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第二十一話 寂寞

「そうか。ここではよく聞く話だから、気がつかなかったよ」

何処か人ごとのように言う佐々木の手の平に、王は自分のそれを合わせる。

「気付かなかった、じゃなくて気付かないようにしていたんだろう。

無意識のうちに。そんな子供時代を送ったから、

こんなに小さいんだなブラックジャックは」

重ねられた二人の手は、一回り以上大きさが違う。まるで大人と子供だ。

「俺は手が小さいんだよ。それに君はアメリカ人だろう」

「アメリカ人と言っても、俺はアングロサクソンじゃなくて、お前と同じ

アジア系だ。そんなに大きな差がつくわけもないのに、これだ」

「こじつけるなよ」

首を振りながら、それでも両手を白衣のポケットに突っ込んでしまった佐々木に

王はため息をつく。

「ブラックジャックもミナとそっくりだ。子供の頃の酷い経験のせいで

感情が麻痺して、正常な判断が出来なくなっている」

「だから、ハーカー先生よりは俺はずっとましだといっているだろう」

「虐待にどっちがましだなんて、優劣をつけるな。まったく

ミナといい佐々木といい、痩せ我慢にもほどがあるぜ」

「痩せ我慢なんて、してないよ」

「自覚がないだけだ、馬鹿野郎」

穏やかな佐々木の口調とは対照的に声を荒げる王。

「何を怒ってるんだ。帰るのか」

声と同じように乱暴な動作で椅子から立ち上がった王は、ああと

頷く。

「今夜は帰ってじっくり治療法を考える。お前は自分が思っている以上に

……もういい、家まで送って行くから仕度をしろ」

「歩いて帰るよ」

「人の好意を無にするな!!」

ますます声を荒げ、足跡も荒く部屋を出ていく同僚の後を

佐々木は慌てて追った。


              ※


「そんなに酷い経験だったのかな」

三日ぶりに自宅のベッドに横になりながら、佐々木は呟く。

車を運転している間も、王はずっと無言だった。

一体自分の話の何が彼を怒らせたのかずっと考え続けているが判らない。

「まともな家庭も知らない俺が、ハーカー先生の治療を引き受けたのが

やはりまずかったのかな」

独り言を続けながら、手の中で弄ぶのは古い携帯電話。

深夜、ミナの家に行った日を最後に、妻からの電話はかかってこない。

三か月以上間が空いた時があるから、不安ではないが、今日は無性に

繭の声が聞きたかった。

「繭」

ひんやりと冷たい携帯電話に佐々木は語りかける。

「普通の家庭ってどんなものだろう」

記憶の糸をたぐりよせれば、蘇ってくるのは夕暮れの小学校の教室で

嬉しそうに帰って行く級友の背中を見送り続けた光景。

些細な事で怒鳴られ、殴られる場所にどうして笑顔で帰ってゆけるのか

その時は不思議でしょうがなかった。

久代小母さんと暮らすようになってからは、家に帰る事は苦痛ではなくなったけれど

心の隅がいつもさわさわと落ち着かなかった。

一人暮らしをし始めたら気楽にはなったが、真っ暗な家に帰るとよく夏でも、

震えるような寒さを感じた。

もし、繭と普通の生活が出来ていたならば、ドアを開けた自分を彼女は

「おかえり」と笑って迎えてくれただろうか。

その光景を想像すると、目の奥が熱くなる。

「ただいま」

携帯電話に何度も囁くが、返事はない。

静寂が、耳に痛い。

身体の脇を冷たい風が通り過ぎていく。

心の中にたった一つの言葉が音もなく降り積もっていく

「寂しい」

起き上がってテレビをつけ、バラエティ番組にチャンネルを合わせる。

その空虚な笑い声をつまみにウィスキーを何も加えずに胃に流し込んだ。

酔いが誘う浅い眠りの中、夢を見た。

「ただいま」

元気よく声を張り上げながら、玄関の扉を開ける自分。

「おかえりなさい」

そんな自分を迎えてくれる、誰か。

姿は日の光にとけて判らないのに、重く痛む頭を抱えて

目が覚めた後も、優しく暖かい声だけは耳の中に残っていた。

だが、どんなに記憶をさかのぼってもその声の持ち主を

佐々木は思い出す事が出来なかった。


続く。


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