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第二十四話 号泣

「嘘……」

呆然としたような声で呟くミナに、佐々木は続ける。

「本当だ。俺は入院中に取材を受けた記憶なんかない。

それどころか、退院してから今日まで、二人の墓にすら行ったことがないよ。

妻の骨をペンダントにしたのは、彼女を両親と同じ場所に入れる事が

耐えられなかったからだ」

「そんな」

雷はとっくに鳴りやんだのに、ミナの体は震え続けている。

「新聞記事のA君は、記者が作り上げた架空の子供なんだよ」

「でも私……私は」

「A君じゃないけれど、同じ国に生まれて同じように

実の親に必要ないと思われた俺が、断言するよ」

再度ミナの耳元で、佐々木は優しく囁く。

「ハーカー先生は悪くない。よく頑張ったね。

もう、我慢しなくていいよ」

返事はない。

暗い部屋の中、聞こえるのは雨音だけ。

そこに、もう一つ別の音が混じり始める。

押し殺した、途切れ途切れの嗚咽。

最初は微かだったそれは、少しづつ大きくなっていった。

「ごめんなさい、ママ。ごめんなさい」

二つの言葉を繰り返しながら、ミナは小さい子供のように泣きじゃくった。

その体を毛布越しに抱きしめながら

佐々木は二つの言葉の先にある声にならない言葉を聴く。

ママ、ごめんなさい。貴方の望むような子供になれなくて

ママ、ごめんなさい。でも私、貴方に愛して欲しかった。

ママ、ごめんなさい。ありのままの私をしっかりと見て欲しかった。

ママ、ごめんなさい。でも、でも、でも

「生きていても、いいですか?」

ああ、と佐々木はミナの問いに小さな呟きを洩らす。

自分も何度、同じ事を心の中で問い続けただろう。

親に捨てられた子供でも、

親に殺されかけた子供でも、

親の望むような理想な子供になれなかった子供でも、

愛しい人を救えなかった子供でも

……この世界に、生きていてもいいですか……

誰に尋ねているのだろう。

でも、問わずにはいられない。誰かが言葉以外の何かで答えてくれるまで。

「先生の人生は、先生だけのものだよ」

子供のように小さな手で、赤ん坊をあやすようにミナの背中を軽く叩きながら

佐々木は泣き続ける彼女に話しかける。

「生も死も、決めるのは自分自身だ。でも」

「でも」

涙でくしゃくしゃになった顔が佐々木を見上げる。

化粧もはげ落ちて、髪も乱れているのに今まで見たどんな彼女よりも

美しいと思うのはなぜだろう。

「俺は見たいんだ。親に愛に恵まれなかった子供でも

立派に生きて幸せになれた実例を。先生が見せてくれない?」

「ありがとう」

しゃくりあげながらそう言って、またミナは佐々木の胸の中にも毛布越しに

顔をうずめて嗚咽を漏らす。

「気がすむまで、泣いていいよ」

随分長い間、我慢していたんだから。

そう言って佐々木はもう一度ミナを抱きしめた。


                  ※

「ああ、王先生。いい所で会ったわ。毛布の予備は何処にあったかしら」

院長にのんびりと呼びとめられ、王はどうしてですかと問い返した。

「今さっきの雷で不安になった患者さんでもいるんですか?」

「いいえ。とても疲れているらしいドクターが二人、いるだけよ」

いたずらっぽい顔をした院長の答えに、王は訳が分からなくなった。

「どういう、ことですか」

「旧館の五階に毛布を持ってきてくれるかしら」

「は、はあ」

王が数分後、毛布を片手にそこに行くと

院長が今は物置になっている古いカウンセリングルームの扉を

細く開けて中を覗き込んでいた。

なぜか中に明かりがついている。

「あの、院長先生」

「覗いてごらんなさい、ただしそうっとね」

そう言って脇にどいた院長のかわって王が部屋の中を覗くと

古い長椅子に座り、抱き合ったような姿勢のまま

眠っている同僚と従姉妹の姿が見えた。

「……姿が見えないと思ったら!!」

「しい」

ぽっちゃりとした指を院長は自分の唇にあてる。

「今、皆は忙しいかしら」

「い、いいえ」

首を振った王に、院長はにこりと笑った。

「じゃあもう少しだけ寝かせておいてあげましょう。

風邪をひくといけないから佐々木先生に毛布をかけてあげてね。

これはお礼よ」

油染みの浮いた紙袋を手渡して去っていく院長を、王はため息と共に

見送った。そして、

「あーあ。無邪気な顔しちゃって」

苦笑しながら呟いて眠る佐々木に毛布をかける。

「……しかし、妬けるぜ。これは」

二人がこんな所にいたのは、多分ミナのカウンセリングの為だろうが

なぜ毛布こしとはいえ、抱き合ったような格好でしかも眠っているのだろう。

「ミナだけでも、起こすかな」

ぼそりと呟いてそっと毛布の中の従姉妹の顔を覗き込んで王ははっとした。

頬にくっきりと涙の痕を残しながらも、その表情はとても穏やかだ。

こんな顔をしたミナは、最近ずっと見た事がなかった。

「ちくしょう、なにやったんだよ。ブラックジャック」

ほんの少しだけ悔しさをにじませて呟くと、王は足音を忍ばせて

そっと部屋を出て行った。


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