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第二十二話 突破口

「だから私は何回も言った通り、母にマイナスの感情は抱いていないわ。

そりゃあ、少し過干渉だなと思う事はあるけれど

一人暮らしの未婚の娘の母親って

みんなそんなものじゃない?」

 前回、いやカウンセリングを始めた時から

何十回と言い続けてきたセリフを、また目の前で繰り返されて、

佐々木はさすがにうんざりとした気持ちになった。

ミナを治療を引き受けてから一カ月が経過した日曜日の夕方。

旧館と呼ばれている病院で一番古い建物の五階、

もう長い事使われておらず、埃がつもり

半ば物置と化したカウンセリングルームで、

佐々木とミナは小さなテーブルを挟んで向かい合っている。

彼女の治療は佐々木のそれとは違い私的な事なので

本当は勤務時間外に病院の外で行うべきなのだろうが

ローテーション勤務では仕事の終了時間も、休日も合わせにくいため

外来診察がない比較的暇な日曜日の休憩時間を使い、

このような人目につきにくい場所でカウンセリングを続けていた。

そろそろ秋も深まってきて、いくら温暖なカリフォルニアとはいえ

流石に冷え込む日が多くなってきた。

埃っぽい部屋の中はお世辞にも暖かいとはいえないが、

エアコンをつけるわけにもいかず

二人は白衣の上にそれぞれコートをひっかけて、寒さをしのいでいた。

「でも、ハーカー先生のお母さんは子供の頃の先生に

随分厳しい要求を突き付けたんだって?」

この質問も何十回繰り返しただろう。

返される答えももう覚えてしまった。

「陰月から聞いたんでしょう? 大げさなのよ。

皆の家でも言われているんじゃない?

