない。あの日何が起きたのか

それ以前はどんな暮らしをしていたのか。全ては闇の中だ。

「繭、俺はどうしたらいいんだろう」

胸元のネックレスを弄びながら尋ねる。

古い携帯電話が鳴りだしはしないかと耳を澄ませていたが

いつまでたってもその気配はなかった。

そのかわり、少し不明瞭な音で呼び鈴が鳴った。

この時分、尋ねてくる知人などいない。

教会からの寄付の催促だろうか。

いぶかりながら、ドア越しに

「どちら様ですか」

と問いかける。

「ハーカーだけど、よかったら開けてくれない?」

「先生?」

慌てて開けたドアの向こうには、大きな袋をぶら下げた

女医の姿があった。


続く


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