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第二十五話 感情

「まったく、本当にどんな魔法を使ったんだブラックジャックは」

「だから何度も言っているだろう。自然の、雷のお陰なんだ」

もうすっかり勤務時間後に籠る事が定例になってしまった

カウンセリングルーム。一か月前の雷雨の日の出来事を、

事あるごとにからかい半分とはいえしきりに感心する王に、

佐々木は少々呆れながら、同じ答えを繰り返す。

「「恐怖」という感情がハーカー先生の理性の鎖を緩めたんだ」

「それだけじゃないだろう、A君の「親を赦していない」

これがラクダの背を折る一本のわらになったんだな」

「大げさな、俺はきっかけを与えただけだよ。

心の奥底に押し込んでいた感情をあふれさせる、ね」

「よく言うぜ」

王は大きくため息をつく。

「お前だから出来たんだ」

「そんな事はないよ、で、その後ハーカー先生の様子はどう?」

「なんだ、一緒に抱き合って眠っていたのにそんな事、

直接本人に聞けばいいだろう」

「王!!」

流石に顔を赤くして声を荒げた佐々木に、王はすまん、と

謝りながらもにやにやと笑い続ける。

あの時、なぜ二人して眠ってしまったのか何度考えても判らない

ただ、停電が復旧して部屋の明かりの眩しさに目覚めた時

佐々木は慌ててミナ離れながらも、不思議な安堵感が心を満たしているのを

感じていた。ふと彼女を見ると真っ赤な顔でそっぽを向かれたが

その表情はとても穏やかだった。

「で、どうなんだ」

唯一つの失敗は、眠りこけている所を院長と王に見られた事だろう。

「まあ、こんな所かな」

再度の問いに、王は割り箸が入ったビニル袋を顔の前に掲げて見せた。

「随分減ったな。以前の三分の一くらいか」

佐々木の言葉に王は頷く。割り箸の数の減少は、イコールミナの

苛立ちとストレスの減少だ。あの日以来ミナはカウンセリングで

少しづつではあるが母への不満や怒りを口にできるようになってきた。

「それに、すごい事がこの間起こったんだ」

「へえ、どんな」

「電話でだけど、ミナが叔母に口答えした」

「……そうか」

反抗は自立への第一歩だ。

ミナの中で冒し難い偉大な存在であった「母の像」が

崩れつつある。これから一山も二山もあるだろうが、

母に一度でも逆らう事が出来たなら、彼女の嗜辟行為は

適切な心理療法でよくなっていくだろう。

「そろそろ自助グループを勧めてみようかな」

「それがいいだろう。ミナも多分自分の過去を客観的に

振り返れるようになっているはずだ」

「……よかった」

淡い微笑を浮かべる佐々木に、王もまた頷く

「ブラックジャックは2回、ミナを救ったんだな。ありがとう」

「救ったなんて大げさな。新聞記事のA君の事も今回の事も

ハーカー先生自身の心の葛藤の結果だよ。生きる為に自己を歪ませるのも

それに気づいて、抜け出そうとするのも、結局は先生の決心一つなんだ

俺はそれをほんの少し手助けしたに過ぎない」

そう言ったとたん、王の手がまたいつものように佐々木の長い髪を

ぐしゃぐしゃとかきまわした。

「褒められたら素直に喜べ。本当にかわいくないなお前は」

「君に可愛いなんて言われてもな。それに褒められるのは

苦手なんだ、なんだか体中がかゆくなる」

王の手がぴたりと止まった。

「なあ、佐々木」

再び対面の椅子に腰を下ろした王の表情はひどく真剣だった。

「どうしてお前はそんなに自分の感情を怖がるんだ?」

「怖がる、俺が?」

いぶかしげな問い返しに、王はもう一度大きく頷く。

「褒められたら嬉しいだろう。それをお前は「かゆみ」を

感じる事で打ち消している。それに以前に聞いた、奥さんの死後

まともに食事も睡眠もとらずに勉強に没頭した件といい

佐々木は自分の喜怒哀楽を感じる事を恐れているようにしか

思えない」

「そんなことないよ」

佐々木は首を振った。

「ハーカー先生にペンダントを捨てられたと思った瞬間に

先生を思い切り殴ったんだぜ。怒りにまかせて」

「40度近い熱が出ていたんだろう。思考力だって

大分鈍っていただろうし、先日のミナと同じだ。

熱が理性の箍を緩めたんだ」

「……そうかな」

「あくまで憶測だが、間違ってはいないと思うぜ。

何かがお前の心にストッパーをかけているんだ。

そしてそれは、「ごめんなさい」という言葉を

怖がる事とも繋がっているんじゃないか。その、

佐々木の失った記憶の中で」

「憶測で全てを決めつけないでくれ。

妻の事と両親の事は全く無関係だ。俺は

虐待の事実を知りながら妻を救えなかった罪悪感を

ずっと引きずっているんだよ」

「そこまでわかっているなら、なぜ身体症状が軽減しない

投薬に認知療法を組み合わせてもう二カ月だぜ」

「……」

佐々木は言葉に詰まった。

「しかも性的虐待を受けた黒い髪の女性、だけじゃなくて

ミナに抱きつかれた時も過呼吸をおこしそうになったんだろう。

しかも相変わらず「ごめんなさい」と書いた遺書を読むシーンを思い出すと

酷い発作が出る。これは原因が別にあると思う方が普通だろう」

「でも俺は、両親の事なんか何も覚えていないんだ。写真がなければ

顔だって忘れていた」

「じゃあなんでそんな状態で、両親を赦していない。記憶がなくて

両親の何にそんなに怒っているんだ」

「殺されかけたんだぞ」

両手をテーブルに叩きつけて、佐々木は声を荒げた。

「おまけにこんな傷痕まで……。これのお陰でどれほど苦労したか。

記憶がなくても許せなくて当然だ」

「ほら、両親の事は怒れるんだな。お前は

奥さんを失った悲しみを外に出せるまで長いカウンセリングが必要だったのに」

「……」

佐々木ははっとしてじん、としびれた自分の両手をぎゅっと握りしめた。

「佐々木」

その姿をじっと見つめながら王は再び口を開く

「辛いだろうけれど、もう一度思い出してみないか。

御両親と、事件の事を」


続く






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