テストは学年一番を取れ、友人と遊ぶのはいいけれど、

パジャマパーティーなどのお泊まりは駄目

門限は午後六時、娯楽施設は映画館までそれから……」

「それは先生がいくつまで続いたの?」

「大学を卒業するまでよ」

「周りの友人と比べて窮屈すぎるとは感じなかった?」

「いいえ、その頃は勉強一筋で余り友達もいなかったし」

この台詞を言う時だけ、少しさびしそうな表情をする所まで毎回同じだ。

まるで同じ芝居を繰り返し演じているような気分になってくる。

ーーなんて、頑固なんだーー

いくら娘とはいえ、二十を過ぎた大人に外泊を禁止し、

外出先にまで制限を加える。

成績も上位ではなく一番でなくてはならない。

普通ならば、反発を覚えて当然の事なのに、

ミナは頑なにそれを当たり前の事と言い張る。

「映画とかドラマで大学生の生活が出てきたりするだろう、それを見て

自分の家が不自然だと思わなかった?」

「そんなものはあまり見なかったかわ。ママが嫌いだったから」

「じゃあ、ハーカー先生は休日、何をして過ごすの?」

「そうね、ママの話を聞きながらお茶を飲んだり、

ママと一緒に料理を作ったり

後は医学書を読んだりしているわ、ママの隣で」

ーー全ての基準は母親、か――

自分の好き嫌いではなく、母親の好き嫌いが全ての行動が決められる。

王達が強引に一人暮らしを勧めた理由が良く判る。

もっとも、休日、彼女は殆どは実家に帰っているらしいが。

「医者になったのも、お母さんの勧めだったっけ」

「ええそうよ」

ミナは頷いた。

「ハイスクールに入る時にママがプレゼントをしてくれた本を読んで

決心したの。ママもこの本を読んで、医者になりたかったんですって。

それまでは弁護士もいいなと思ったし、

動物園の飼育係にも少し興味があったけどね」

「小児内科を選んだ理由は?」

「一番突発的な呼び出しが少ない科、なのよ。休日もきちんと休めるから

ママとの約束を破らずに済むし、

子供達相手なら悪い虫もつかないだろうってママが……」

「ねえ、お母さんに今一番言いたい事は何?」

唐突な佐々木の質問に、ミナはきょとんとする。

「言いたいことって?」

「何でもいいよ、悪口でも褒め言葉でも、

今ぱっと心に思い付いた事をいって10秒以内に」

ミナの眉がきゅっとひそまった。

「あと5秒」

その手が机の上に置かれた袋から、

割り箸を掴みだして乾いた音をたててへし折る。

「3秒」

「いつも私の事を気にかけてくれてありがとう、お母さん」

俺た割り箸を手が白くなるほど握り締め、

引きつったような笑みを浮かべるミナに

これでもだめか、と佐々木は内心で大きなため息をついた。

考える余裕を与えない質問は、本音が漏れる確率が高いのに。

それでも彼女が口にしたのは感謝の言葉。

ーーよくここまで、理想の娘と言う名前の母親の操り人形が出来上がったものだーー

今、目の前に座っている女性に自分の意思はない。

見えない糸がここにはいない母親の手の中にと繋がっている。

でも、と佐々木はミナが握りしめている割り箸をちらりと見る。

彼女が割り箸を折ったと言う事は、暴言を吐きたかった証拠。

ーー彼女だって、無意識ではわかっているんだーー

高い要求ばかり突き付けてくる母親。

理想の子供としての自分、しか愛してくれない母親

そんな母親への不満が心の奥底で渦巻いている事を。

だが、それは意思の力に押さえつけられ決して言葉になる事はない。

ーーそれほど、ハーカー先生は怖いんだーー

母親に嫌われ、再び捨てられる事が。

人間の子供は自然界においてもっとも脆弱な姿で生まれる。

自分で歩くことも、食事を取ることも出来ない子供にとって親の愛されることが

命を繋ぐ唯一の方法であり、発達過程においては

自分はこの世に存在価値があるという証と感じるようになる。

世の中の大多数の親が子供に『当たり前の事』として注いでいる愛。

だが、ミナの頭上にそれは「条件付き」でしか降り注がれなかった。

愛されるために、つまり生き延びる為に

彼女は母親の出す「条件」を全て受け入れ

自己を押し殺して「理想の娘」の型に自分を押し込んできた。

――どんな些細なことでもいい、母親を否定出来れば――

小さな穴から漏れた水が、やがて堤防を決壊させるように

母親への本音が噴き出すはずだ。そしてそれができれば

他者への暴言と言う歪な形でストレスを吐き出す必要もなくなる。

――なにか、きっかけが有ればいいんだけどなーー

意思の力を吹き飛ばすほどの、強い母親への怒りか悲しみ。

だが、そんなものが都合よくおこるわけもない。

ーー長い時間をかけて、気付かせていくしかないのかーー

もう自分が母親の庇護を必要としない年になっている事を。

母親の代わりになってくれる人が近くにいる事を。

問題は、それまでにミナのストレスが限界に達しないかとい事、

割り箸をおって少しは発散させているのだろうが、

爪にひどい噛み痕があるのを佐々木は見つけた。

自傷行為が再発しかけている。

ちりちりと胸底がやけつくような焦燥感を覚えた、その時

ふっと部屋の電気が消えた。

すでに秋の短い日は暮れきっており、部屋の中には

瞬時に暗闇が満ちる。

と、同時に今まで気にならなかった窓ガラスを叩く雨音が

急に大きく聞こえ出した。

いつのまにか雨が降り出していたらしい。

「停電かしら」

「らしいね、しかもどうやらこの棟だけみたいだ。

ここから見る限り、他の棟は明かりがついている」

「そう、じゃあ患者さん達に影響はないわね。安心した」

入院患者達は主に一階に集められている。

窓から下を見下ろす佐々木の隣に立って、

特に騒ぎが起こっていないことを確認してミナは安堵したように言った。

「でも、何かトラブルがあるかもしれないから、戻ろうか。

暗いから気をつけて」

佐々木の言葉にミナは頷く、二人してそろそろと無造作においてある

荷物に躓かないように注意して、ドアへと歩き出した時

部屋の中を真っ白な光が一瞬埋め尽くし、

続いて大音響で落下音がした。

「雷?」

「いや!!」

暗闇の中で、暖かく柔らかいものが佐々木にしがみつく。

「ハーカー先生?」

「わ、私雷が、駄目なの」

「え?」

佐々木が聞き返したとたん、もう一度光と音が部屋に満ちるた。

「やだ」

小柄な体に回された腕に一層力が篭った。


続く



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