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第二十話  無自覚

「一度ハーカー先生の母親と話が出来ればいいんだけどな」

「叔母とか? 」

佐々木が頷く。

「ハーカー先生の嗜癖問題の根っこは母親との関係だろう。

アルコール依存症の家族両方を適用させてみたいんだ」

「無理だな」

前髪をかきあげながら、王は渋い表情できっぱりと言い切った。

「叔母からアプローチできるなら、とっくにやっている。

あの人は、幼児的万能感から抜け出せないわがままいっぱいの女王様

なんだ。周りにいた誰もがそれを矯正するより、めんどうだからと

叔母のわがままを出来る限り受け入れてしまったから、余計

拍車がかかったんだろうな。どんな些細なことでも、叔母が

自分の非を認めたり、他人の意見を聞いたりしたところを見たことがない」

「そりゃまた強烈だな。ああ、それだから10歳前の子供を

自分がん望んだからと、あっさり一度は養育放棄した養母の元に

かえしたのか」

 そう言って珍しく皮肉げな笑みを浮かべる佐々木。

「あまり苛めないでくれ。両親もそれはずっと後悔しているんだ。

だからミナがこの病院に就職したのを機に、三人でミナを一人暮らし

させるように説得したんだ。病院へ十五分以内に到着できる場所に住む

という契約を盾にしてな」

「悪い、少しイライラしてた」

苦渋の色を深めた王の顔から、佐々木は謝りながらも目をそらす。

「いいよ、事実は事実だ。そしてまだ二週間だろう。

統合失調症やうつ病じゃないんだから、

好転するまでまだまだ時間がかかるさ。あせるなよ」

「そうだな。院長もおっしゃっていた。現代人の悪い癖だな、すぐに

結果を求めてしまう。で、王は何を悩んでいるんだ? 」

「ブラックジャックの病状だよ」

「俺の?」

きょとんとした表情で問い返した佐々木に、

王はやれやれと肩をすくめた。

「身体症状は、軽減したか?」

「……それは」

言葉を詰まらせて、佐々木は俯く。

「処方された抗不安薬はきちんと飲んでいるんだろう」

「ああ」

「加えて」

と王はカルテを開いた。

「イメージ暴露療法を何回したと思う?」

「えっと」

再び佐々木は言葉に詰まる。

イメージ暴露療法とは、恐怖、不安を感じる場面をを

もう一度故意に思い出す治療法だ。

リラックスした状態で、作成した不安階層表の恐怖の順位の低い順に思い出し

その時の状況を感情を含めて細かく説明する。

これはその出来事の再体験となり

それを恐怖が薄れるまで繰り返す。

それの繰り返しを最終的に最も恐怖を感じる出来事の恐怖が消えるまで続けるのだ。

「覚えていないのか、十五回以上だ。

十年前の出来ごとにしては少し多いな。

そして申し訳ないが、俺は前回の療法でお前にトラップを仕掛けた」

「?」

「ブラックジャックが今恐怖を克服できていないレベルは上から三番目の

「ごめんなさい」と書かれた遺書を読む、だろう。

俺は前回お前にレベル1の奥さんの死を看取る場面と、

レベル2の結婚式後に倒れた奥さんに駆け寄る

場面をイメージさせたんだぜ」

「なんで、そんな事を」

「何か身体症状が起こったか? 恐怖を感じたか?」

問い返されて、佐々木はしばらく黙りこんだ後、

困惑しきった顔で「いや」と答えた。

「そうだろう、そして治療が終わった後も、

お前はそれがレベル1とレベル2であることに気付かなかった。

レベル3をイメージした時はひどい過呼吸を起こしたのに、だ。

ということは、ブラックジャックは

自分の恐怖・不安のレベルを把握できていなかった事になる」

「……そんな」

低く呻いて両手で頭を抱えた佐々木に、

王は珍しい話じゃないぞ、と慰めるように続けた。

「レベルの混乱はよくある事だ、

普通は死を看取る方が恐怖を感じると思うしな。ただ……」

そこで言葉を詰まらせ、思案するように視線を宙に彷徨わせる王。

「たのむ、どんなことでも隠さずに言ってくれ」

「先日、お前が俺の家で高熱を出して眠っていた時、時折うわ言を言っていたんだ。

日本語だったんで、正確に全てが聞き取れた訳じゃないんだが、

ごめんなさい。と、それに」

「それに?」

「お父さん、お母さんは理解できた。FatherとMotherでいいんだよな、意味は」

「お父さん、お母さん、なんで俺は、そんな事」

 記憶もなく、顔ですらおぼろげにしか思い出せない二人にうわ言とはいえ

なぜ、謝っていたのか。

「佐々木、今回のパニック障害は両親に殺されかけた一件にも、

原因があるんじゃないか」

「そんなことはない」

 部屋の窓が震えるほどの大声に、王以上に発した自分の方が驚いた。

「悪い、怒鳴るつもりはなかった」

「あ、ああ。こっちこそ不用意なことを言って悪かった。

だが、お前が体験したこともミナと同じ

世界の崩壊に等しい出来事だったんだぞ」

「ハーカー先生と俺じゃ状況が違いすぎる。

俺は、親が死んでからのほうが恵まれた生活をしていた、と思う」

「たとえば?」

「3食きちんと食べれたし、毎日洗濯をした服を着せてもらえて、

風呂にも入れてもらえたな。

それに、病気になったら医者にもつれてって貰えて

あったかい布団に寝かせてもらって、それから」

「ちょ、ちょっとまてブラックジャック」

王が我慢できないといった風に、佐々木の言葉をさえぎった。

「ネグレクトされていたのか、お前は」

いや、と佐々木は首を振る。

「だから俺は、両親と生活していた記憶は一切ない。だけど

怪我が治って退院してから半年位、お世話になっていた遠縁の家では

朝と夜は三日に一遍くらいしか食事を出してもらえなかったし、

パジャマと洋服が一着づつしかなくて、日曜しか洗濯ができなかった。

でも、それが普通だと思っていたし、誰も何も言ってくれなかったから

多分両親も同じことをしていたんだろう。ああ、インフルエンザに罹ったら

邪魔だと家を追い出された事もあったな。確か学校の体育館倉庫で治るまで

じっとしていた記憶がある」

「なんで、そんなひどい話をにこやかな顔で語れるんだブラックジャックは」

恐ろしい物でも見るような表情の王に、佐々木はきょとんと問い返した。

「これ、そんなに酷い話なのかな」

「当たり前だ」

呆れたようにため息をついて、王は言を継ぐ。

「じゃあその、人間らしい生活をさせてくれたのは誰なんだ」

「前にも話したと思うけど、

同じ街のスナックとホテルを経営してた小母さん。

笑い話なんだがある時空腹に耐えかねて、スナックのあいていた勝手口から

忍び込んで氷を食べてたらいつの間にか後ろに立っててさ。

怒られると思ったらお腹すいているのかいって言われて

ご飯を食べさせてくれて、それから色々面倒見てもらってた」

くすくすと笑い声さえあげる佐々木と対照的に、王の表情は厳しいままだ。

「佐々木、俺は全く笑えないよ。記憶がないと言いながら、

お前も酷い虐待を受けているじゃないか」

「……虐待、なのかな。これは」

いまいちピンとこない様子の佐々木に、王は何度も頷いた。


続く





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